頁弐拾参

 それからしばらくの間、本棚の本を借りて読んでいたのですが、ふと何かの気配を感じました。

 上手く言えませんが、はっきりした輪郭はなく、何処となく背筋がぞわぞわするような気配でした。


「…………? あの、白咲さん」


「何?」


 僕の呼びかけで、白咲さんが書物から顔を上げます。


「この家、何かがいませんか? こう、背筋がぞわぞわするんです」


「ぞわぞわ? ……確かに、言われてみればそんな気配がするわね」


「逸弥さんは工房に籠っているようですし、他にも誰かいるんでしょうか……?」


「おそらく、家事用の機械人形オートマタでもいるのでしょう。どう考えても彼女一人では生きて行けそうにないし、居てもおかしくないわ」


「そうなんでしょうか……」


 他人の家──しかも主がいる家を探索する気にもなれず、そのまま僕達は食事を頂いたあと、眠りにつきました。


 次の日の朝。何か、小さな女の子の笑い声のような音で僕は目を覚ましました。

 同じように目覚めた白咲さんも、僅かに眉をひそめていました。


「……彼女、一人暮らしですよね?」


「家族がいるなら紹介しているはずよ。……この家、何かがあるのかもね」


「……」


 僕はごくりと唾を飲み込みました。

 そしてこの少しあと、その正体を知る事となったのです。


──────


 僕達が使わせてもらっていたのは、二階の部屋でした。

 逸弥さん曰く、患者用の部屋だそうです。

 え? ……山道の家まで義肢を作って貰いに人が来るのか? ですか?

 おそらくほどんど、というかまったく来ていなかったと思います。

 だって、二つあるベッドは両方埃を被っていましたから。

 ろくに掃除もせずほったらかしていたのでしょう。

 聞けば、彼女は往診が主だったそうです。

 なので、そもそも使う機会自体がなかったのかもしれません。


 話を戻して。一階へと降りると、二人分の朝食が出来ていました。

 逸弥さんは、未だに工房に籠っていたようなので、そのまま白咲さんと頂きました。


 食後、暇を持て余し……もとい、手伝える事が無いので再び本を読んでいたのですが、また例の気配を感じました。

 どうしても気になって見回すと、部屋の隅にちらりと栗毛色の三つ編みが覗きました。背丈は小さな子供のようで、逸弥さんでない事は明白でした。


「僕、少し別の部屋を見てみますね」


「あまり騒がないようにね」


「分かってますよ」


 そこまで行くと、左の壁の下を半透明の踵が通っていくのが見えました。

 そして吸い込まれるようにして、その踵は消えました。


「まさか、幽霊?」


 僕はすぐにそう思いました。

 壁の隣にあった扉を開けると、そこは本棚が四方を囲んでいました。

 まるでいつか訪れた図書館のようで、感嘆のため息をついたのを覚えています。

 ですが、例の三つ編みと踵の主の姿はありませんでした。


 ……いいえ。あのぞわぞわとする気配は、消えていませんでした。

 くすくすと耳元で誰かが笑いました。驚いて振り向いても、誰もいません。

 そんな僕の後ろで、またくすくすと誰かが笑います。

 二、三回ほど繰り返し、このままだと埒が明かないと考えた僕は息を吐きました。

 そして、わざと後ろに倒れ込みました。

 同時に息を呑む声。うっすらと見えた腕を掴むと、


「捕まえた」


 僕は思わずにやりと笑いました。半透明にも拘らず、腕には実体がありました。


「あ……」


 その子は、栗毛色の髪をおさげにしていました。小麦色の腕は細く、背丈はまだ十にも満たない子供のようでした。

 茶色の、まるで胡桃のような目が戸惑っていました。服も茶色が中心で、とにかくそれが特徴的な子でした。


「どうしたの?」


 僕の倒れた音を聞きつけて、白咲さんと逸弥さんが駆けつけました。逸弥さんは僕が腕を掴んでいる女の子を見ると、「あちゃー」と項垂れました。


「あんなに人様に見つかるんじゃないよって言ったのに……」


「だって、お客様よ? あなた以外の人間に会えるのって、凄く珍しいんだから!」


「ああ、もう、こいつは……」


「あの、逸弥さん。この子は一体……」


「……ブラウニー。英国に伝わる妖精の名前だよ。まあ、こうなったら白状するしかないよね。──私、魔法使いなの」


──────


「さて、何から聞きたい?」


 居間のテーブルの席に座ると、逸弥さんはそう問いかけました。


「つまり逸弥さんは魔女……なんですか?」


「確かにそうなんだけど、その名前はあまりいただけないなー。どっかの物書きが考えたそうだけど、響きがよろしくない。魔法使いで頼むよ」


 短く笑うと、逸弥さんはブラウニーの頭をこつんと叩きました。


「本当にごめんね。こいつは身の回りの世話をしてくれる便利な妖精なんだけど、結構な悪戯っ子でね。工房だけは立ち入らせてないから、ほとんど見逃してて」


「聞いて、ハヤミは意地悪なの! こんな家すぐに出ていこうとしてたのに、服をくれるどころか勝手に使い魔の契約をしてしまったのよ! おかげで一緒に極東まで来る羽目になってしまったわ!」


 膨れっ面で言うと、ブラウニーはそっぽを向いてしまいました。


「魔術師の間違いではないんですか?」


「まさか。ちょっとだけ見せてあげる」


 匙を手に取ると、逸弥さんはくるりと回しました。

 すると、紅茶に添えた角砂糖が浮かび、匙に合わせて回転し始めました。

 そのままパッと散ってしまうと、ドレスを着た少女の姿になり、お辞儀をしたのです。それが終わると再び角砂糖となり、元の場所へと戻っていきました。


「ね? こんな事、魔術でも錬金術でも出来ないでしょう?」


「……確かに」


 僕と同じように、白咲さんも衝撃を受けていたようでした。


「ただ、今では魔法使いも減っちゃってさ。この国にも私含めて片手で数えられるほど、いや、もう私だけかもね」


 息を吐くと、逸弥さんは匙を置きました。


英吉利イギリスにはまだいると思うけど、あそこは頭固いのが多くてね。百年経っても面白みの無い奴ばかりだよ」


「……今、何と?」


 逸弥さんの言葉の違和感に、僕はそう尋ねました。


「ん? ああ……」


「こう見えて二百歳は超えているわよ。魔法使いだもの。当然よ」


「あっ馬鹿、女性の歳をばらすな!」


 連続で頭を叩かれたせいで涙目になっているブラウニーもほぼ目に見えないほど、叫ぶ事さえ忘れるほど、僕は驚いていました。

 それでもどうにか気を取り直すと、心配になって横目で白咲さんを見ました。

 白咲さんは、腰に忍ばせた銃を取ろうとしていました。


「貴女は、殺せば死にますか?」


 白咲さんがそう問いかけます。


「うん、死ぬよ。潤沢な魔力のおかげで寿命を先延ばしにしてるだけだから、殺されたら簡単に死ぬとも。私は魔法使いだけど、不死者じゃないからね」


「不死者を知っているんですか!?」


「まあね。……もしかして、君達は不死者を探しているのかな?」


「はい、そうです」


「どうして?」


「……復讐のために」


「そう。その手足が関係しているんだね?」


「そうです」


 不穏な空気が取り巻いていました。

 ブラウニーと僕は間に入れず、ただ見守る事しか出来ませんでした。


「なるほどね。それなら、私は君に謝らなくちゃいけないな。……奴は、透無虚鵺とうむからやは、私達と同じ『魔法使い』なんだから」


「……どういう事ですか?」


 睨みつける白咲さんの視線を居心地悪そうに受け止めると、逸弥さんは絞り出すように語り始めました。

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