景色泡沫/夢幻・2

 薄暗い病室で、老女は仰臥した老人の口元に耳を寄せて、枯れ果てた声を懸命に聴き取ろうとしていた。皺だらけの顔、開いているかどうかも怪しい目。濁った瞳が、僅かに此方を捉えた。湿気た空気に嗚咽が混じる。

 この人たちは、何故――誰? 口にしていた。どうしたの、どうして?

 なのに、この場に居る誰もが納得している。

 病室の外、薬品の匂いが染みついた丸椅子は冷えていて硬かった。代わる代わる訪れる大人たちを胡乱な眼差しで眺めていた。

 朧な影たちが視界の端に映り込む。見定めようとしても、すぅ、と逃げてしまう。気のせいのような、気にしなくても良いような、でも気になってしまうような。

 十中八九、ソレは妖の類だ。然し仔細には視えなかった。追えども追えども捉えきれない夜闇のカタチ。

 瞳に映らない妖。幻。

 お前のせいだ。お前が居るからだ。

 どうしたの。寒いでしょう。

 寒い、のか。寒い。そうだった。どうして寒いのか。雨の中を駆けなければいけなかったのか。どうしてここで震えているのか。

 喉の奥が弾けた。

 ――忌まわしい、失せろ、忌まわしい! 失せてしまえ! 化け物共! 来るな、来るな、お願いだから――。

 無意味、無駄だ。言葉など通じない――かもしれない――から。少なくともこの手の有象無象には言葉が通じた試しが無い。

 拳が空振る。

 どうして……どうして、ねえ、どうしてよ!

 慌てて白衣の大人二人が肩と腰を掴む。あまりに非力だった。無力だった。視て居る、たったそれだけしか出来ないのだから。

 止めて! 止めてよ! あいつよ、あいつを捕まえてよ、聞いて、ねえ――聞けェ!

 声が嗄れるまで叫び続ける。加減無しにあちこちを抑えられて痛かった。病室から引き離されてゆく。朧は、すぅ、と相変わらず視界の端に着いて来ていて、せめて逃げようと眼を瞑った。

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