記録一覧

第一話『彼女との出会い』

頁壱

 とてつもなく長い話になりますがよろしいでしょうか? ……そうですか。

 僕が彼女に出会ったのは、もう数十年も前の事です。

 ですが、彼女と旅をしたあの年月は今も色鮮やかに思い出せますし、得難い体験として僕の血肉となっています。


 今から話すのは、そんな僕が見た『彼女』のお話です。


──────


 あれはまだ元号が大正の頃で、僕は十八になったばかりでした。

 僕の故郷は名も無い小さな農村で、豊かではありませんでしたが、優しさに満ち溢れていました。

 実は、僕は幼い頃に流行り病で両親を亡くしていまして。

 村の皆が養ってくれなければ、僕は両親の後を追うしかなかったでしょう。


 その事を恩と感じていた僕は、畑仕事などの合間に錬金術の勉強をしていました。

 当時の錬金術師は大変儲かる仕事でして、引く手数多の花形でした。

 そういう訳で勉学に励んでいた僕は、春の終わり頃に彼女と出会ったのです。


 その日は大時計の前に大勢集まっていて、僕も気になってそこへ向かいました。

 ああ、大時計というのはその名の通り、村のどこからでも見えるほど大きな時計台の事です。

 厳かな鐘の音で村人達に時刻を知らせる、とても大事なものでした。

 その大時計の下に行くと、人々がうろたえている様子が見えました。


「何かあったんですか?」


 そう近所のお爺さんに尋ねると、彼は髭をさすりながら教えてくれました。


「時計が止まってしまってな。これでは時間が分からん」


 見上げると、確かに秒針が同じ所で足踏みしていました。

 時計の代わりに太陽の位置で大体の目安を付けようにも、その日は生憎曇りでした。

 お爺さんは、先程からずっとこの調子だとも教えてくれました。


「あの人はいないの? 錬金術師さんは」


判道ばんどうさんなら、町に行っているそうよ。早く帰ってきてくれるといいんだけど」


 僕の前で、近所の小母さん達がそう話していました。

 判道さんというのは、その大時計を作ってくれた錬金術師です。

 五、六年前に他所から来た人で、錬金術を使って物を直してくれたり、怪我を癒してくれたりする、とても親切な人でした。


 ですが、判道さんは錬金術の研究のためだと言って時折近くの──と言っても、徒歩で半日はかかるような距離の町へ──自分の車に乗って行く事がありました。

 間の悪い事に、その日も町へと出ていたのです。


「どうしたんですか?」


 皆が判道さんの帰りを今か今かと待ちわびていた時、僕の後ろから少女の声が聞こえました。聞き覚えのないその声に振り向くと、そこに『彼女』はいました。


 一見すると、歳は十四、五ほど。肩に少しかかるくらいの黒髪を持っていて、無表情ながら整った顔立ちをしていました。目の色は鮮やかな赤です。


 華奢な体には些か不釣り合いな大きな黒い上着の袖からは、白手袋が覗いていました。隣には、彼女の腰ほどもある機械仕掛けの犬が行儀よく座っていました。


 彼女がこの村の人間でない事は確かなのですが、何故こんな村へ来たのか分からずに、僕は困惑してしまいました。


「この時計が、止まったきり動かなくなっちまったんだよ」


 誰かがそう説明すると、彼女は一言「見せてください」と言うなり、人の波をかき分けて大時計の前へ出ました。

 そして、躊躇いもなく整備用の扉を開けてしまったのです。


 何人かが止めようとしましたが、彼女が「静かにして」と言うと、その堂々とした態度にあっさりと身を引いてしまいました。

 彼女はその小さな扉に上半身を突っ込み、茶色の肩掛け鞄から様々な物を出し入れしながらゴソゴソと作業していました。


 しばらくすると、時計の短針と長針が動き始めました。

 カチッという音と共に止まると、今度は秒針がいつも通りに動き出しました。


「ふう」


 顔を出すと、彼女は僕達に何があったのか説明してくれました。


「一部の歯車が、元にあった位置からずれていました。おそらくこの前あった地震のせいかと。そのぼろが出てしまったようですね。あと、術式陣じゅつしきじんが掠れていたので書き直し、時間も正確なものに合わせました。これで、もう何年かは大丈夫だと思います」


 説明し終えるのと同時に上半身の煤を掃いきった彼女に、


「お前……何者だ?」


 誰かがそう問いかけました。


白咲立華しらさきりつか。錬金術師で、旅をしています」


 無表情のままそう名乗ると、彼女……白咲さんは数日ほどこの村に滞在させてほしいと言いました。曰く、次の町へ行く前に一休みしたいと。


「そっ、それなら、もしも良ければ、僕の家に来てくれないか?」


 僕は勇気を出して彼女に話しかけました。

 一度でいいから、判道さん以外の錬金術師と話してみたかったのです。

 皆が「そうした方がいい」と言ってくれたおかげか、彼女は二つ返事で了承してくれました。


──────


 二人で家に向かう道すがら、僕は白咲さんに自己紹介しました。


「僕は明哉春成あきなりかずしげ。立華ちゃんは……」


「『立華ちゃん』ですって? ……貴方は、いくつなの?」


 白咲さんに睨まれ、僕はたじろいでしまいました。凄く迫力があったのです。


「十八だけど……」


「なら、『白咲さん』と呼びなさい。私は、貴方より年上よ」


「まさか」


 冗談かと思って笑うと、白咲さんは鞄から取り出した物を僕に突きつけました。

 それは、国家から正式に『錬金術師』を名乗る権利を認められた免許証でした。


 ええ、ご存知かと思いますが、錬金術師を名乗るためには国家試験を合格しなければなりません。その試験に合格した証……という事ですね。

 僕は一度判道さんにそれを見せてもらった事がありまして、その時に偽物を作ったり、偽証する事は出来ないと聞いていました。


 彼女の持っている免許証は本物で、しかも生年月日欄に書いてある年は、僕が生まれる一年前だったのです。


「……すみませんでした、白咲さん」


「分かればいいのよ」


 すぐに謝ると、白咲さんは表情一つ変えずに頷きました。


──────


 家に着くと、母の部屋へ白咲さんを案内しました。

 母の部屋は我が家で一番綺麗でしたし、女性の白咲さんにとっては一番落ち着ける部屋ではないかと思ったからです。


「そう言えば、白咲さんの荷物はその鞄だけなんですか?」


 気になっていた事を尋ねると、白咲さんはずっと側に控えていた機械仕掛けの犬の頭を撫でました。


「鞄には貴重品や水筒、保存食などを入れているの。着替えなどのかさばる物はこの子が持っているわ。ウィル、オープン」


 白咲さんがパンと手を叩くと、ウィルと呼ばれた犬は即座に姿を変え、旅行鞄になりました。

 僕はそれを見て度肝を抜かれました。動きが滑らかで、少しの不自然さもなかったからです。


「それも、錬金術……なんですか?」


「ええ。ウィルは私が改造した犬型機械人形オートマタよ。流石に、旅行鞄を持ち続けるのは疲れるもの」


「これが機械人形オートマタ……。あの、もっと錬金術のお話を聞かせてもらえませんか?」


「別にいいけれど。その前に、夕食をいただけるかしら?」


「ああ、はい! すぐ準備しますね」


 今では『男子厨房に入るべからず』なんて言う人もいるそうですが、流石に全て他人に頼るのはみっともないと考え、僕はある程度の料理なら自分で作るようにしていました。味ですか? ……普通ですよ。


 その日は客がいるので、いつもより贅沢な夕飯をこしらえました。

 あくまでも僕の主観で、です。常に節制を心掛けていたので、僕の食事は他人と比べると幾分か地味だったと思います。

 ですが、その日は村の皆が色々と差し入れてくれたので、それなりに豪華なものが出来ました。


 白咲さんを呼びに母の部屋へと向かうと、そこに彼女はいませんでした。

 代わりに、ウィルが伏せて尻尾を振っていました。


 もしやと思って父の部屋……僕が普段勉強に使っている部屋に行くと、そこに白咲さんはいました。立ったまま、僕の錬金術書を読みふけっていたのです。


「白咲さん」


 僕が声をかけると、彼女は「あら、勝手にごめんなさい」と悪びれた様子もなく文机に錬金術書を置きました。


「さっきも思ったのだけれど、貴方は錬金術に興味があるの?」


「ええ。いつか錬金術師になりたいと思っていて……」


「そう、それにしては、ずいぶんと古い本を使っているのね。お父様の?」


「……? いいえ、それはこの村に住んでいる錬金術師の判道さんという人から頂いた物です。もう必要ないから、と」


「ふうん」


 そこまで聞くと興味を失ってしまったのでしょうか。

 彼女は話を打ち切り、僕に客間へ案内するように言いました。

 その態度にむっとしつつ、僕は客間に案内して彼女に食事を振舞いました。


 僕の作った料理を、彼女は「美味しい」と言ってくれました。

 嬉しく思い、「本当ですか?」と聞くと、「野宿用の保存食なんかよりはよっぽどね」と返されて、本当に褒められているのか分からなくなってしまいました。


 今思えば、あれは白咲さんなりの誉め言葉だったのでしょう。

 会ったばかりでは知る由もありませんが、彼女はそういう人だったのです。

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