頁捌

 次の日、買い出しに出かけた僕は


「よお。春成……だったっけか」


「南呑さん」


 再び彼と出会いました。

 

「丁度良かった。少し付き合え」


 遠慮したのですが、半ば無理矢理にミルクホールへと連れていかれました。

 戸惑う僕にも構わず窓際の席につくと、彼はカステラとミルクを頼みました。


「あの、僕は……」


「心配するなよ。俺の奢りだ」


 これは食べない限り解放されないと悟った僕は、思い切って一切れ食べました。

 村にはそういう贅沢なお菓子類はなかったので、初めて食べるその美味しさに僕は飛び上がるほど驚いてしまいました。


「ほ、本当に美味しいです!」


「だろう?」


 先程と打って変わって次々食べていく僕を見て、彼は更に笑いました。

 ……今思い出すと、南呑さんはよく笑う人でした。

 それは人懐こく、周りも巻き込んでしまうような笑顔でした。


「それでさ」


「はい?」


「何で、白咲と旅しようと思ったんだ?」


「それは……」


 僕は口ごもってしまいました。

 南呑さんが彼女の復讐について知っているのかどうか分からなかったからです。

 そんな僕の迷いを察したのか、


「ああ、安心しろよ。アイツが旅をしている理由なら知っているから」


 と先に告げてくれました。

 それで僕はほっとして、彼に村での出来事を話しました。


「やっぱり、あの噂はアイツ絡みだったか。アンタも災難だったな」


 僕の話を聞き終わった南呑さんはそう軽く言いました。


「ええ、寿命が縮むかと思いました」


「だよな。でもこれしきの事で縮んでちゃ、命がいくつあっても足りないぜ?」


「あはは。そうかもしれませんね」


「おう。……あのさ、アンタ、いつまで白咲に付き合うつもりなんだ?」


「えっ? 僕は……」


 言いかけて、僕は白咲さんと別れた時の事など、これっぽっちも考えていなかった事に気付きました。それ以前に、『何故、彼女について行きたいのか』という一番大事な理由さえあやふやだったのです。


「……俺はな、アイツに命を救われたんだ」


「え?」


 突然の独白に、僕は顔を上げました。


「恋人が不死者だったんだ。それで、殺されそうになった。……本当に最悪だよな。絶望のどん底に堕とされたような気分だったよ。目の前が真っ暗になった」


 窓の外を眺める彼の顔に、先程までの笑みはありませんでした。


「そんな時に助けに来た……、じゃねえな。うん。ソイツを殺しに来たのが白咲さ。そもそもアイツは誰かを助けるために動くようなタマじゃねえからな」


「そんな事ありません!」


 椅子を倒して立ち上がった僕に店中の視線が集まりました。

 それで冷静になって座り直しましたが、彼の言葉に対しては怒ったままでした。


「落ち着けって。確かに、アイツは目の前で殺されそうな奴がいれば助けるだろう。……の話だけどな。不死者を殺す事を最優先するアイツに、前もって犠牲者を減らそうって考えはないだろうよ」


「……そう、かもしれませんけど……」


 反論する余地がなく、黙るしかありませんでした。


「それでも命を救ってもらったのは確かだ。俺は恩返しのためにアイツと一緒に旅をする事に決めたんだが……。ついて行くうちに、段々苦しくなってな」


「苦しくなった?」


「ああ。アイツは他人を顧みない奴だ。自分の中で全てが完結しているから、そこに誰かが入り込む隙なんざ全く無いのさ。……相手にとって、自分がいてもいなくても同じってのは中々きついもんだ。それに耐え切れなくなって、俺はアイツと別れた」


 俯く南呑さんは、苦虫を嚙み潰したような顔をしていました。


「別れを告げた時も、あの無表情だったよ。皮肉の一言もなかった」


 豪快にミルクを飲み干すと、彼はテーブルに代金を置きました。


「今のうちに言っておく。確固たる信念だの何だのが無いならアイツと別れちまえ。……アンタ、錬金術師じゃないだろ?」


「ええ。目指してはいるんですが……」


「じゃあ尚更だ。アレを見本にしてたら駄目になっちまうぞ。これは先輩の忠告だ。素直に聞き入れておくんだな」


 彼は立ち上がって出口まで行くと、最後に振り返って言いました。


「白咲は強い。アイツの前じゃ誰もが弱い。あの強さに目を焼かれちまったんなら、早く冷めた方がいいぞ」


 去っていく彼の背中を見ながら、僕はその言葉を反芻していました。

 それは喉に詰まった石のように、僕の中に残ったのです。


──────


 宿に戻ったあとも、僕は彼に問われた事を考えていました。

 いつまで白咲さんと旅をするのか、そしていつ別れるのか。

 それは、僕が無意識に逃げていた問題でもありました。


 僕が思うに、白咲さんは一人で生きる事の出来る人間です。

 僕がいなくても平気だろうし、むしろ僕は彼女の足を引っ張る存在でしかないかもしれません。

 それなのに僕は何故、彼女について行こうと思ったのか……。

 自分の事であるはずなのに、僕には答えが出せませんでした。


 白咲さんは出かけていたので、部屋には僕一人しかいませんでした。

 布団を敷いて仰向けになっていると、ふとこう思いました。


「白咲さんもこうして一人で、天井を眺める夜があったんだろうか」


 僕は、眠れない夜に天井を眺める癖がありました。

 そうしていると、頭の中のもやが上へ上へと昇っていき、天井を突き抜けて何処かへと飛んでいくように思えたのです。


 同時に、もう家族はいないという孤独感を再確認する瞬間でもありました。

 何故かと言うと、気安く頼れるような存在がいないが故に、そうやって独りで解決するしかないという証だからです。

 もしも、白咲さんが同じだったのなら。


 彼女はいくつの夜を、そうやって過ごしてきたのでしょうか。


 ……よく考えれば、僕と白咲さんは孤独な者同士でした。

 僕や南呑さんの他にも、共に旅をした人がいたかもしれませんが、それでも彼女は最初に出会った時から孤独を背負っていました。


 僕はいつの間にか彼女に自分を重ねていたのかもしれません。

 自分より遥か高みにいる彼女に、恥知らずにも……。


「──君、春君?」


「えっ!? あっ、白咲さん!?」


 気が付くとすぐ隣に白咲さんがいて、僕は仰け反ってしまいました。


「どうしたの、ぼうっとして」


「い、いえ、少し考え事を……」


「そう」


 一言だけで白咲さんは興味を失い、寝支度を始めました。

 それで僕も、布団に潜って眠りにつく事にしました。


──────


 ──僕は、あの日の夢を見ていました。

 旅に出た時から、何度も繰り返し見ていた夢です。

 何処までも鮮烈に、一分の狂いも無く。


 銃を握る白咲さんの足元に倒れ伏している判道さん。


 辛うじて人の形を保つ少女達の死体。


 白咲さんと判道さんの打ち合いで飛び散る火花。


 壁に残った左腕。


 眉間を撃ち抜いた時の、彼女の冷たい声。


 ……そして。


 月光に照らされた、白咲さんの姿。


 風に舞う灰と共に、すぐにでも崩れ去ってしまいそうな儚さ。

 優しげな月光と裏腹に、愁いを帯びた顔。

 その目は何処か優しいのに、奥底はあまりにも虚ろで。

 思わず手を伸ばさずにはいられない──。



「……っ」


 そこで僕は目を覚ましました。伸ばした腕と天井が目に入ります。

 隣の布団は既に畳んであり、白咲さんは先に朝食を食べに行ったようでした。

 ゆっくり起き上がって、僕は伸ばしていた手を見つめました。


「……ああ」


 そこで、やっと気付きました。


 僕はただ単純に、白咲さんを放っておけなかったのです。


彼女は孤独に耐えられるほど強い人で、僕はその足元に及ばないほど弱い。

 僕なんかいなくても、彼女は生きていけるでしょう。

 でもあの時の僕は、白咲さんを放っておけなかった。そんな事が出来るほど、僕は強くなかった。


 だからこそ、それが僕の独りよがりだったとしても、彼女が許してくれる間だけは傍に居たい。


 僕にとって、あの日呼び止めた理由はそれだけで良かったのです。

 一度気付けば、とても気楽なものでした。

 この弱さと共に、僕は歩んでいこうと決意したのです。


──────


 町を出る前、白咲さんに許可を取り、僕は急いで南呑さんに会いに行きました。


「僕、決めました!」


「そうか。で、どうするんだ?」


「僕は白咲さんを放っておけません。だから最後までついて行きます!」


 僕の言葉を聞くと、南呑さんは笑みを引きつらせたあと、頭を抱えました。


「……はぁーっ。まさか、そこまで救えない奴だったとはな……。俺の忠告も全くの無駄だったか」


 そうぼやくと、南呑さんは僕の頭を乱暴に撫で回しました。


「そう決めたならそうすりゃいいさ! もう知らん! ……精々、頑張れよ」


「はい! それじゃあ、僕行きますね!」


「おう、あばよ!」


 南呑さんに背中を叩かれ、僕は走り出しました。

 待っていた白咲さんの前で止まります。


「もういいの?」


「ええ。伝えたい事は全部言えたので」


「そう。じゃあ、行きましょう」


「はい」


 そうして僕達は、次の町へと共に歩き出しました。

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