頁弐拾漆

 夜、突然郷満さんが僕達の寝床へとやってきました。


「なあ、伊久磨様と何を話していたんだ?」


「少々昔話を。彼がどういう経緯でこの村にやってきたかを聞きました」



「……?」


「全部、聞いたのか?」


「さあ? どうでしょう。ある程度、察しはついていますけど」


 何処か不穏な空気を感じて、僕は嫌な汗が流れるのを感じました。


「そうか……。それを知ってどうするつもりなんだ? もしかして、あんたらも不老不死が欲しいのか?」


「まさか」


 不老不死という単語を聞いた瞬間、いつもの白咲さんの殺意が溢れました。

 郷満さんもそれを感じたのか、息を呑んでいました。


「人間は、年老いて死ぬのが当たり前です。不老不死なんて許されない。『そんなもの』を追い求める者を、私は嫌悪します」


 白咲さんは、そうはっきりと告げました。

 郷満さんはそれに対し、気まずそうに目を逸らしました。


「世の中は、あんたのように強い人間ばかりじゃない。死ぬ事を恐れるのは、生きている以上、当たり前だ。そうだろう?」


「死を恐れてようがなかろうが、生きている限り必ず死にます。終わりは定められているものであって、抗うものではない。何よりも大事なのは死を恐れて逃げる事よりも、最期の日まで悔いの無いよう生きる事だと思っています」


 郷満さんと白咲さんの会話は、何処までも平行線となっていました。

 致命的な部分で食い違ってしまっていて、互いの言葉が聞こえていないのです。


「……なら、これからどうするんだ?」


「明日、もう一度彼と会って、話をします。そのあとは──」


「殺す、のか」


「郷満さん、まさか」


「その様子を見れば、否が応でも分かるさ。死神みたいだからな」


「ええ。そうです。私は、貴方達の神を……いいえ、不死者を殺します」


 白咲さんの言葉を聞いて、郷満さんは酷く傷ついたような顔をしました。


「それは、どうして……」


「復讐のために。私の手足を奪った不死者を殺すためです」


「やったのは、伊久磨様なのか?」


「いいえ。ですが関係ありません。不死者がいれば、私のように傷つく者や、大切な人を傷つけられる者が現れる。私は、それが一番許せないんです」


「そっそれなら、伊久磨様は殺さなくていいじゃないか!」


 縋るような郷満さんの声に、僕は思わず「えっ?」と返してしまいました。


「どうしてですか? 彼は、人を喰べるんでしょう? そのための生贄を捧げている事も聞きました。彼がいなくなれば、その必要もなくなって……」


「伊久磨様は、この村の支えなんだ……!」


 僕の問いを遮り、彼はそう言いました。


「生贄は、伊久磨様のを受けるために必要なものだ。その事に異議を唱える者も村にはいない! 俺は、俺達は、今に満足しているんだよ! だから頼む、俺達から伊久磨様を奪わないでくれ……!」


 深く土下座をした郷満さんを、白咲さんは黙って見つめていました。

 僕はそんな二人を止める事も出来ず、ただおろおろとしていました。


「郷満さん……」


「……分かりました。彼とは、会話するだけにとどめます」


「本当か!?」


 顔を上げた彼の嬉しそうな声に、白咲さんは軽く頷きました。


「ええ」


「ありがとう、恩に着るよ」


 安心した様子で、郷満さんは去りました。

 その姿が見えなくなると、白咲さんは忌々しそうに溜息をついたのです。


「……白咲さん?」


「気付かなかった? 彼、包丁を隠し持っていたわ」


「えっ」


 それを聞いて、僕は背筋が凍りました。

 もしも、白咲さんが彼の意に沿わない事を言っていたら、今この場所に僕はいなかったでしょう。


「夜が明けたら村を出るわよ」


「分かりました。……その、やはり」


「決まっているでしょう。あれは嘘よ。会話するだけで済む訳がない。……念のために、枕元に銃を置いておいた方がいいわ」


「……はい」


 白咲さんの言う通りに銃を置き、僕は内心不安になりながら眠りにつきました。


──────


 夜が明けて、朝。

 僕達は皆を起こさないように、こっそりと郷満さんの家を出て、そのまま伊久磨さんのいる洞穴へ入りました。


「よォ、来たか」


「ええ」


「座ら……ねェよなァ。ヒヒヒッ、その様子からすると、ちゃっちゃと他所に行きたいと見える。村の連中から追い出されたか?」


「そんな事はどうでもいいでしょう。そんな事より、答えを聞かせなさい」


 急かそうとする白咲さんに、伊久磨さんは犬歯を剥き出しにして笑いました。


「何だったか。アア、村の連中が俺みたいな傷の治りしてんのかって話だな? なァに、簡単な話だ。連中、俺の肉を食ってんだよ」


「なっ……!?」


「…………」


 答えを聞いて、僕はとても驚きました。

 ですが、白咲さんはあまり驚いておらず、むしろ納得しているようでした。


「少しだけ聞いた事はあるけれど、こうして実例を見るのは初めてよ。……不死者が自身の血を媒体として、他人を支配し、操る術。どうしてそんな事をしたの? 効率良く食料を得るため?」


「どうして、どうしてと来たか! ヒヒッ、それは…………


「は?」


 今までよどみなく、楽しそうに話していた伊久磨さんが、初めて止まりました。

 他人事のように首を傾げて考え込むと、


「考えても分かんねェや。……なんとなく、だけなンだからよ」


 ばつが悪そうな顔で、そう答えました。


「そんなものが答えになるとでも?」


 銀の銃弾を装填すると、白咲さんは伊久磨さんの額に銃口を押し当てました。


「さァな。俺自身が分からねェ以上、誰にも分からねェだろうよ。……それより、本当に俺を殺していいのか? おめェは、何のために殺す?」


「一つは私のため。そしてもう一つは、これ以上私のような人を出さないために」


「……ヒヒッ」


 額に押し付けられた銃口におびえる素振りもなく、彼は笑いました。


「おめェは、それが本音じゃねェだろう? 目的と理由があべこべになってやがる。自分のため、人様のために殺す奴がそんな顔するもンか。おめェはただ、自分の殺しを正当化するために、そんな事を言っているだけだ。……結局、俺達は同じ穴の狢なンだよ」


「黙りなさい」


 白咲さんの声は、地を這うように低く響きました。その声には怒りと、少しだけ戸惑いが混ざっているようでした。勘違いかもしれませんが……。


「御託はもう十分よ。黙って殺されなさい」


「ヒヒッ。短気なガキだ。いいぜ、殺せよ。地獄の鬼が美味いか確かめたいからな」


 銀の弾丸が、彼の頭を貫通しました。

 灰になっていく最中、彼は穏やかな笑みを浮かべました。


「……最期に、一言だけ言っておく。連中を地獄に連れてったのは、おめェだ」


 その言葉の真意を図りかねていると、村の方角から悲鳴が聞こえてきました。


「っ!」


「春君!」


 とても嫌な予感がして、僕は慌てて村へと駆け出しました。


──────


 村に着くと辺りには灰しかなく、人の気配はありませんでした。

 ……いいえ、人がいた痕跡はありました。灰と一緒に、衣服が落ちていたのです。

 その中には、見知ったものもありました。


「に……ちゃ……」


 微かに声が聞こえ、僕は足元を見ました。

 そこには、僕の足に縋りつく八栄ちゃんがいました。


「八栄ちゃん!」


 僕は八栄ちゃんを抱き起しました。彼女の足を確認すると、既に灰となっていました。


「痛いよ、痛いよぉ……。たすけて……」


 僕の腕を掴んだ手が砕けったところで──もう助からないと、悟りました。

 灰になっていくのは凄まじい苦痛らしく、八栄ちゃんはずっと呻いていました。

 どうしていいか分からず、ただ八栄ちゃんの名前を呼ぶ事しか出来ませんでした。


 そんな時、背中側のベルトに吊るしていた銃の重みを感じました。


 その重みが、「このまま苦しませるより、一息に殺した方が良いのでは」と告げているように思えました。

 ですが濁りかけ、それでもまだ生きている瞳を見て、僕は躊躇しました。


 ……旅に出た当初、山で狩った動物を捌く時に、同じような目を見て躊躇った事がありました。

 もちろん生きるために殺すのと、楽にするために殺すのとでは違います。

 動物を殺すのと、人を殺すのも違います。

 ……だけど、殺すという行為は同じです。そこに、優劣や善悪といったものをつける事は出来ません。


 伊久磨さんの「結局は同じ穴の狢」という言葉が、頭の中を回っていました。


「たすけ……て……」


「…………っっっ!!」


 滲む視界の中、銃に手を伸ばしました。


 ……それを取る事は、出来ませんでした。


 そうこうしている間に、八栄ちゃんは灰となって消えてしまいました。

 僕は最後まで、膝をつきむせび泣く事しか出来なかったのです。


──────


 数分、あるいは数十分、数時間。


「……春君」


 ふと気が付くと、後ろに白咲さんが立っていました。

 白咲さんは、村と僕の様子から何があったのか大体察しているようでした。


「白咲さん……」


「旅を、止めたい?」


「……え?」


 それは、予想外の問いでした。


「もう嫌になる程分かったでしょう? 私と旅をしていても、良い事なんて何一つない。これ以上一緒にいたら、もっと辛い目に遭うかもしれないのよ? ……ここで、終わりにしましょう」


 ……おそらく、白咲さんは僕をこんな事件に巻き込んでしまった事を、後悔していたのでしょう。

 ですが、僕の答えは決まっていました。


「──いいえ。これから先何があろうとも、僕は最後まで、貴女の旅についていきます。ここまで来た道を、無駄にしないためにも。もしもここで貴女が断ったとしても、勝手についていきます」


「……そう」


 気のせいかもしれませんが、その時の彼女の目は潤んでいるように見えました。

 

 このあと、僕達は灰を全てかき集めると、一つの大きな墓を作りました。


 ……今も、あの日の強い後悔が胸に残っています。

 だからこそ、今の僕がいるのでしょうね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る