頁肆拾捌

 速貴さんの家に辿り着いたのは、夕暮れの頃でした。玄関は鍵が開いているのに中は薄暗く、何処か不気味に感じられました。


「入るわよ」


 呼びかけて、白咲さんは早足で奥へと向かいます。少し遅れて続くと、誰かの怒鳴り声と金属がぶつかる音が数回聞こえました。


「白咲さん!?」


 慌てて音のする部屋に飛び込むと、錬成刀を構える白咲さんと、その足元に倒れている速貴さん。そして


「貴方は……!!」


 包丁を持つ、あの男性がいました。


「ふん、遅かったな。どうせ、お前らもこれが欲しかったんだろう?」


 男性は懐から指輪を出しました。それは銀色で飾り気のない質素な物でしたが、中心に小指の爪ほどの赤い石がついていました。


「それは……」


「──『賢者の石』」


「『賢者の石』……あれが!?」


 白咲さんの呟きに、僕は大変驚きました。当時、錬金術師見習いだった僕ですら知っている、伝説の石だったからです。


 一旦中断して、『賢者の石』について説明しておきましょうか。

『賢者の石』とは、『完璧な物質である金の生成』『人工的な全知の生命体ホムンクルスの創造』と並ぶ、歴史上の錬金術師達の悲願の一つでした。


 その形は赤い石であると伝えられており、どんな物質でも金に変えられるとも、人間を簡単に不老不死にするとも言われています。

 ですがその存在は夢幻とされる事が多く、実際その時まで僕もそう思っていました。


「返せ……。返せよ、それは……!」


 速貴さんが絞り出すように言います。よく見ると彼の腹部からは血が流れていて、男性の包丁にも血が付いていました。


「春君止血! 早く!!」


「はっ、はい!」


 僕は速貴さんを慎重に抱えて部屋の隅まで避難しました。

 その部屋は錬金術書が散乱しており、中心には大きな術式陣じゅつしきじんが描かれておりました。

 術式陣じゅつしきじんの隣には例の材料が入っていると思われる桶があり、お兄さんを錬成する直前に男性に襲われて『賢者の石』が付いた指輪を取られたようでした。


「知ってるか? これはな、そいつの兄貴が作ったモンなんだ。俺も人伝てに聞いただけだがな……。それよりこいつがあれば、俺は億万長者さ! もう三男坊だからって馬鹿にされる事もなくなる! ははははははは!」


「……そんな、事で」


「ははははははは……は?」


 白咲さんは怒りで肩を震わせていました。ですがその怒気はいつもより沈むような深いものに感じました。


「そんな事で、速貴君を傷つけたの?」


「ああそうとも! こいつには毎回やられてばかりだからな! これも報いだ!」


「報い、と言ったわね?」


「そうだ。報復される覚悟もなしに俺に立て付くから悪いんだよ!!」


「そう。それを聞いて安心したわ」


 白咲さんは錬金刀を構え直すと、


「私も、同じ言葉をそのまま返しましょう。報復される覚悟も無しに、私の兄弟子に手を出すな!!」


 そう吠えて男性へ突進しました。

 ですが男性は慌てる事なく、包丁を手前に構えました。

 そして一瞬の内に、包丁の刀身を三倍ほどに伸ばしたのです。突如縮まった間合いに、白咲さんは跳び退く事で対処しました。

 慎重に間合いを取ろうとする白咲さんを、男性は嘲笑います。


「へへへ、凄いだろ? 掌の刺青と『賢者の石』があれば、こんなの朝飯前だ。錬成速度最速と言われる白咲にも余裕で勝てる!」


 確かに、彼の錬成速度はいつもの白咲さんよりも速いものでした。

 速貴さんの止血をしながら見ていた僕は、背中に冷たい汗が流れるのを感じました。

あの錬成速度だと白咲さんが間合いを詰める前に牽制出来る上に、そのまま銃を使ったとしても盾を出して簡単に防げると思ったからです。

 同じ事を思っていたのか、白咲さんも攻めあぐねているようでした。

 それを見て、傷が開きかねない勢いで速貴さんが叫びました。


「立華! 右の箪笥の三番目の引き出しに、もう一個ある!! 使え!」


「!」


 それを聞いた白咲さんは即座に動きます。


「させるか!」


 男性も一瞬遅れて壁に手を付きましたが、彼が錬金術を発動する前に、白咲さんはもう一つの指輪を手にしていました。

 そして、そのまま引き出しを使い天井と壁の境目に飛ぶと、概念的錬金術で両足を強化して男性に飛びかかりました。

 同時に放たれた刀の一閃は男性を一刀両断したように見えました……が、


「安心しなさい。私はね、出来る限り普通の人間は殺さないようにしているの」


 その言葉の通り峰打ちだったらしく、男性は血の一滴も流さず昏倒していました。


──────


 その後、速貴さんは白咲さんの『賢者の石』を使った治療により、一瞬で怪我が治りました。包丁の刃は内臓まで通っていたようでしたが、『賢者の石』の前では何の障害にもならなかったようで、簡単に傷口を塞いでしまいました。


 男性は、今度こそ司法で裁かれる事になりました。同時に、彼のために様々な隠蔽工作を行っていた町長の父親も逮捕されたとの事です。

 町長は彼の長男が継ぎ、次男がその補佐に当たる事になったのですが、その二人は父親と弟とは違い、信用に足る人物のようで。

 逆に町の人達に歓迎されたそうです。


 そして取り調べなどで三日目はあっという間に過ぎ去ってしまい、旅立つ日がやってきました。


「もう行っちまうのか」


 見送りに来た速貴さんは何処か寂しそうに言いました。


「ええ。やる事があるから」


「そうか。何かは知らんけど、頑張れよ」


「ありがとう」


「あと、こいつは餞別だ。やるよ」


 速貴さんが軽く放り投げた物を、白咲さんは空中でキャッチしました。

 手を開くと、そこには『賢者の石』の指輪がありました。


「……いいの?」


「ああ。お前の方が絶対上手く使えるだろ。幸守だって、きっとそうしたはずだ」


 少し考え込む素振りをしたあと、速貴さんは真剣な面持ちで言いました。


「オレは、……いいや、ボクは。正直まだ、幸守の錬成は諦めていない。止められても、出来なかったとしても。けどさ、前みたいに『賢者の石』を頼るのはいい加減止めようと思うんだ。もちろん、これが無いと錬金術は使えないんだけど、そうじゃなくてさ」


 右手の中指に煌めく『賢者の石』の指輪を撫でて、彼はきっぱりと宣言しました。


「ボクは、幸守であろうとする事も、『賢者の石』を拠り所にするのも止める。ボクは、ボクのやり方であいつに追い付いてみせる。きっとそれなら、あいつも納得してくれると思うから」


「……ええ、そうね。貴方はきっと、その方が似合うわ」


 白咲さんの声は、とても穏やかでした。

 同時に、その眼差しはとても眩しいものを見ているようでした。


「それじゃあ、もう行くわね。春君」


「はい」


 手を振る速貴さんに見送られて、僕達は旅立ちました。空は晴れやかで、僕達の道行きを照らしてくれているようでした。



 ……そのあと、透無虚鵺とうむからやに次ぐ恐ろしさを持つ不死者に出会うとも思わずに。

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