第十三話『梅雨晴れの問答』
頁肆拾
まだまだ暑い日が続きますね。体調を崩したりはしていませんか?
……それは良かった。
ええ、僕も大丈夫ですよ。流石にこの暑さは嫌になる事がありますが……。
……確かに、昔は今より暑くはありませんでしたね。この頃にはもう涼しくなって……ああ。
いえ、少し思い出したんですよ。季節外れのあの暑い日を。
そうですね、今日はその事についての話にしましょうか。
特に何の不思議もない話ですが、……もう一つ、僕達の旅の転換期になった出来事ですから。
──────
あれは梅雨入りした直後の事です。……と言っても、雨は降っていませんでした。
むしろ太陽が燦々と照っていて、日上がりそうなほど暑かった日でした。
あまりの暑さに何処も静まり返っていて、時折打ち水をしている所を見る程度にしか、人もいませんでした。
「暑い……」
「でしょうね……。そんな恰好をしていれば当たり前ですよ、白咲さん……」
その時の白咲さんは、いつもの黒い上着を着ていました。
「確かにそうだけれど……」
白咲さんは、町中などの人目に付く場所で上着を脱ぐのを避ける癖がありました。
理由は自身の左腕です。はい、白咲さんの左腕は磁器製の義肢です。
当時も、義肢に対する偏見と言うのは結構ありまして。おそらく白咲さんはそれを気にしていたのでしょう。
上着の下には、手入れの時取り外しやすいようにと袖の無い服を着ていたせいで、更に脱ぎにくくなったのだと思います。
……ええ、まあ、そうですね。袖のある服を着れば良い話なのですが、白咲さんは変なところで大雑把でして。
なんと、それ以外の服を持っていなかったそうなのです。
はい、僕もそれを聞いた時は流石に「一つくらいは買ったらどうですか?」と言ったのですが……。
白咲さんは「そんな物よりもっと買うべき物があるでしょう。……それに、あまり荷物は増やしたくないの」と聞く耳を持ちませんでした。
……今思えば、あれは一種の意地だったのかもしれません。
そのせいで暑い思いをしている訳ですが。……ははは、そうですね。本当に仕方のない人ですよね。
こんな事を聞かれたら、白咲さんに叱られてしまうかもしれませんが……。
……ああ、すみません。話が大幅に逸れてしまいましたね。
当たり前ですが、当時はエアコンなどありませんでしたから。
室内にいようと屋外にいようと、暑さから逃れる手立てはありませんでした。
額から流れ出る汗を拭いながら、なかなか見つからない宿屋を探して歩いていると、
「そこのお嬢さん。そんな恰好をしていたら
そう呼び止める人がいました。……ああ、暑気あたりというのは、今で言う熱中症などの事です。
呼び止めた人は、白髪の交じった黒髪と、目尻に皺のある初老の男性でした。目の色は黒で、ごく普通の人に見えました。
白咲さんが振り返ると、男性は少し驚いた表情をしました。
そのあともしばらく顔をこわばらせていましたが、やがて深いため息をついて、僕達を手招きました。
「……あんた……。いや。中に入りなさい。そこの青年もだ。さあ」
「どうします? 白咲さん」
「お言葉に甘えましょう。あの人はきっと」
「きっと?」
「……なんでもないわ」
「……?」
二人の煮え切らない態度に首を傾げつつ彼の家に入ると、涼しい風が吹き抜けました。
「この家は傍に川があるから、よく冷えた風が吹く。冬は寒いが、今日のような暑さならちょうどいいだろう」
「ありがとうございます。とても暑かったので助かりました。……あの、僕は明哉春成と言います」
「白咲立華です」
「……私は
「いえ、これには訳が……」
「義手なんだろう? 動きで分かる」
「…………」
ようやく安心したのか、それとも観念したのか、白咲さんは上着を脱ぎました。
現われた義手を見て、再び滝守さんは複雑そうな顔をしました。憐れむような、悲しむような顔です。
「それで、何しに来たんだい?」
「それは……」
「……言っておくが」
お茶を用意するために後ろを向いたまま、滝守さんはこう言いました。
「この町に、不死者はいないよ。それは私が保証する」
「ふ、不死者を知っているんですか!?」
「知っているも何も、私もそうだったのさ」
「……
白咲さんが呟くと、滝守さんは「ああ」と頷きました。
「そのリボンは、私が辞める数日前に出来たものだがね。それでも覚えている。……組織はまだ……」
「…………二年前に、壊滅しました。不死者に襲撃されて……」
「そうか……」
滝守さんはゆっくり目を閉じると、数分間黙祷を捧げました。
「……しかし、それでもリボンを取らないんだな」
「はい。これだけは譲れません。きっと私は最期まで、このリボンを手放したりしないと思います」
「……哀れだな」
「え?」
滝守さんの小さな呟きに顔を上げると、彼は本当にこちらを──白咲さんを憐れむ表情をしていました。
「……あと少ししたら飯を用意しよう。苦手な物はないか?」
「い、いえ……」
「ありません」
「分かった、待っていてくれ。あと、今日はここに泊まってくれていい。部屋はいくつも空いているから」
「あ、ありがとうございます」
立ち去ってしまった滝守さんから白咲さんに視線を移すと、彼女は強く手を握り締めていました。
「白、咲さん?」
「……哀れに思われるいわれなんてないわ。
「白咲さん……」
僕はかける言葉が見つからず、ただ彼女の傍にいる事しか出来ませんでした。
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