頁陸拾肆

 次に目を覚ますと、そこには見知らぬ部屋の天井がありました。

 どうやらベッドに寝かされていたらしく、白いシーツが体にかけられていました。


「良かった。やっと起きたみたいだね」


「逸弥さん」


 カーテンの向こう側から、逸弥さんが顔を出しました。


「ここは……」


不死者総滅隊ふししゃそうめつたいと協力関係にあるお医者さんの診療所だよ。君ってば、丸一日寝てたんだからね」


「そんなに!?」


「うん。あと少しだけ残念なお知らせ」


 その言葉に僕は身構えましたが、逸弥さんは横にあった椅子に座りながら言いました。


「先程、天皇陛下がお隠れになったらしい。今日から年号は『昭和』だよ」


「昭和……」


 ぼんやりと口に出してみても、あまり実感や感慨はありませんでした。人づてに聞いただけですしね。

 ただ、やけに外が静かに感じられたのは、そのせいだったのかもしれません。


「まあ、これは今の君にはあまり関係ない事かな? 今、一番聞きたいのは立華さんの事でしょう?」


「そうです! 彼女は……白咲さんは大丈夫なんですか!?」


「落ち着いて。今は眠っているけど、容体は全く問題ないよ」


 僕は安堵のため息を吐きました。そして、一番の疑問を問いかけました。


「……白咲さんは、どうしてあの時死なずに済んだんですか?」


「ああ、それはね……」


 逸弥さんの説明によると、透無虚鵺とうむからやの心臓は白咲さんの元の心臓を半分押し退ける形で彼女の全身に血を送っていました。

 白咲さんの心臓も一応機能こそ残していたものの、彼の心臓を埋め込まれた時点で成長は止まっていたそうです。

 だから、透無虚鵺とうむからやの心臓を抜いて、元通り血管を本来の心臓に繋いだとしても耐えられなかったらしいのです。そもそもそんな事は不可能です。

 しかし、その不可能を可能にする、唯一の方法がありました。覚えているでしょうか?


 ……そう、賢者の石です。


 白咲さんは短刀で透無虚鵺とうむからやの心臓を刺したあとに、僅かに残った再生機能を賢者の石で増幅し、概念的錬金術と合わせて自身の心臓を完璧な形で復元してみせたらしいのです。


「まあ、流石は賢者の石ってところかな? もちろん、他の流派より早い白咲の錬成速度が無いと、間に合わなかったと思うけどね。彼女自身の資質と交流関係、幸運……どれか一つでも欠けていれば、こんな奇跡は起こらなかった」


「そう、なんですか……」


「あとは、そう……、いや。これは君自身が聞くべき事だね」


「……?」


 何処か含みのある言い方に首を傾げると、今度は雪良さんが顔を出しました。


「良かった、目が覚めたのね! ちょうど今、立華も目を覚ましたのよ。話したい事、あるんじゃない?」


「……はい!」


 僕は居ても立っても居られず、白咲さんの元へと向かいました。

 そして彼女がいるというベッドのカーテンを開けた時。


「────」


 思わず、息を呑みました。

 こちらを振り返った白咲さんの瞳は、あの綺麗だけど何処か怪しい赤ではなく。


 とても澄んだ海のような、雲一つない夏空のような、深い青になっていたのです。


「……おはよう、春君」


「白咲さん、その目……」


「ええ、そうよ。これが私の本来の色。……ずっと戻りたかった、本当の……っ」


 感極まったのか、白咲さんの目から静かに涙が零れ落ちました。

 ……理不尽に手足を奪われ、他人の心臓を埋め込まれ、瞳の色すら塗り替えられて。

 どれほど辛かった事でしょう。苦しかった事でしょう。

 ずっと前に失った手足こそ戻りませんが、それでも復讐を成し遂げた事で確かに救いはあったのだと。

 白咲さんが声を押し殺して泣く隣で、僕はそう思いました。


 しばらく泣くと、白咲さんは涙を拭いて隣の椅子に座る僕の方を向きました。

 その顔はとても晴れやかで、良家の令嬢のような──まあ、実際にそうだったのですが──上品さがありました。


「……貴方に一つだけ聞きたい事があるの。いいかしら」


「はい」


「……前にも聞いたけれど。どうして、私と一緒にいたの? ……私といても辛い事しかなかったでしょう? それに、私は今まで、ずっと貴方に冷たい態度を取っていた。こうすれば、諦めてくれるだろうって。なのに、どうして……」


「……僕は」


 色んな人から問いかけられたその質問に、僕は最後の答えを出しました。


「あの夜……判道ばんどうさんを倒した時の事です。月明かりに照らされた白咲さんを見て、硝子細工のようだと思いました。弱く見えた訳ではないんです。むしろ、白咲さんは僕なんかより、あらゆる面で強い。だけど……」


「だけど?」


「それでも貴女に手を伸ばしたいと。その手を取りたいと思いました。……貴女がそれを許してくれる限り、傍に居てその旅路を共にしたいと思いました。きっと僕は……」


 そう、きっと僕は。



 白咲さんの事が、好きだったのです。



 その時、初めて口に出す事が出来ました。

 恥ずかしくて、言ってしまえば関係が崩れてしまいそうでずっと言えなかったのです。

 今まで、何だかんだと理屈を並べましたが──結局のところは僕の一目惚れだった、というだけの話です。


「……なんだ、そんな事だったの」


 僕の答えを聞いて、彼女は微笑みました。そして、僕の耳元で


「貴方に、私の本当の名前を教えてあげる。私の名前は──」


 ……そう囁きました。ですが、こればかりは話せませんね。

 前にも言ったとは思いますが、錬金術師にとって本当の名前を人に教えるというのは、とても大きな事ですから。

 例え貴方でも、彼女の本当の名前を明かす事は出来ません。

 僕だけが知っている彼女の秘密です。……すみません。


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