第十四話『救いのない人々』

頁肆拾弐

 やっと涼しい日が増えてきましたね。体調に変わった所はありませんか?

 ……ふふ、お元気そうで何よりです。

 え、お中元? いつもお世話になっているのでって……そんな。

 でも、ありがとうございます。

 中身を見ても? では、失礼して──……


 ああ、いえ。違うんです。

 嫌だった訳ではなくて、このタオルの名前が懐かしくて……。

 ある人を、思い出していました。


 ……はい。その人とも、白咲さんとの旅の中で出会いました。

 そうですね、今回はその話にしましょう。


──────


 それは、梅雨の中程の出来事です。

 突然土砂降りに遭った僕達は、とある家の軒先を借りて雨宿りをしていました。

 ……今だからこそ、そこが家だとはっきり言えるのですが、当時はただの廃屋とばかり思っていました。


 何故なら、そこは人が住んでいるとは思えないほど静まり返っていて、更にあちこちがボロボロになっていたのです。

 例えば、玄関の引き戸の硝子の一部が割れていたり、屋根の瓦が欠けていたり、壁にも何度も板を張り直した跡がありました。


 それらの損傷は年月によるものではなく、わざと壊されたような形跡がありました。

 そんな事情から、すっかり無人だと思っていたのですが、突然その家の中からカラカラと何かが転がる音がしました。


「え?」


「どうしたの、春君」


「今、何か音が……」


 近付いてきた音がピタリと止むと、玄関の引き戸がゆっくりと開きました。

 何が出るのか、思わず身構えていると──


「こんにちは。今日は一層強い雨ですね」


 慈愛の笑みを湛えた、三十代ほどの女性が出てきました。

 長い黒髪にあま色の目。それらよりも一番目立つのは、車椅子に乗っている事でした。

 カラカラという音は、車椅子の車輪が回る音だったのです。


 彼女の後ろには、車椅子を押すための機械人形オートマタがいました。

 しかし今までに見てきたものと違い、目鼻のない、それこそ人形のようなものでした。


 ……ええ、そうですね。

 車椅子に乗っているという事は、基本的に身体、特に脚部の辺りに何らかの異常がある事を示しています。

 彼女の場合、一目で理由が分かりました。


 ──彼女には、手足そのものがなかったのです。


 肩掛けと、脚を覆うように掛けられた毛布に膨らみが無い事が、その証拠でした。


「────」


「…………」


 絶句する僕と白咲さんを見て、彼女は少し不思議そうな顔をしましたが、すぐに笑顔を見せました。


「濡れたままでいると、風邪をひきますよ。少し待っていてくださいね。トシキ、タオルを持ってきて。二枚よ」


『ワカリ、マシタ』


 機械人形オートマタが家の中に消えるのを見送ると、彼女は再びこちらへ振り返りました。


「その格好──、旅人さん、ですね? 災難でしたねえ、せっかく来てくださったのに。もしも晴れていたら、向こうの山脈が綺麗に見えるんですよ。貴方達も、その景色を見に来たんでしょう?」


「あ、いえ、僕達は……」


『オマタセ、シマシタ』


 戻ってきた機械人形オートマタは、タオルを僕達に渡してくれました。

 はい、それはこのタオルと同じものです。雨に濡れて冷えた体に、その温かさと肌触りはとても心地の良いものでした。


「ごめんなさいねえ、本当なら家の中の方がいいんでしょうけど、雨漏りしているせいでとても休まらないでしょうし……。お詫び、というほどの事でもないけれど、雨が止んできたら、知人の宿にご案内しましょうか?」


「そんな、タオルを貸してもらっただけでも十分ですよ。ありがとうございました」


「……ありがとうございました」


 機械人形オートマタにタオルを渡して頭を下げると、彼女は何故か少し困った顔をしました。


「そ、そう? でも、もしかしたら迷うかもしれないし、これも何かの縁だと思うから。ぜひ案内させて? お願い」


「でも、悪いで……」


「春君、お言葉に甘えましょう」


「白咲さん?」


 断ろうとした僕に、白咲さんはこっそり耳打ちしました。


「あそこまで食い下がるんですもの。きっと何か目的があるんでしょう。特に悪意も感じないし、今回はお誘いを受けましょう」


「なるほど……」


「旅人さん?」


「では、お願いします」


 そう言うと、彼女は顔を輝かせました。


「そう、ありがとう! ああ、よく考えたら名乗るのを忘れていたわ。私は汎澪汀良ほんれいていら。汀良って呼んでくださいな」


「白咲立華。錬金術師です」


「明哉春成です」


「白咲さんに明哉さんね。よろしく」


 汀良さんの笑顔は天気と相反して、とても晴れ晴れとしたものでした。


──────


 数時間後。小降りになってきた頃に、僕達は汀良さんの案内で歩き始めました。


 少しして、妙な視線を感じて振り向くと、そこには町の住人と思わしき人がいました。

 その目は忌々しい、厄介者を見る目をしていました。


 それを始めとして、同じような視線を道中何度も感じました。

 訝しんで彼らの視線の先を注意深く辿ってみると、そのほとんどが汀良さんに向かっていました。


「……視線が、気になりますか?」


「えっ」


「ごめんなさい、私のせいなんです。こんな醜い姿をしているから……」


 申し訳なさそうな汀良さんにかける言葉を見つけられずにいるうちに、


「ここです」


 宿に辿り着きました。


 案内された宿は大通りに面していて、特に迷いそうな場所ではありませんでした。

 やはりあれは僕達について行くためだけの方便だったのかと思っていると、汀良さんの機械人形オートマタのノックでドアが開きました。


「いらっしゃいま……。なんだ、汀良か」


 出てきたのは、茶髪に黒い目をした、汀良さんと同年代ほどの男性でした。

 その表情は町の人達とは違い、やや呆れたようなものでした。


「『なんだ』は酷いじゃない。ほら、貴方のお客様よ」


「いらっしゃいませ。こいつの紹介じゃ心配でしょうが、ちゃんとまともな宿ですよ」


「もう、本当に意地の悪い人……。彼は逢事真あしま守禄すろく。この宿屋の店主で、私の幼馴染です」


「逢事真です。『幼馴染』って言えば聞こえは良いですが、実際はただの腐れ縁ですよ。さ、どうぞどうぞ。汀良も、ついでに入っていいぞ」


「ついでって何よ」


「ついではついでだ」


 口喧嘩を始めた二人に苦笑しながら宿の中に入ると、確かに清潔感のある、しっかりとした所でした。


「お客さんの部屋は、一階の奥……あの突き当りの所です。何かあったら、気軽に言ってください。出来る限り対処しますんで」


「ありがとうございます」


「で? お前はどうするんだ?」


 逢事真さんに問われた汀良さんは、こちらへ視線を投げかけました。


「私は、お二人に少しお話があって。もしもよろしければ、お部屋で……」


「別に、構いませんよ」


「白咲さん……」


「ありがとうございます」


 僕は、白咲さんの雰囲気に何か不穏な物を感じました。例えば、不死者と対峙する時のような……。

 ですが、僕には汀良さんが不死者のようにはとても思えませんでした。

 そもそも、不死者ならば手足くらいすぐに治せるはずです。


 不安に思いながら椅子に座ると、汀良さんは突然、



「私は不死者です。殺してください」



 笑顔のまま、そう言いました。


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