第九話『少年の憧憬』

頁弐拾捌

 へえ、先週旅行に。楽しかったですか? ……そうですか、それは良かった。

 旅は良いですよね。自分の知らない土地を見られるだけでなく、自身を見つめ直すいい機会になる。

 僕も、旅を経て成長したという実感を得ると同時に、未熟さも自覚して錬金術の勉強に打ち込んだものです。


 ……そうですね、「旅の話をしてほしい」と頼まれた事も何度かありました。

 僕達は、旅人が訪れそうな場所にはあまり行かなかったので。


 楽しんでもらえる事もあれば、つまらないと一蹴される事もありました。当たり障りのない事を話していたのと、僕自身の語り口が下手なのもあったでしょうが……。


 ああ、今の話で思い出しました。僕の旅の話を喜んでくれた彼の事を──。


──────


 あれはまだ、肌寒い春の初めの頃。僕達が訪れたのは、海風薫る港町でした。

 他国との貿易も盛んなその町では珍しい物ばかり売られていて、露店を見て回るだけで楽しかったのを覚えています。


 そんな僕とは逆に、白咲さんはいつも以上に無表情でした。

 白咲さんは機嫌が悪い時ほど顔に出さない人だったので、すぐに察しました。

 どうしてだろうと考えると、何時か愛依子さんと出会った町で「こういう場所は苦手」と零していた事を思い出しました。


 あそことその町は、とても似通っていたのです。


「…………」


「白咲さん、大丈夫ですか?」


「……宿に戻るわ。貴方はどうするの?」


「僕はもう少し回ってみようと思います」


「そう」


 心配ではありましたが、具合が悪いようでもなかったので、僕は好奇心の赴くまま町のあちこちを巡りました。


 そうして何時間か経った頃、休憩しようと思い喫茶店に入りました。

 席について珈琲を頼もうとすると、


「あの!」


 少し切羽詰まった声で、誰かが話しかけてきました。


「はい?」


 その声の主を見上げると、詰襟の学生服と黒いマントという、当時よくいた格好の男子学生がいました。

 彼は切り揃えられた黒髪と澄んだ青い目を持つ、真面目そうな人でした。


「旅の方とお見受けします。ここ以外の場所も訪れた事がありますか?」


「はい。ありますが……」


「日本全国を旅しているんですか?」


「全国、という程ではありませんが、旅した距離はそれなりに長い方かと……」


「良かった!」


 彼はテーブルに手をつくと、


「僕に、旅の話を聞かせてください!」


 そう迫ってきました。


「え、あ、はい。僕で良ければ……」


 勢いに押されて答えると、「ありがとうございます!」と彼は何も聞かずに僕の向かいに座りました。

 その様子に面食らっていると、彼は何かに気付いたのか突然頭を下げてきました。


「ああ、申し遅れました。僕は瑛孝寺勝智えいこうじかつとしと言います。勝智とでもお呼びください」


「では勝智君と。僕の名前は明哉春成です」


「明哉さんですね、分かりました。よろしくお願いします!」


「こちらこそよろしくお願いします。では、何処から聞きたいですか?」


「旅の切っ掛けからお願いします」


「分かりました。では……」


 珈琲を片手に、僕は旅の話をしました。

 勿論、白咲さんの復讐に関する部分は全て避けています。

 勝智君は、他愛ないものが大部分を占める僕の話を真剣に聞いてくれました。

 ちょうど、今の貴方のように。だけど、彼の方が反応が大きかったですね。

 思わず笑いそうになってしまうくらい。


 そうしてしばらく話し込んでいると、外は夕暮れに染まろうとしていました。


「あっすみません。もうすぐ門限なので帰りますね。また明日聞かせてください! 同じ時間にこの店で!」


 早口で告げると彼は急いで店を出ました。

 最初から最後まで疾風のような勢いで、僕はやや呆気に取られてしまいました。


 しばらくして僕も帰ろうと代金を出すと、店主に返されてしまいました。

 困惑していると、店主はこちらに微笑んで言いました。


「坊ちゃんと話してくれている間は、タダで構わないよ」


「坊ちゃん?」


「ああ。あの子はこの町の名家、瑛孝寺財閥の一人息子でね。私を含め、町の皆であの子を小さい頃から見守ってきたんだよ」


「ああ、それで……」


 僕と話している間、勝智君に微笑みかける人や手を振る人を何度も見かけていたので、その言葉で僕は合点がいきました。

 この町の人々は、彼を心から愛していたのでしょう。その愛情を感じて、僕は和やかな気持ちになりました。


「最近は跡継ぎの重圧からか、ふさぎ込んでいる事が多くてね。あの子の笑顔が見られたのは久々なんだ。だから、それはお礼さ」


「ありがとうございます」


 店主に頭を下げると僕は宿に帰りました。


──────


 部屋に入ると、いつも通り僕は白咲さんに声をかけました。


「ただいま戻りました」


 白咲さんは窓枠にもたれかかり、ぼんやりと外を眺めていました。

 その視線は憂鬱や嫌悪感というよりかは、見守るような、好意的なものように感じられました。


「白咲さん?」


「……春君、戻ってたの」


「はい。先程声をかけましたが……」


「……そう」


 普段なら、声をかけずとも気が付くはずの白咲さんが僅かに驚いているのを見て、僕は違和感を感じました。


「不死者の件ですが、今日は情報を得られませんでした。明日も聞き込みしますね」


「ええ。よろしく」


 その時、ふと白咲さんが胸を撫で下ろしたように見えました。

 今までは、こう聞いた時の白咲さんは落胆するか、すぐに次の場所へ行こうとするかのどちらかだったので、僕は思わず目を丸くしてしまいました。


「……どうかした?」


「あ、いえ、何でもないです」


 ですが、その事に触れるのは気が引けて、話を逸らそうとしました。


「白咲さんはこれからどうするんですか?」


「調子が悪いから、しばらく宿の周りからは動かない事にするわ」


「分かりました」


 この町に来てからずっと白咲さんの様子はおかしく、僕は何かここに特別なものがあるのかもしれないと思いました。

 その勘は、思わぬ所で的中したのです。


──────


 次の日から町中を回りながら不死者の情報を探り、ある程度済んだら勝智君の待つ喫茶店に向かう、という生活が数日続きました。


 不死者の情報はありませんでしたが、勝智君の噂や評価はあちこちで聞けました。

 曰く、「御曹司である事を鼻にかけない好青年」だとか、「瑛孝寺家の当主に相応しい逸材」だとか、「何もかも完璧で皆の憧れ」だとか。

 悪い噂など一つも聞かず、彼の評価は高いものでした。


 ただ、ある事柄に関してのみ、町の人達が言い淀む事がありました。

 それは、兄弟の有無です。その事について言及すると、全員決まって一瞬迷ったのちに「彼は一人っ子だ」と答えました。

 僕はそれが気になって、いっその事本人に聞いてみようと思い立ったのです。

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