頁参拾玖


 渉律さんの屋敷に向かうと、夜なのと街の片隅であるのも相まって、ひっそりとしていました。

 人の気配など微塵も感じられません。

 塀の陰に隠れて様子を窺っていると、門の隙間から缶のような物が投げ込まれました。


「! 春君、口と鼻抑えて!」


 言われた通りにすると、缶から勢いよく煙が噴き出しました。

 白咲さんは即座に錬金術を発動させ、地面の土で缶を密閉しました。


「ふう……これで安全のはずよ」


 確かにあの甘い匂いは微かにしましたが、酩酊感はありませんでした。

 少数なら嗅いでも効果はないのでしょう。


「逃げられないうちに行きましょう」


「はい!」


 門や玄関、どの部屋の扉にも鍵はかかっていませんでした。それは僕達をおびき寄せるようで、実際そうだったのでしょう。

 あちこちの部屋で、缶の罠が待ち受けていました。

 それを錬金術で封じつつ、屋敷の隅々まで探しましたが、渉律さんも歌雫夜さんもいませんでした。


「全自動だったんですね……」


「ずいぶん用意周到……いや、元から付けていたのでしょう。少なからず、こういう襲撃は想定していたと考えるべきね」


「それなら、隠し部屋とか逃げるための通路とかがあるんじゃないですか?」


「私もそれを探して……」


 ふと白咲さんが視線を下に落としました。僕もそこを見ると、床にうっすら四角い線が走っていたのです。それはちょうど、大人が一人入れそうな大きさでした。


「開くようね。春君、念のため」


「はい。術式陣の用意は出来ています」


「ありがとう。最悪、この道が使えなかったとしても、塞げば彼らの逃げ道を一つ潰せるでしょう。この先が、町の外まで繋がっていなければね」


 細心の注意を払い、意を決して開けると、煙は出ませんでした。

 代わりに、地下へと進む梯子が伸びていたのです。


「春君は?」


「……行きます。行かせてください」


「分かったわ。戦いに巻き込んでしまっても守ってあげられないから、注意してね」


「はい!」


 地下に降りると、そこは通路ではなく白い壁に四方を囲まれた部屋になっていました。

 部屋、というより実験室です。甘い匂いと悪臭が混ざり合い、四方に薬品らしき液体の入った瓶などが散乱していました。


 そして、その奥に。


「ここまで来る頃には、香をたっぷり吸って前後不覚になっていると思っていたが」


「ええ。本当に、何としぶとい事。ここまで追いすがってくる人は初めてで……」


 憎々しげな表情でこちらを睨みつける渉律さんと、黒い扇子で顔を隠した歌雫夜さんがいました。


「単刀直入に聞きましょう。弓季渉律、貴方は不死者? それとも呪術師? ……普通の人間?」


「ただの人間さ。


「ふふ、私の香はいかがでしたか? 極楽のような気分だったでしょう?」


「いいえ、ちっとも。酷い目に遭いました」


 歌雫夜さんの蠱惑的な問いかけに苦い気分で答えると、白咲さんが前に出ました。


「私、あまり普通の人間は殺したくないの。もちろん、彼を危険な目に合わせた罰は受けてもらうけれど」


「人間を、殺したくない、だって?」


「ええ」



「────は?」



 その時の渉律さんの表情は、本当に信じられないものを見た、といった感じでした。


「どの口で、そんな事を言っているんだ?」


「……?」


「覚えている……。覚えているんだ、僕は。いいや、俺は! お前が、俺の親父を殺した事を!!」


「……白咲、さん」


 白咲さんは、無表情のまま渉律さんを見つめていました。反対に、渉律さんは髪を振り乱しながら叫びました。


「親父は、ただ死にゆく人達を助けたかっただけだ! そのための方法が、不死者化しかなかっただけで! 本当に……、ただ、それだけだったのに!!」


「…………」


「なのに、お前達は殺した!! 追いすがる親父に銃口を向けて、笑いながら銃を撃ったお前の顔を、俺は今でも覚えている! そのお前が、人を殺したくないだなんて……何の冗談だ!? ああ!?」


「何を、言って」


「当然だろう!? お前らと同じだ! 唯一の肉親を奪われたから復讐する!! それは正当な権利だ! だろう!? なあ!!」


 叫びすぎて喉の粘膜が擦り切れてしまったのでしょう。渉律さんは咳交じりに血を吐きながら、鬼のような形相で白咲さんをじっと睨みつけていました。


「……私には、貴方の言っている事が何一つ分からない」


「は? 何しらばっくれて──」



「そんな訳ないだろ!? 確かに俺は、引き金を引くお前の赤いリボンと邪悪な笑みを」


「貴方はそれを、?」


「ど、何処って、それは……」


 あんなに怒っていた渉律さんが、白咲さんの一言で狼狽し始めました。


「それは何年前の何処で、いつ起こった話? そして、その時私達は何人だった? そんなにも私に憎しみを抱いているのなら、ちゃんと覚えているでしょう? いいえ、


「お、俺が覚えているのはそこだけで、あとはあまりの衝撃に忘れて……いて……」


「そんなはずはないでしょう。本当に復讐がしたいのなら、相手の顔から仕草、声に言葉遣い、その場の血の臭いですら全てを記憶しているはず。それに、復讐は権利じゃない。義務よ」


「義務?」


「そう。奪われたものを取り返す義務。でもそれは大切な人の命でも、ましてや自分の手足でもない。相手によって踏みにじられ、奪われた自身の尊厳をもう一度取り戻すために戦う。それが私達の復讐」


「……っ」


「正当かどうか、大義があるかどうかも関係ない。それが正しいと心の底から信じられるのなら、復讐という義務を果たすだけ。それが私達の在り方。だから、もう一度聞くわ」


 渉律さんを指差すと、白咲さんは部屋全体に響く声で言いました。


「貴方は自身の復讐を本当に正しいと、心の底から言えるの? それを自分の果たすべき義務だと、死ぬまで……いいえ。終わるまで死なないと、自身の魂に刻みつけられるほどの覚悟はあるの!?」


「お、れは……」



「ここまでのようですね」



 そこまでずっと黙っていた歌雫夜さんが、諦めたように呟きました。


「歌雫夜……」


「もう少し、楽しめると思ったのですが」


「え?」


 歌雫夜さんが扇子を振った瞬間。渉律さんの全身から、血が噴き出しました。


「ギャアアアアアアアアア!!」


「ああ、本当に死に様ですらつまらない人。……仕方がありません。ここまで遊べただけ良しとしましょう」


「歌ァ、雫夜……どうして……」


「まだ分からないのですか? 何て頭の鈍い人でしょう。だけど、そうですね……冥土の土産に教えてあげます」


 それまで穏やかに微笑んでいた歌雫夜さんの顔が、鬼のような笑みに変わりました。


「貴方の父親を殺したのは、私なんです」


「────」


「少し、昔話をしてあげましょう。かつて『稀代の悪女』と呼ばれた女の話です。その女は男を手玉に取るのが上手でして。多い時には、何と三十人の男に貢がせたそうです。しかし、時は残酷なもの。美しい女にも老いが見え始めました。だから、女は探し求めたのです。……永遠を」


 歌雫夜さんは踊るように歩きながら、子供へ語り聞かせる母親のごとく話します。


「そして辿り着いたのが、永久の命を授けてくれるという医者の話でした。ええ、眉唾物だったのですが……。女は医者により、本当に永遠の美を手に入れたのです」


「そ、れが」


「ええ。私です」


 歌雫夜さんのその微笑みは、僕が最初に見たものと同じでしたが、あの時とは違い背筋が凍るようでした。


「ここで話が終われば良かったんですけど、そうはなりませんでした。女は心から恐れたのです。自分以外の女が、同じように永遠の美を手に入れる事に。だから、殺しました。そうするべきだと思ったから」


「そんな、嘘だ……」


「そんな事を言われても、事実ですもの。……女はこれで、自分以外の女が永遠の美を手に入れる事は一生出来ないと喜びました。しかし、女をさいなむものはまだあったのです。それが──」


「殺人衝動と不死者総滅隊ふししゃそうめつたい


「……はい、その通りです」


 横から口を挟んできた白咲さんに若干不満げな視線を向けながら、歌雫夜さんは更に話を続けます。


「女にとってそれは、双方共に不要で恐ろしいもの。悩んだ女はその果てに、思いついたのです。


「それが、渉律さんだった……」


「ええ。その女が目を付けたのは、まだ年端もいかぬ医者の息子でした。母すら亡くし、すっかり天涯孤独になってしまったその子供を引き取り、女はを行いました。まだ人だった頃から、香による洗……催眠は得意でしたから。純粋な子供を復讐鬼に育て上げるなど、造作もない事でした」


「あ、ああ……」


「ふふ、無様な顔。貴方のそういう顔だけは好きでしたよ、私。……さて、青年となった子供は女を妻に娶り、とうとう念願の復讐を始めました。リボンを目印に、不死者総滅隊ふししゃそうめつたいの人間を毒ガスの噴き出る地へといざなったのです。……別に、直接手を下した訳ではありません。全ては、香によるものですから」


「とんだ詭弁ね。そんな言い訳が通用するとでも?」


 白咲さんに銃を向けられても、歌雫夜さんは楽しそうに微笑んでいました。


「言い訳ではありませんもの。だって、。ほら、この通り。コレクションしてしまう程に。綺麗でしょう?」


 歌雫夜さんが取り出したのは、色とりどりのリボンでした。

 それを見た瞬間、白咲さんの表情が一変しました。……そのリボンの全てが、白咲さんの仲間のものだったのでしょう。


「……分かった。もういいわ。今すぐ殺してあげる」


「もう遅いわ。子どもは寝る時間です」


 今度は、歌雫夜さんはこちらに向けて扇子を振りました。

 すると、むせ返るほどの甘い匂いが襲って来たのです。


「高濃度の香には、例えどんな人間でも耐え切れない。さあ、眠るように死になさい!」


 僕は急速に気が遠くなりました。意識を手放しかけた瞬間、一つの銃声が響きました。


「そんな……こんな状況で、撃てるはずが……!!」


 額に穴を開けられた歌雫夜さんがゆっくりと倒れます。

 同時に匂いが引いて、息をしても大丈夫な状態になりました。


「その反応を見るに、錬金術師ではなかったようね。──概念的錬金術による肺の強化。より多くの空気を取り込んで、より長く息を止められる。単純な話よ」


「嘘、嘘、嘘……! そんな子供騙しに、私が負けるはず……!!」


「全ての人間が、貴女の思い通りになる訳がない。残念だったわね」


「…………っ!!」


 文句を言おうとしたのでしょうか。

 歌雫夜さんは口を必死に動かしながら灰になりました。


「渉律さんっ!」


 僕は渉律さんに駆け寄りました。彼は息も絶え絶えで、もう助からないと一目で分かりました。


「……そんな目で、俺を見るなよ……。お前を殺そうとしたんだぞ……」


「でもそれは騙されての事じゃないですか。貴方が悪い訳じゃない」


「お人好しだな、お前……。そんなんじゃ、いつか絶対に後悔するぞ……」


「……そうならないように、頑張ります」


「はは。頑張る、頑張るか……。そうか。……せいぜい、足掻けよ」


 渉律さんの体から、力が抜けました。その死に顔は、……とても安らかなものでした。


「白咲さん……」


「……ええ。埋葬はちゃんとやりましょう。人として、父親と同じ場所に。リボンは私が持ち歩くわ」


「……はい」


 埋葬を終えたあと、僕達は旅支度をして、次の町へと向かいました。

 温泉の煙が真っ直ぐに伸びていて、まるで見送ってくれているようでした。

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