頁弐拾陸

 村外れにぽつんとあった洞穴からは、冷気と血生臭さが漂っていました。

 何も聞かされていなければ、熊の寝床だと思ったかもしれません。

 少なくとも、守り神を祀っている気配ではありませんでした。


 中に踏み込もうとした瞬間、村の大人達の集団がこちらへ向かってくるのが見え、僕達は慌てて隠れました。

 何か話しているようでしたが、小声だったので聞き取れませんでした。ですが、何やら深刻そうな雰囲気をしていました。

 

 洞穴から出てきた彼らの足音が遠ざかるのを待っていると、こちらへ向かってくる別の足音が聞こえました。

 息を潜めていると、


「よォ」


 僕の顔を、誰かが覗き込みました。


「うわあっ!」


 のけぞる僕を見て、その人物は口を押さえながらヒヒヒ、と笑いました。

 その人物は、僕と同じくらいの青年に見えました。伸び放題にした黒髪に、濁った灰色の目。着物はボロ当然で、血痕らしきものがあちこちに付いていました。

 その姿は、まるで御伽話に出てくる鬼のようでした。


「おめェらが連中の言ってた他所モンか? ガキ一人に、ひょろいのが一人。確かに喰い甲斐がねェや。ヒヒッ」


「……」


 眉をひそめ、白咲さんが銃口を向けます。


「オイオイ、おっかねェな。それで俺を殺す気かァ? 止めとけ、無駄だよ」


「いいえ。私なら貴方を殺せるわ」


「……そォかい」


 にやりと笑う三日月のような口、剥き出しの犬歯から、赤い舌が覗きました。


「まァ、ただ殺し殺されすンのも芸が無ェ。ちと話でもしようや。俺を殺すのはそれからだって遅くはねェだろう? 俺ァ、死ぬほど退屈してたんだ。昔話に付き合ってくれよ。安心しな、取って喰ったりはしねェさ。……今はな」


 友好的な口ぶりでしたが、彼の目は言外に「逆らったら殺す」と伝えているように見えました。今まで感じてきたあらゆる殺意とは異質の、濃い殺意でした。


「……分かったわ」


 洞穴へと歩き出した彼の後ろを、白咲さんは銃を持ったまま続きました。僕もその後を追いかけます。

 洞穴の中は暗く、等間隔で置かれた蝋燭の明かりだけが頼りでした。

 地面は一面骨で覆われていて、どうしても骨を踏んで歩くほかありませんでした。


「まァ座れや。と言っても、椅子があンのは俺だけだがよ」


 彼の言う『椅子』は、人間の骨で作られた物でした。

 僕達がその前にあるゴザに座ったのを確認すると、彼は滔々と話し始めました。


──────


「もう聞いたかもしれねェが、俺の名前は伊久磨いくとだ。漢字は村の連中の当て字だがな。そもそも俺は読み書きが出来ねェのさ。必要なかったからな。この村に来てひい、ふう、みい……六十年は経ったか? 赤ん坊が爺になるまでだな」


「『この村に来た』というのは、別の生まれだったって事?」


「おう。俺が生まれたンは、ずうっと遠く、ここより小せェ村さ。おめェらと同じように母ちゃんの腹からオギャアと生まれた。……はずなんだが、何故か俺は物心付く前から、人間を喰いたかった」


「人間、ですか? どうして?」


「それは俺にも分からねェ。だが、おめェらだって思うだろう? 肉付きの良い鹿を見て腹を空かす。大きな魚に涎を垂らす。それが俺にとっては人間だった訳だ」


 垂れかけた涎を拭い、彼は話を続けます。


「最初に人を喰ったのは十の頃。母ちゃんの寝込みを包丁でブッスリ行ってな、腹ァ掻っ捌いてはらわたを狗みてェに貪った。父ちゃんは俺のに気を取られているところを狙って仕留め、まだ動いてる心臓をゴクリと丸呑みだ。肉親だからか、あれ以上に美味い肉を喰った事が無ェ。アアまた喰いてェな、あんな肉……」


 伊久磨さんのうっとりした様子は、まさに絶品の料理を食べた人間のようでした。

 親を食べた人のする顔とは思えません。

 最早、彼に人としての倫理観はなかったのでしょう。


「それから俺は、働きもせずにフラフラと村から村、国から国へと人を喰って渡り歩いていた。そんな時に出会った……いや、襲ったのが、透無虚鵺とうむからやって奴だった」


「……!」


「しかし、不死者の肉ってェのは駄目だな。ありゃ不味い。思わず吐き出したぜ。そんな俺を見ながら、奴は腸出したまんまゲラゲラ笑ってたよ。面白れェ奴だってな。その礼だと言って、奴は俺をこんな体にしやがった」


 そう言うと、彼は突然自身の手の甲の肉を噛み千切りました。

 その傷が修復するのを見せると、ぺっぺっと肉を吐き出しました。


「やっぱり不味まじィ。……まァ、何度か殺されそうな目に遭ったのも確かだからな。その点では助かったが、ただそれだけだ。そンで、流れに流れて辿り着いたンがこの村だった」


「ここにある骨は、全て貴方の喰べ残し?」


「大体はな。ただ、俺が喰う前から骨だらけだったぜ。この村には、昔から神様とやらに生贄として一人捧げる風習があったらしくてだな。何人もそのせいで無駄死にしていた。もったいねェから代わりに俺が喰ってやってたら、奴ら俺の事を神と崇めてきやがった。てな訳で、俺はこの村の神様やってんだわ。向こうから喰われに来てくれンだから、楽なもンだぜ」


 そう締めくくると、伊久磨さんは不気味な笑みを浮かべながら両腕を広げました。


「これで俺の話は終わりだ。殺していいぜ。……そのあとの事は知らねェがな」


「その前に、二つだけ質問に答えてもらおうかしら。透無虚鵺とうむからやの居場所は知ってる?」


「知ってる訳ねェだろうが。奴と会ったンは一回だけだよ」


「そう、ならもう一つ。村の人達の長寿や、異常な治癒能力について。貴方……一体何をしたの?」


「ヒヒ、聞きてェか? それはな……」


「そこで何をしているんだ!」


 入り口で叫んだのは、郷満さんでした。

 途端に伊久磨さんの楽しそうな表情が消え失せ、白けた様子で僕達に言いました。

  

「アア、良いところで邪魔しやがって……。明日またここに来な。その時に答えを教えてやンよ」


 それ以上何も言えずに、僕達は洞穴を後にしました。


──────


 帰ったあとの郷満さん達は、少しだけよそよそしくなっていました。

 他の村人達も同様です。僕達が伊久磨さんに出会った事は、村中に知れ渡っていたようでした。あんなに慕ってくれていた子供達も寄ってきません。

 それでも夕食を頂けたのは幸運でしたが、僕はその態度に寂しさを覚えました。

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