頁弐拾

 青年に案内されたのは、僕達のいる安宿とは比べ物にならないほど位の高い、純和風の高級宿でした。

 


「先程は、大変失礼しました」


 招かれた部屋で、愛依子さんは深々と頭を下げました。


「人前で、あのような醜態を晒すなど……」


「いえいえ、大丈夫ですよ。そうですよね、白咲さん?」


「私が聞きたいのは一つだけ。貴女、?」


「それは、その……。冨季地ときじ、少し外してもらえるかしら」


「あいよー」


 男性は手を振ると、外へと出ました。


「出来れば、貴方も……」


「彼なら平気よ。事情は知っているもの」


「そうですか……。では、お話しますね」


 視線を逸らし躊躇いを見せながらも、彼女は口を開きました。


「まず、貴女の魂の色は、澄んだ海のような綺麗な青です。思わず見惚れてしまうほど。でも、それと裏腹に、貴女の過去は陰鬱な、血に塗れたものです。その赤黒い血が、貴女の魂の奥底に流れている。怒りと憎しみと、復讐心。それが貴女の魂を穢している」


「…………」


「私には分かります。本当の貴女は、献身を望んでいる。自らの身体を滅ぼすような復讐ではなく、世のため、人のために生きる事を夢見ている。ならば、躊躇わずに貴女はそれを成せばいい。だってそれが、貴女にとって一番の──」


「黙りなさい」


 その時の白咲さんの声は、今まで聞いた事が無いほど低く、圧を感じました。


「ええ。貴女が、本物の千里眼だという事は認めましょう。でも、私の過去を見たぐらいで思い上がらないで。確かに、私は『誰かのために生きる』……それを望んだ事がある。でも、そんなものはただの夢よ。今の私は、不死者を殺すためだけに生きている。貴女の戯言に、これ以上耳を貸す理由なんて無い」


「そんな、私は」


「もういいわ。行きましょう、春君」


「え……、は、はいっ」


 早足でさっさと出ていく白咲さんを、僕は慌てて追いかけました。


「あの、お邪魔しました」


「……はい……」


 愛依子さんは、白咲さんの言葉に酷く落ち込んでいるようでした。

 その金色の目には、微かに涙が浮かんでいました。


──────


 次の日、僕達は二手に分かれ、不死者の情報を集めていました。


「あのっ」


 突如、僕は袖を掴まれました。驚いて目を向けると、そこには肩で息をする愛衣子さんがいたのです。

 

「今、お一人ですか?」


「はい、そうですが……」


 縋りつくようなその目に、僕はただ事では無いと感じました。


「お話したい事があるのですが、ついてきてくださいますか?」


 カフェーに入り、珈琲を頼んで僕は彼女の話に耳を傾ける事にしました。


「話、とは?」


「あの人について、です」


「あの人って、白咲さんの事ですか?」


「はい……」


 キッとどこか睨むような目で僕を見ると、


「貴方は、彼女がこのまま破滅してもいいのですか?」


 そう切り出しました。


「破滅、とは?」


「このまま復讐を続けると、彼女は無念の死を迎える事になります」


「……どのような?」


「自分で、自分の胸を短剣で貫くのです。──自身の手足を奪った、仇の前で」


「…………」


 愛依子さんの顔は真剣そのもので、冗談で無い事は一目で分かりました。


「それが、私の見た未来です。……あんな、あそこまで酷い目に遭った末の、復讐の結末があれでは、あまりにも救われません」


「白咲さんが、自分の胸を……」


 愛衣子さんの言葉を反芻してみましたが、白咲さんが自害する姿など、微塵も思い浮かべる事は出来ませんでした。


「それは、本当に起こる事なんですか?」


「残念ながら。……ですが、これは、の話です。行動が変われば、未来も変える事が出来ます」


「本当に?」


「ええ。私が見るのは、『辿る可能性が高い未来の一部』です。現在の行動を変えれば、自ずと未来も変わります」


「それを試した人はいますか?」


「はい、行動によって未来を変えた人は大勢います。『お陰で助かった』とお声をかけてもらった事もあります。……でも、私の家族だけは……」


 突然、彼女は静かに泣き始めました。


「私が、もっと強く言っていれば……家族を救えたかもしれないのに……」

 

 彼女を見て、僕は村での白咲さんの言葉を思い出していました。


『別にいいわよ。旅人に悩みを相談する人は結構いるもの。だってどうせ、すぐにいなくなる存在だからでしょうね』


 確かに、『見知らぬ他人だからこそ初めて打ち明けられるものもあるのだろう』と僕は思いました。


「すみません。いきなり泣いたりして……」


「……大変だったんですね」


「『その気持ち、分かるよ』とは言わないんですね」


「え?」


「貴方も家族がいないのに」


 どうやら彼女は僕の過去も見たようです。その目が、同情を語っていました。


「境遇が似通っていようと、辿った道は違いますから。そう簡単に言えませんよ」


「……優しい人」


 涙を拭くと、愛依子さんは軽く呼吸を整えました。


「昨日の事、彼女に謝ってもらってもいいですか? ……私、いつもこうなんです。つい深入りしすぎて、相手を怒らせてしまう」


「昨日は、かなり怒っていたせいで怖い人に見えてしまったと思いますが、本当は優しい人ですから。誠意をもって話せば、ちゃんと分かってもらえると思いますよ」


「そうでしょうか……?」


「はい」


 僕が頷くと、彼女は胸をなでおろしたようでした。


「ありがとうございます。こうして、貴方と二人で話せて良かった。私の見た色に間違いはありませんでした」


「色、というのは魂の色の事ですか?」


「ええ。そうですよ」


「あの、……僕の魂はどんな色をしているんでしょうか?」


 最初にも言いましたが、錬金術師の才能は魂の色で分かります。

 寒色は物理的錬金術に秀で、暖色は概念的錬金術に長け、中性色はその両方。

 主に目の色で見分けますが、それが絶対に正しいという訳ではありません。

 視魂鏡しこんきょうという、魂の色を判別する特殊な鏡に写し出された色が、本来の魂の色です。

 つまり千里眼の彼女は、生きた視魂鏡しこんきょうと言えるかもしれません。

 ともかく、錬金術師を目指す僕にとって、それはとても大事な情報でした。


「貴方の魂の色は若紫です。立華さんの魂が澄んだ海なら、貴方は夕暮れか夜明け、狭間にしか現れない郷愁を誘う空の色。貴方達の色は、両方見た事が無いほど綺麗ですよ」


「そ、そうですか……」


 僕は少し照れてしまいました。

 だけど同時に、『自分には才能がある』とはっきり認識出来て嬉しくもありました。

 若紫は中性色ですから、僕には両方の才能がある事になります。

 ……薄い色なので、そこそこですが。

 

 逆に、白咲さんは青で寒色なので、物理的錬金術に秀でている事になります。

 ここで、僕は違和感に気付きました。

 白咲さんの目の色は赤です。ええ、目の色と魂の色が違う事は稀にあります。

 ですが、赤と青という丸っきり正反対の色は有り得ません。有り得ないはずなんです。

 

 僕がその疑問をぶつけようとした瞬間、


「……だから、そんな色をした貴方だから、声をかけたのです。立華さんの復讐を今すぐ止めてください。貴方のためにも。彼女が、大切なのでしょう?」


 彼女の言葉に遮られてしまいました。


「申し訳ありませんが、それは出来ません」


 僕はそう答えました。


「どうして? 貴方はこのまま、彼女を破滅させる気なのですか?」


「いいえ。僕はそのつもりもありません」


「なら!」


 顔を上げた彼女に、僕は一つ一つ、言葉を選びながら話しました。


「白咲さんの歩む『復讐』という道は、破滅に向かう残酷なものに映るかもしれません。ですが、救われた人がいるのも確かです。何しろ、僕がそうですから。……だから僕は、彼女の意思を尊重したい。もしも、その結果彼女が道を踏み外そうになったら、僕が命を懸けてでも止めます。まだ未熟者ですが、僕にだってそれくらいは出来ると思うんです。……それでは、駄目でしょうか?」


「貴方は……そんなにも……」


 愛依子さんは絶句しているようでした。……それもそうでしょう。

 流石に僕でも、そんなものは馬鹿の戯言だと思いますから。

 しかし、当時は本気で言いましたし、そう思っていました。


「話はこれだけですか?」


「はい。……あの、個人的な事なのですが、尋ねてもよろしいでしょうか?」


 途端に、彼女の顔は紅く染まりました。


「何でしょう?」


赤鷹汐瀬せきたかしおせという男性をご存知ですか?」


「いいえ。……失礼ですが、どのような関係なんですか?」


「文通相手、なんです。……昔、立ち寄った港町の砂浜で、瓶に入った手紙を見つけ戯れに返事を書きました。一回きりだと思ったのですが、拠点としている場所へすぐに返事が来て。あまりにも内容が面白くて、どちらかが飽きるまで続けようと思ったのです。手紙を交わしていく中で、彼が誠実で優しい人だと分かりました」


 珈琲を飲みながら、愛衣子さんは楽しそうに語ります。


「私は、見ただけで目の前の人がどのような人物か分かってしまいます。だから、言葉を交わさないと相手が分からないというのは、初めての経験でした。……実は、彼の住所がこの近辺なんです。だから付き人に──冨季地ときじに無理を言って、今回の出店をこの町にしてもらいました。明日は丸一日休みなので、その時に会いに行こうと思っています。これは内緒なんですけどね。驚かせたくて」


「そうですか。会えるといいですね」


「はい!」


 笑顔で返事をすると、彼女ははっ、と何かに気付いたのか時計を確認しました。


「いけない、休憩時間が終わっちゃう。……私の話を聞いてくださり、ありがとうございました。お陰ですっきりしました」


「いえ。頑張ってくださいね」


「……はい!」


 町中を駆けていく彼女を、僕は微笑ましく思いながら、窓越しに眺めました。

 そのあとも情報収集に努めましたが、結局めぼしい情報は得られず、宿へ戻りました。

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