景色泡沫/10
世界を踏み抜いて、あたしはそのまま着地した。
……余り心地良くない気配がすると思えば、夜明け。星明かりが薄まって、夜が逃げていく途中。白む前の濃紺、零した橙。
あの夜桜の姿は無かった。祗園も、ハヅキもいない。刀は背負っている。そうだ、あたしは刀を抜くコトすらままらなかったのだった。
それでも、どうやら無事らしい。
祗園から斬りつけられていたその場所に、あたしは立っていた。屋上ですらない。それでも不思議と納得していた。帰って来たかのような感覚。もしくは、ズレていたピントが合って、馴染んでいるような感覚。
恐らくは、夢から醒めるときの感覚に近しい。そう思い至った。
後ろから足音が近づいて来る。
「どうされましたか、こんな所で。些か不用心が過ぎると思いますが」
「……長井」
声がした方へ向き直る。そのひと、長井は、散歩でもしているかのような足取りで、校舎からあたしの方へ坂を下っているところだった。
「何も無いでしょう? こんな所、何も」
薄く笑んだまま、長井は旧校舎を振り仰ぐ。
「この旧校舎ですが、使用されなくなってもう四半世紀……三十年ですか。ええ、物置くらいにはなっていたのですよ、この旧びた校舎も。だけどもうお別れです。名残惜しくはありますが、これも形あるものの宿命でしょう。間違っても、生徒が中に入ってはなりませんから。勿体無い場所だけに、より良い選択が相応しいと云えます」
「あなた、何を」
「――ただ、このままコレを壊すのにも、少々問題がありまして。どうにも厄介なモノたちが潜んでいるようなのです。それも、此方からは立ち入れない。無理に解体してしまっては溢れさせてしまいかねませんからね。そこで、貴女にお願いしたい。
白羽紗羅さん。貴女には、この旧校舎に巣くったモノを排除して頂きたいんです。勿論、白羽――薫先生には話を通してありますから、ご心配無く」
淡々と、長井は喋る。何処かしら他人事めいていて、それだけで理由も無く癪に障った。
「依頼だなんて、勝手ね」
「ふむ」
「排除? 排除って、何を」
「さて、此処に巣くっているモノとしか知らされておりませんから」
答える気は無いようだった。その代わりに長井は、僅かに、薄く笑んでいる表情とは違う、ごく自然な笑みを浮かべてくれる。
「ふふ、白羽先生にそっくりだ。流石は先生の娘さんと云ったところですね」
「あんなひと、親と思った事なんて一度も無いわ」
「おや――ああ、いや、そうでしたか。これは失礼しました。
迎えが来たようです。余り、ご家族とご友人に心配をさせないよう」
では、と告げて、長井は学校へと戻っていく。坂の下から、見覚えのあるワゴン車が上って来ていた。
助手席に乗り込むと、運転席の薫からバスタオルが投げてよこされる。その時になって初めて、私は、私の躰が雨に濡れ、冷え切っている事に気が付いた。
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