微睡の白/6
「へぇ、名字が同じだと思ったら白羽先生の親戚だったのかぁ。なるほどなるほど」
合点がいったとばかりに雅は手を打った。彼女の云う「白羽先生」は薫では無く、この学校でもカウンセラーをしている雪の事だった。
「珍しい名字だから気になってたのさ。あの先生、サッパリしてて話しやすいんだなぁ」
教室の中央あたりに用意されていたあたしの席は、出席番号の関係でちょうど美優のすぐ後ろになっていた。ほっとしたのも束の間、真っ先に声を掛けてきた子があたしの隣に座る霧島雅だった。
雅はとても気さくでいてややもすると無遠慮に話す。全く新しい、これまで居た記憶の無い同年代に囲まれたこの教室でどう振舞ったものかと思案していたあたしにとって、彼女の気さくさは正直ありがたかった。
「美優ちゃんも久しぶりだね。どう? 怪我の具合は」
「うん、もう大丈夫。雅ちゃんは元気にしてた?」
「それがさ、一昨日まで夏風邪でもう辛いのなんの。やっと元気になったトコよ」
自分の膝に頬杖をついて前のめりに話す彼女に、つい最近まで具合が悪かったような素振りは無かった。それだけに彼女の快活さはこの教室のなかでも目立っている。美優の云っていた風宮の校風とはズレているようで馴染んでいるようなのだった。
「おかげで宿題の予定狂っちゃってさ。また怒られるんだろうなぁ」
スガがネチネチうざったいんだよ、と溜息を吐く。誰だか知らないけれど嫌味な教師らしい。美優苦笑いだ。
「紗羅ちゃんも気をつけなよ、あの婆に目をつけられたら兎に角厄介だから」
「そうだね。古文の先生なんだけど私も苦手だなあ」
あたしにも解るように美優が付け加えた。ああ、そう、と曖昧に頷くに留めるしか無かった――これが歳相応、と云うヤツなのだろうか。美優からはあの眼を通してひしひしと面倒そうな感じが伝わってくる。
雅と話していると、他の生徒たちもちらほらとやってくる。男女問わず、彼女は明るく挨拶を交わしていた。自然、クラスメイトやその友人があたしともひとつふたつと言葉を交わす。夏休み明けに入って来た新顔に対しても嫌味な顔をするのでも無く、雅のようにやたらと親し気にする訳でも無く、あれこれと訊かれる事も無かった。外は暑いだとか宿題がどうのだとか部活の大会がどうだったとかと話していく。雅のように名乗らない生徒は名前すら解らないけれど、それでも何人かは印象に残った。
「こっち引っ越して以来、ずっと療養生活だったの。それで、こんな時期から」
生まれつき肺を心臓を患っていて、それで……と云う嘘が体面上のあたしを覆う。これまであまり学校に出て来られずに、桜庭に来ての療養で何とか外に出歩けるようになった、と設定してあった。この躰に関わるコトはかかりつけ医からのストップがかかっている事になっている。
「へぇ、大変だったんだねぇ。それで美優ちゃんとも知り合ったのか」
雅はいちいち同情してくれる。全くの作り話はあたしの胸にひっかかりを残した。
「私も似たようなものだから……今回ので随分長い間、入院しちゃったけどおかげで友達が出来たんだって思ってる」
打ち合わせ通りに美優も合わせてくれる。美優に久しぶりに会った何人かのクラスメイトは心配そうに声を掛けていた。
「紗羅ちゃんもすっごい色白だもんねぇ、でもそう云うワケかあ。大変だったんだ」
雅は的外れな解釈をしてしまう。ええ、外にあまり出られなかったから、とあたしは同調しておく。本当のところは、単に日焼けしない偽物の躰だからだ。
「うっわあ、また凄い美人さんだ。白羽さん、よろしく。須藤真由美です」
雅の後ろの席に荷物を置いた、赤縁の眼鏡の女子生徒が身を乗り出してきた。偽物の躰は、理想的な見た目をあたしに提供してくれる。そんなこと無いわ、と愛想笑いを浮かべる。ところが次の――「本当、お人形さんってレベル」雅の言葉にはひやりとさせられた。ただの形容、ただの比喩が私を的確に云い当てていた。
趣味を訊かれて読書と答えると、その真由美がすぐに鞄から文庫本を取り出した。それなりに読書家なんだよね、と雅が評した。
「誰読んでるの? ウチは……」
聞き覚えの無い名前だった。妙な元気さが滲むあたりに本好きな事は伝わったけれど、挙げられる名前はどれも知らない作家のものばかりだった。そこで真由美は作家では無く本の名前を挙げてくれるのだけれど、やはり知らない。あれ確かこの夏に映画化されたっけ、と雅の方が話を持っていく。
『ねぇ、有名な作品?』
あたしは霊義眼を通して美優に問いかける。
『……うん、たぶん……? 読書って云っても――』
「紗羅ちゃんって何読んでるの?」
戸惑い気味な美優が雅に遮られる。「あたしはそう――」と幾つか題名を挙げた。美優から貸してもらって読んだ本だった。
真由美はきょとんとして雅と目を合わせる。ほおお、と雅は雅で嘆息していた。
『真由ちゃんの趣味とは違ってるかな、うん、そういう作品。七〇年も昔の作品ばかりだから、私はともかく』
美優の無言のメッセージは要領を得ない。知らないの、と尋ねると真由美は席に腰を下ろしてかぶりを振った。真由美が一瞬で放ったあの妙な覇気のようなものは、その熱が褪める時も一瞬のようだった。
「その手のは神崎さんの方だ。ウチは難しい本は読まないからな、本って云っても広い」
真由美のぼやきに、美優は困ったように『そんな難しいワケでも無いんだけど』と文句をつけた。齟齬以上のズレか、お互いに棘のある口ぶりなように聞こえた。
「真由美の好きなのは、どっちかって云うとラノベ系なんだよね」
雅からは聞き慣れない単語が飛び出してくる。……ああ、そうだったの、とだけ話を合わせておいた。
……微妙な、本当に微妙な、食い違いのようなモノを感じる。
何人か、雅と仲の良さそうな女子たちが会話に混じってくる。
食べ物の話も音楽の話もどことなく噛みあわないまま、あたしたちはお互いのことを探るようにして紹介してゆく。あたしは半分設定上、半分は美優と薫に影響された趣向だったのだけど、そのどれもに僅かに間がとられる。薫の屋敷に大量にある古道具の類や彫刻の類に至っては、最早鼻白んだ様子に思えた。応答はあるのだけど、どうも首を傾げてしまうか、全く知らないか。
左眼から、その反応が見せかけのモノなのか本当のモノなのか、彼女たちの機微から根拠は無く解ってしまう気がした。それは美優も同じようで、声に出さない会話があたしたちの頭のなかだけで交わされることが増えていく。
美優にしても、どことなく――何か想像と違っているような感じ。その思考はするりと逃げるばかりで上手く纏まらない。美優自身が違っているのでは無くて、もっと――美優では無く――。
ああ、もう、思考が。これも風宮独特のもの……? ボウ、とあの居心地の悪い耳鳴りがした。ガラ、とひと際大きな音と共に恰幅の良い壮年の男性教師が教室に入ってきて、うまく噛み合わない会話は自然と立ち消えになった。黒板の上の素っ気ない時計を見ると、僅か十数分しか経っていなかった。
妖を斬るよりも疲れそうね、とあたしは独り頭の中で呻く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます