頁弐拾玖

 そしてある日、いつもの喫茶店へ向かうと約束の時間までは何時間もあるというのに、勝智君が座って待っていたのです。


「待たせてしまってすみません。……あの、学校は?」


「今日は学校は休みなんです。だからほら、学生服も着ていないでしょう?」


 椅子を引いて彼は自分の服を見せました。確かにその恰好はいつもの学生服ではなく、上等な生地で作られた着物姿でした。


「いつもの学生服もそうですが、そういった装いも似合いますね」


「ありがとうございます。……それよりも、お話の続きを聞かせてください!」


「ふふっ、分かりました」


 僕はいつものように話を始めました。これは毎日話をする中で気付いた事なのですが、彼は話を聞いているようで、何処か別の何かを気にしているようでした。

 貴方のように全てを残さず聞こうとするのではなく、話の中から目当てのものを探し出そうとしているような、そんな印象を受けたのです。


 ……特に女性が出てくる話に食い付いてくるので、そういう事なのかな、と邪推した事もありましたが……。

 とにかく、その事も踏まえて、僕は彼の話を聞こうと思いました。


「……あの」


「はい!」


「何か、その、悩み事ってありますか?」


「えっ」


「いや、僕の気のせいなら別にいいんです。ただ、いつも話を聞いてもらうのも何だし、たまには勝智君の話も聞いてみたいな、と」


 自分で言っておきながら、僕は少し後悔し始めていました。

 切り出し方が下手なせいで、怪しい事この上ないだろうと感じたからです。


「……では、聞いてもらえますか?」


 ですが、僕の予想とは裏腹に、彼は真剣な表情でこちらを見ました。


「はい、いいですよ」


 頷くと彼は周りを見回したあと、こっそりと耳打ちしてきました。


「ここでは少し話しづらい内容なので、別の場所でお願いしたいんですけど……」


 その様子にただならぬものを感じた僕は、二つ返事で引き受けました。


──────


 彼に案内されて辿り着いたのは、崖の上にある灯台でした。

 

「もう使われていない物で、本当は近づく事さえ禁止されているんですが」


 そう言いながら、彼は懐から鍵を取り出しました。


「友達の家が管理していて、特別に鍵をくれたんです。ここなら、誰にも聞かれずに話が出来ると思います」


 中にある螺旋階段を上りきり、最上階から外に出ると、何処までも広がる海を見る事が出来ました。


「いい眺めでしょう? ここからじゃないと見られないんですよ」


「はい。……とても凄いです」


「良かった」


 柵にもたれかかると、勝智君はふうと息を吐きました。


「それで、相談っていったい何ですか?」


「……ここまで来て言うのもなんですが。僕自身おかしな話だと思っているので、もしかしたら信じてもらえないかもしれません」


「信じますよ」


「えっ?」


「旅をしていると、不思議な事に出会うのはよくある事ですから。だから、どんなに荒唐無稽な話でも僕は信じますよ」


 勝智君はその言葉に固まっていましたが、やがて意を決したのか、


「……ありがとうございます」


 ぽつりぽつりと話し始めました。


──────


「僕には、一人の姉がいました。物心つくかつかないかくらいの、幼い頃の記憶です。姉は優しい人で、両親にも、町の人達にも愛されていました。僕も、姉が大好きでした」


 勝智君の話は、町の人達の証言とは矛盾していました。彼らは勝智君の姉の存在など、一言も口にした事がなかったのです。


「僕はずっと姉と一緒にいられると思っていました。勿論、家の事情から何処かへ嫁いでしまう事があったでしょう。それでも、姉との絆が途切れる事は無いと、そう信じていました。……そんなある日、十年ほど前。姉は突然姿を消しました」


 項垂れた彼の拳は、わなわなと震えていました。


「姉が消えてから一週間後、姉の痕跡は全てなくなってしまいました。……姉は、本当に消えてしまったんです」


「それは本当に突然だったんですか? 養子に貰われたのではなく?」


「養子に貰われたのなら、絶対にそう言ってくれたはずです。でも、そうじゃなかった。いくら聞いても、皆決まって『貴方は元から一人っ子だった』と言うんです。そんなはずがない。もう名前さえ思い出せないけれど、僕には確かに、姉が存在していたんです」


「……そう、ですか」


 確かにそれは、変わった話でした。忽然と消えてしまった姉の話。

 人によれば、与太話だと一蹴されてしまうものでしょう。


「でも、ちゃんと証拠があるんです! 姉が消えた日からずっと、お守り代わりに持っていた二人で撮った写真が! 今となっては、たった一枚の……」


 すると、彼は一枚の写真を取り出して僕に渡しました。

 そこにはセーラー服に身を包んだ五歳ほどの男の子と、ワンピース姿の十歳ほどの少女が写っていました。

 二人とも愛らしい笑顔で、これから離れる運命にあるとは到底思えませんでした。


「明哉さんは、この写真に似た女性を見た事はありませんか? 美しい黒髪と、深い青の瞳をした人です。年齢は二十歳前後だと思います。本当の事を言うと、僕も旅に出て自分で探したいんです。……でも、家を継がないといけないから。だからこうして、旅人さんに聞いているんです」


「そうなんですか……。お姉さんについて、手がかりを得られた事はありますか?」


「……いいえ。一度も、姉を見たという人に出会った事はありません。それでも僕は諦めきれないんです。あと一度だけでいいから、姉さんに会いたい……!」


 最後の言葉は、小さな祈りとなって消えていきました。

 そこから、彼の気持ちは痛いほど伝わってきました。


「もう少し、写真を見てもいいですか?」


「はい、いくらでも」


  僕はどうにか記憶を呼び起こし、写真の少女に似た面影を探しました。

 すると、段々既視感を覚えました。


「もしかしたら、貴方の姉と会った事があるかもしれません」


「本当ですか!?」


 僕の肩を掴むと、勝智君は激しく揺さぶりました。


「落ち着いて、落ち着いて」


「あっ……すみません! つい……。でも、本当に会った事があるんですか?」


「断言は出来ませんが。いつか何処かで見た気がするんです」


 こんな答えでは納得いかないだろうと思ったのですが、彼は輝いた顔で「よし、よし」と呟いていました。


「ありがとうございます……! 希望が湧いてきました!」


 夕日に照らされた笑顔は、あまりにも眩いものでした。

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