頁伍拾壱
その日の夜。僕は数人の貧民窟の住人達と一緒に李戸杉診療所の扉の前にいました。
指定された回数分扉を叩くと、ゆっくりと開いて七羽さんが顔を出しました。
「今回の臨床実験参加、まことにありがとうござ──貴方は」
目を丸くする七羽さんに、僕は例の参加者募集の紙を差し出しました。
「僕も参加します。構いませんね?」
「白咲さんは何と? 同行者でしたよね?」
「大丈夫ですよ。事情は説明しているので」
「……そうですか。では、皆様どうぞ中へ」
中に入ると、七羽さんは扉を閉めました。
「なあ、与形さん。李戸杉先生は……」
「おそらく、皆様がこの町で最後の実験台となる事でしょう。五年間、大変お世話になりました。皆様を合成し終わったあと、私は次の町に行くとします」
「何を言って」
闇の中で、七羽さんの目が光りました。
奇しくもそれは、
「お前達のような、腐った脳味噌の言葉など聞かん。黙って従え」
七羽さんがそう告げた瞬間、その場にいた全員が気絶しました。はい、全員です。
僕は、他の人達が倒れていくのを気を失う直前まで見ていたので。
ここにきて、ようやく確信しました。
七羽さんが、この町に潜む不死者だったのです。
──────
「……はっ」
僕が目を覚ますと、そこは檻の中でした。辺りには獣の臭いが漂い、何かの唸り声や、吠える声があちこちから聞こえました。
「ここは……」
拘束されていない事を確認してから、僕は持ち物を取り出してみました。鞄は奪われていましたが、腰に下げている護身用の拳銃はそのままありました。
拳銃で錠前を壊すのが一番手っ取り早いのですが、流石に音が響くのはまずいと思い、靴の中に入れていた針金を手に取りました。
白咲さんがこんな事態を想定していたのかは疑問ですが、実は鍵開けの技術も教わっていたのです。それを利用して錠前を破ると、なるべく静かに、誰かに見つからないように気を付けながら檻を出ました。
辺りを見渡すと、檻がいくつも並んでいるのが見えました。檻の柵の隙間からはやけに長い腕や足、舌などが飛び出ていて、一体何が閉じ込められているのだろうと思った僕は目を凝らしました。
そして、すぐにそれを後悔しました。
そこにあったのは、地獄だったのです。
全身に棘を生やした少年がいました。犬の頭部をもつ老人がいました。鱗の生えた肌を掻き毟る女性がいました。老婆の顔をした猫がいました。
明らかに人と獣が複合した存在が多数、そこには存在していました。
……今思い出しても、吐き気がします。
あれは、人のする所業ではありません。
僕はすっかり気が動転して、ひたすら逃げ惑いました。
これ以上彼らを見ていたら発狂しそうで、とてつもなく怖かったのです。
自分が何処にいるのかも分からなくなってきた頃、前方にぼんやりと光が見えました。
それに導かれるように近づくと、そこには巨大な水槽がありました。中には、
「…………」
御伽噺に出てくるような人魚の少女がいたのです。上半身が人間の少女で、下半身は鱗が生えた魚。よく見ると、彼女の肌にも所々鱗が生えていました。
おぞましく感じるものばかりだった中で、……こんな事を言うのは、なるべく避けたいのですが。
それでも、綺麗だと感じてしまいました。
思わず見入っていると、彼女は目を覚ましました。僕を見ると、
『……あなた、は……』
脳内に直接語りかけてきました。
「えっ!? あ、その……」
『……あのひとたちの、なかま?』
「あの人達?」
『せんせいと、じょしゅさんの……』
「いいや、違う。僕は彼らのやっている事を確かめに来たんだ。その、君達は……」
『……わたしたち、もとはにんげんだった。じょしゅさんがわたしをおさかなにしたの』
「……っ、そんな事が可能な訳が……」
反射的に否定しようとしましたが、今まで出会ってきた不死者達の変貌ぶりを考えると『出来ない』とは言い切れず、閉口するしかありませんでした。
『わたしはのどがないからはなせないけど、かわりにあたまのなかでおはなしできるようになった。……じょしゅさんは、しんぞうをわたしにうつしたからだっていってたけど』
「心臓を、移した?」
『じょしゅさんのしんぞうはとくべつでね、これがあるかぎりしなないんだって』
「そう、なんだ。……君は先程から助手さんの話しかしないけど、李戸杉先生はどうしてるんだい?」
『せんせいは、ほんとうはこんなことしたくないってないていたの。でも、じょしゅさんはこわいから。あのひとがおこると、せかいがせまくなってくらくなるの』
彼女の言う事を信じるならば、先生はただ七羽さんに利用されているだけの被害者だという事になります。
……いや、きっとそうだったのでしょう。あんな事を進んで行う人が二人もいたなんて考えたくありませんから。
……これは、ただの希望的観測ですね。
『あなたは、まだふつうのにんげんなんだ。なにもまざってない』
「……うん、そうみたいだ。……ここにいる人達は助けられないのか? せめて誰か……君一人だけでも」
縋るように尋ねると、彼女は悲しそうな顔で首を横に振りました。
『ううん。わたしたちは、もうもどらない。もどりたくても、もどれない。みんな、もうわかってるの。だからないているの』
あの地獄の底のような声の全てが、現在の自分の姿を嘆いているものだったのだと僕はそこでようやく思い知らされました。
同時に、彼らを救う手立てもないのだと。
『あなたは、どうするの? まだにんげんのあなたは、なにがしたい?』
「僕は……」
突如、遠くから激しく何かがぶつかり合う音がしました。それに気を取られていると、
『……まただれか、きたみたい』
彼女がそう呟きました。僕には、それが誰なのか分かっていました。
「白咲さん……!」
実はこんな事もあろうかと、診療所に行く前に『一日経っても僕が戻らなかった場合は宿にいる白咲さんに知らせてほしい』とあの少年に頼んでいたのです。
『……あなたの、しっているひと?』
「きっとそうだ。とても頼りになる人だよ。絶対に不死者を、助手さんを倒してくれる」
『それは、むりだとおもう』
「いや、そう言うのは君が彼女を知らな……えっ」
少女の方に顔を向けると、彼女は自分の胸の皮膚を、縦に裂いていました。その中心部にあったのは、重なり合う二つの心臓だったのです。
一つは彼女の拳大の大きさで、もう一つは彼女の体には明らかに不釣り合いな大きさをしていました。
『ここにあるのが、じょしゅさんのほんとうのしんぞう。これがあるかぎり、あのひとはしなない』
「それじゃあ……!」
『うん。だから──これをあなたにあげる』
少女は大きい方の心臓を無理矢理取ると、水槽の上部へ投げました。水槽の枠を越えた心臓を、僕はどうにか受け取りました。
「どうして……君は、これがないと……!」
彼女は、はくはくと口を動かしました。
声こそ聞こえませんでしたが、何を言っているのかだけははっきりと分かりました。
『わたしはいいの。わたしたちはもうしんでいるから。だからこれは、いまをいきているひとたちのためにつかって』
「……ありがとう」
『さようなら、とてもやさしいおにいさん。あなたにあえただけで、わたしのじんせいにはいみがあった』
笑う彼女を背に、僕は音のした方向へ走りました。
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