頁弐

 食器を片付けると、白咲さんは錬金術の話を始めてくれました。


「……さて。まず、錬金術の事はどのくらい知っているの?」


「えっと……。錬金術とは、魔術から派生し科学へと至る過程にある技術の事で、術式陣じゅつしきじんにより行使される理論に基づいた」


「長い。それ、あの本の受け売りね?」


「う。そ、その通りです……」


術式陣じゅつしきじんを用いる事によって、錬成や入魂にゅうこんを行う技術、で十分よ。錬金術の体系は二つに分かれている、という話は分かる?」


「はい、本に書いてありました。目に見えるものを扱うのが物理的錬金術、見えないものを扱うのが概念的錬金術……ですよね?」


「その通りよ。具体的な例を挙げると、物質変化や怪我の治療などが物理的錬金術、機械人形オートマタへの入魂にゅうこん……つまり動作入力や、身体能力の強化などが概念的錬金術となる。まあ、これは基本的な知識だわ。知っていて当然ね」


 今となっては有耶無耶にされてしまいましたが、当時はこのようにはっきりと錬金術は体系化されていました。

 これが当時の常識だったのです。


「あの、錬金術師になるためには、養成学校に通う必要があるんですよね?」


「確実な方法を取りたいならね。現に、私は通ってないわよ」


「えっ。なのに、錬金術師の資格が取れたんですか?」


「資格を取るだけなら、国家試験に合格するだけで十分よ。独学だろうと、弟子入りだろうと、そこまでの知識と実力を積めばいい話なの」


「そうなんですか……。知りませんでした」


「結構勘違いされる事だものね。そもそも、錬金術を習ったからと言って、必ずしも資格を取らなければならない訳ではないのよ? 現に、医者や鍛冶屋には錬金術が使えるけど資格はないって人が多いし」


「なるほど……」


「でも、研究のために国から援助を受けたい場合や大学の研究所に入りたい場合には必要になるわね。あとそれ以外にも、錬金術師の資格が有利になる仕事は山ほどある。貴方はどちらなの? 手段として錬金術を習いたいのか、錬金術師となるのが目標なのか」


 白咲さんが提示した二択を、僕は少し迷いながら選びました。


「……まだ、漠然としか考えていませんが。僕は、錬金術師になりたいと思っています。錬金術師になって、皆に恩返しがしたくて。いや、別に錬金術師にならなくても出来るのは分かっています。だけど、取り柄のない僕にはどうやって恩返ししていいのか分からなくて。そんな時に判道さんに出会い思ったんです。あの人みたいに錬金術で皆の役に立てたらな、と」


「なるほどね。……その判道さんという人に弟子入りはしないの?」


「…………断られました」


 その一言を絞り出すのに、少しだけ時間がかかってしまいました。

 断られた時の悔しさがこみ上げてしまったのです。


「何故?」


「僕の目の色です。才能が無いと、はっきり言われました」


 当時、錬金術師の才能の有無は魂の色──それを映し出す目の色で分かると言われていました。

 寒色は物理的錬金術、暖色は概念的錬金術の才能があり、中性色はその両方。逆に黒や茶は才能が無い、あるいは凡人。

 更に、目の色が明るいほど錬金術の才能に溢れている……とされていました。

 迷信のように聞こえますが、これが中々的を得ているのです。


 そして僕の目の色は茶……に近い色です。

 というのも、当時の僕は色の名前に疎く、自身の目の色を表す名称が分からなかったのです。


 説明すると、暗い赤紫のような色です。……見えませんよね。

 ええ。よほど近寄らない限り茶にしか見えないので、周囲の人達は茶だと思っていたでしょうし、僕も茶だと言っていました。更に僕はこのはっきりしない目の色が嫌で、わざわざ度の入っていない眼鏡を掛けて隠していたのです。


 ……今は、流石に本物ですけどね。

 だけどそんな事をするくらい、当時の僕にとっては嫌いなものでした。


「……そう。残念ね」


「はい。だから、諦めようと思ったんです。思ったのに」


 どうにか堪えようとしていましたが、視界は既に滲んでいました。


「まだ惨めに縋りついている。この夢を捨てきれていないんです。……駄目ですね、僕。はは、本当にどうしようもない」


「そうかしら」


「え?」


 予想していなかった言葉に顔を上げると、白咲さんは僕の目を真っ直ぐ見つめて言いました。


「貴方の夢は、貴方だけの物よ。たかが他人に『才能が無い』と否定されただけで諦めがつく夢なんて、最初から無い方がいいわ。……でも、貴方は違うのでしょう? なら、諦めないで。才能が無くても、努力し続けたのなら少しは近づけるかもしれないわよ? そうね……私の、足元くらいには」


「白咲さん……」


 冗談とも取れる言動に、僕は少し笑ってしまいました。

 眼鏡を外して涙をぬぐったその時、


「あら。いや、でも……もしかしたら……」


 僕の目を見て、白咲さんはぶつぶつと独り言を始めました。


「白咲さん?」


「そのままじっとして。よく見せて」


 そう言うと彼女は身を乗り出しました。

 そして、僕の顔に手を添え、至近距離で僕の目をじっと見つめてきたのです。


「え、な」


「動かないで」


「は、はいっ」


 人と、しかも異性と近くで見つめ合った経験などまるでなかったので、あの時は本当に焦りました。

 胸が高鳴っていましたし、顔も火が出そうでした。もしかしたら、白咲さんの手に熱が伝わっていたかもしれません。

 ああ、今思い出すだけで顔が火照ってきました。すみません。


 その時見た白咲さんの目は、くらくらするほど綺麗な赤で、思わず魅入られてしまいました。夕日も、林檎も、紅玉も、燃え盛る炎でさえ彼女の目には劣るでしょう。


 今でも僕はそう思っています。


「……うん、分かったわ」


 見つめ合い始めて、一分かそこらは経ったでしょうか。

 佇まいを直すと、白咲さんは僅かに柔らかな目線で僕に告げました。


「貴方の目は、葡萄色えびいろよ」


「葡萄色?」


「そう、山葡萄の色。どちらかと言うと暖色に近いかしら。でも紫の一種でもあるから、もしかしたら物理的錬金術の才能もあるかもしれないわね。どちらにせよ、視魂鏡しこんきょうで確認すれば分かると思うわ」


「……じゃあ」


「ええ。貴方には錬金術の才能がある。……それは、私が保証する」


「白、咲、さん……」


 人生で、その時ほど嬉しい事はありませんでした。


 白咲さんは、僕に「才能がある」と言ってくれた。判道さんのようにたった一瞥で切り捨てる事なく、しっかりと目を見て僕を認めてくれた。

 その事が、いつも疎外感や孤独を抱え込んでいた、卑屈で臆病者だった僕を壊してくれたのです。


 ……すみません。少し熱くなってしまいましたね。

 ですが、僕はその一言にとても救われたのです。


 僕は白咲さんの言葉に対して、ぼろぼろと涙を流してしまいました。

 お礼を言おうにも、情けない嗚咽しか出てきません。


「これくらいの事で泣いてどうするの」


「すみません、でも本当に嬉しくて……っ」


「これはただのお節介。貴方がそれほど気にする事ではないわ」


「いいえ。僕にはとても大事な事です。……ありがとうございます、白咲さん」


「そう。助けになれたようで良かったわ」


 彼女の姿が見えなくなっても、僕は食卓に突っ伏して泣き続けました。

 それはとても心地よい、嬉し涙でした。

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