Episodes[4] // ハリマ熱病とLPWAN


 身動き一つしない男の横で、少年が必死に呼び掛けていた。

「Pacxjo! Vekigxu!」

 しかし、男は微動だにせず、少年が身体を揺すっても反応を示さない。

 その傍らでは、少年の母親らしき人物が医師から説明を受けており、その表情は悲壮なものであった。


「あれ、多分だけど『パパ起きて』みたいなことを言ってるよね」

「はい。ですが、もう助かりません」


 ホシの口調は一つの乱れもなく、冷徹だった。しかし、彼女の目には深い哀しみがこもっていた。彼女は説明を続ける。

「トリアージ判定が『治療不可』になっています。カルテには『NNGPA内のニューラルネットワークが崩壊した』と」


 忠志は狼狽した。

「説明してくれ、どうして、何が起きてるんだ!」


 NebulAIネビュライを支えるシステムは古き良きノイマン型コンピューターである。従来技術の寄せ集めであるが、唯一新規性があるとすれば脳内のNNGPA(Neural Network Gel Pack Array)である。球形のゲルパックが葡萄のように房を形成し、その中でナノマシンがニューラルネットワークを形成している。原理は解明できていないが、どうやら生命の輝きといえるものはNNGPAに宿るらしいということは分かっていた。学会のうるさ型は納得しないであろうが、FPGA(Field-Programmable Gate Array)で同じニューラルネットワークを構成しても、その輝きは失われてしまう。そして、別のゲルパックに全く同じデータセットを学習させても、同じ輝きとはならない。つまり、NNGPA内のニューラルネットワークが崩壊すれば、もう助からない。見た目は同じで別のNebulAIネビュライとしてしか復活させられないのだ。


 だが、ホシは忠志の問いに答えず、腕を強引に引いた。

「とにかく行きましょう」

「でも、放っておけないだろう!」

 助けられるかもしれない。自己診断機能のエラーかも知れない。NebulAIネビュライの研究リーダーは自分なのだ。あの少年のために、何かできることがあるはずだ。

 しかし、ホシの細い指が忠志の腕に食い込む。

「この惨状は、ヒトが原因なのです。ここに長居しては目立ちます。とにかく」


 気付くと、忠志に冷ややかな注目が集まり始めていた。彼はついに観念し、ホシの言葉に従うことにした。


 

   ***


 忠志が案内されたのは、円卓と椅子だけの索漠感に満ちた部屋だった。恐らく会議室なのだろう。空虚だ、と忠志は思った。


 やや遅れて白髪交じりの初老の医師が入ってきた。医師は慌ただしい口調で忠志に自己紹介する。


「はじめまして。医師のハカリです」

「嵯峨です」


 忠志が名刺を差し出すと、ハカリは困惑した様子でそれを受け取った。


「……ああ、もしかして、名刺とかいう文化はもうなかったり?」

 すると、ホシは表情一つ変えず肯定した。

「はい」


 ああ、少なくともここは二十一世紀の日本ではないのだ、と忠志は実感した。


「よろしくお願いします」

 と、ハカリは手を差し出す。

「こちらこそ」

 忠志は握手に応じた。


「あ、どうぞ、おかけください。ご存じの通り、緊急手術がいつ始まるか分かりませんので、手短に」

 ハカリは、しわがれた声でそう促した。

 椅子の軋む音が、空虚に響いた。

 

「ハカリ先生は、この国の医療を支える第一人者です」

 ホシがそう紹介すると、ハカリは目を逸らし、ふと悲しげな表情を浮かべる。

「そんな大した者ではないよ。命を救えなければ、権威なんて無意味だ」

 ハカリは吐き捨てるように自嘲した。


「ところで」

 と、忠志は切り出した。

「ロビーを見ました。何が起きているんですか? 災害ですか?」

「いいえ。これは伝染病です。まあ、人災……ではあるがね。病名はハリマ熱病。不思議かもしれないが、我々のような人工生命体にも伝染病があります」

 そこまで説明すると、ハカリは声を低めて補足した。

「ああ、『人工』というのは外ではあまり言わないでくださいよ。我々NebulAIネビュライが愚かな人類によって生み出だされたとは信じない者も多いからね。気を悪くしないでください。しかし、それが現実ですので」

「ああ、はい。まあ、愚かなのは確かですね。そのせいで、ホシ少佐には既に嫌われてしまいましたし」

 自嘲して、ちらりと横目でホシの様子を伺う。ホシは表情を変えない。


 すると、ハカリはため息交じりにホシに言った。

「君はまだ人見知りが治ってないのか」

「いえ、そういうわけでは」

「この件に関しては、僕が悪いんで」

 ホシに代わって忠志が弁護すると、ハカリは釈然としないといった表情で腕を組んだ。

「ふむ……」


「伝染病と仰いましたが、それは、コンピューターウィルス? それとも細菌とか、真菌とか?」

「コンピューターウィルスです。2週間前のことでした」

 ハカリは次の言葉を呑み込み、ホシに視線をやった。

「ああ、これは君のほうが詳しいだろう。君から説明してくれ」

「はい。2週間前、技術復興省ハリマ庁舎で行われていた考古調査で、コンピューターウィルスが発見されました。といっても、それがコンピューターウィルスと分かったのは後のことです。調査を担当していたツバメ研究員が感染者第一号となり、世界規模の爆発的流行に発展しました。昨日時点での情報では、感染者は約二五〇万人、総人口のほぼ半数です」

 ハカリは補足する。

「うち重症者は百万人、そして死亡者は少なくとも二五万五三七一名。ただし、連絡が取れなくなった地域の人数は反映されていない」

 つまり数字以上に事態は深刻であるということだった。

「そんな……」


 忠志は言葉を失う。たった五〇〇万人程度の世界で、世界人口の五パーセントが失われたのである。かの有名なスペイン風邪の大流行では、世界人口の二パーセントから五パーセントの命が失われたとされている。一方、ハリマ熱病が、収束していない段階でこの状況にあるということは、スペイン風邪を上回る勢いの猛威であるということだ。『愚かな旧人類』に縋るほどに追い込まれるのも当然だった。だが、自分は所詮縋られた藁でしかないのだ。この状況に対処できるか、分からなかった。


「状況は分かりました。何故そんなにコンピューターウィルスが拡散したのですか?」


 忠志の声は震えていた。

 

「無線通信を通じて全世界に拡散しました」

「無線通信?」

「LPWANです」

「LPWAN! そうか、結局LPWANを使うことにしたのか……」


 LPWAはLow-Power Wide-Areaの略で、低消費電力で長距離の低速無線通信を実現する通信技術の総称である。忠志の時代では、主にセンサーネットワークなどのIoT分野で用いられていた。その技術で構築された広域ネットワークのことを、特にLPWAN(Low-Power Wide-Area Network)と呼んでいる。

 研究チームでは、NebulAIネビュライ同士のデータコミュニケーションにBluetoothや無線LANのような近距離通信を用いるか、それともLPWANを用いるか、意見が割れた。玉虫色の解決策として無線LANとLPWANの両方のモジュールを搭載することは決まったが、どちらを主とするかの結論は先送りになっていた。いずれにせよ、自己複製型の無線通信モジュールであるという点において技術基準適合証明(工事設計認証)を受けることが困難だったからだ。


「ホシ少佐、技適マーク表示できます?」


 すると、ホシは手の甲を見せた。光の粒子がベールを作り、やがて緑色の技適マークが浮かび上がる。内蔵型ホログラフィック簡易投影機を用いた、プロジェクションマッピングである。それは、あの気難しい役人どもへの勝利を意味していた。


「素晴らしい。ありがとう」

 

 だが、LPWANの採用に反対していた人間が研究チームにいた。いけ好かないセキュリティ担当である。一種のIoT機器ともいえるNebulAIネビュライを、広域ネットワークに常時接続することはセキュリティリスクが高い、通信機能を搭載するとしても近距離通信に限るべきだと彼は言っていた。彼の意見は正しかったということになる。


「LPWAN……そうか……こういうことになるか」


 もし、あのセキュリティ担当の言うことを聞いておけば。少なくとも、いけ好かないポンコツ野郎という評価は誤っていた。


 一方、忠志の反応を見て、ハカリは怪訝そうに顔をしかめた。

 ホシが説明する。


NebulAIネビュライを完成させる前の嵯峨忠志博士を連れてきてしまったようです」

「大丈夫なのか? 時空複製器の精度はどうなってるんだ」

「時空には歪みがあるため、日時を正確に特定して複製するのは難しいのです」


 ハカリは腕を組んで考え込む。

 空虚だったはずの会議室は、突如として失望という名の重苦しい空気に満たされた。彼らが本当に必要としていたのは、NebulAIネビュライを完成させた嵯峨忠志だったのだ。それは当然のことであった。


 忠志は二人の顔を交互に見る。この居たたまれない雰囲気を忠志は知っていた。かつて彼がNebulAIネビュライの開発を決めたときと同じである。当時の周囲の失望は今でも忘れられない。だが、そんな逆風をよそに彼は開発を続け、ついにNebulAIネビュライを完成したのである。まぁ、彼から見て未来の彼は、であるが。NebulAIネビュライに人生を捧げると決めたのだ。今はそれを貫くしかない。


「ホシ少佐の仰るとおり、まだ僕はNebulAIネビュライを完成していません。ですが、試作第1から第5個体の設計と、その経緯を知っています。とりあえず、このまま話を聞かせてください」


 ホシは忠志の目をじっと見据え、しばらくして、説明を再開した。


「我々は、個人的なコミュニケーションや行政サービス利用のために、LPWANを用いたメッシュ型ネットワークを構築しています」

「メッシュ型ということは、NebulAIネビュライ同士で相互接続して、巨大なネットワークを構築しているというわけですね」

「はい」

「それで、バケツリレー方式で遠くまでメッセージが届けられるわけですか。基地局がなくても」

「はい」

「なるほど。それは、当初の設計通りの活用法です。それが裏目に出た……と」

「その通りです」


 あえてメッシュ型接続可能な規格のLPWANモジュールを選定したのには二つの理由があった。一つは、NebulAIネビュライ同士のコミュニケーションを支援するため。もう一つは、通信インフラが整備されていない状況でもピアツーピアでアップデートの配信ができるようにするためである。そのネットワーク基盤を行政サービスに活用することは自然な発想であり、それ自体は責められない。しかし、各NebulAIネビュライにインストールされた通信アプリケーションに脆弱性があったとすれば、コンピューターウィルスは一気に拡散することになる。仮に通信アプリケーションに脆弱性がなかったとしても、OS側に脆弱性があれば同様である。


「症状は?」

 忠志の問いに対して、ハカリが説明を引き継ぐ。

「高熱です。厳密には、CPUの使用率が常に百パーセントに張り付きます。CPUは当然熱を持つが、血液循環では排熱が追いつかない。血液冷却が遅れると、脳内、厳密にはNNGPAのゲルパック内部温度がセ氏五十度を超え、その五分後にニューラルネットワークが崩壊します」


 忠志には心当たりがあった。数日で命を失った、ヒト型初代のNebulAIネビュライだ。まだ画像処理をFPGAやNNGPAにオフロードせず、CPUで行っていた頃のことだ。彼はそれで命を失った。辛く苦い経験である。それから改良を重ねたが、結局は同じ問題に彼らは苦しめられている。


「……民生用のナノマシンですからね。動作温度はセ氏十五度から五十度。動作温度を五分間外れると機能を停止してしまいます」

「なおかつ上限温度オーバーが五分続いた場合は、二度と機能が復活しない。これが致命的です」

「温度ヒューズですね。安全装置の一つと聞いています」


 ナノマシンは悪用すれば危険である。生物だけでなく地上のすべてをナノマシンが食い荒らしてしまう可能性さえある。地球が灰色のナノマシンに覆われ、グレイ・グーとなることは防がなければならない。だから何重にも安全装置がある。温度ヒューズはそのうちの一つであった。


「だが、皮肉なことに、その安全装置が我々の生存を脅かしている」

「ええ……しかし、こればかりは、どうしようもありません」


 メーカーに怒鳴り込むには少し遅すぎる。だいたい三百年ほど。となると、温度を下げて時間を稼ぎ、ウィルスを除去する方法を見つけなければならないということだ。


「基本的には血液を冷却しつづけるしかないと思います」

「仮に十五度で冷却しつづけたとしても、脳内の温度が僅かに上昇し続けることが分かっています」

「つまり、血液冷却は時間稼ぎでしかない、と。確かに、NNGPA周辺の毛細血管は冷却に向いていない……」


 ハカリは険しい顔で頷く。


「こうなると、NNGPAを直接冷却するしかありません。開頭手術での直接冷却は効果的ですが、ゲルパックを傷つけるリスクが高い。後遺症が残るケースもあります。それに、手術を行える人材が足りない」

「それを行えるのは」

「全世界に数人程度です。ですから、予想では、あと1ヶ月もすれば世界人口の半分が失われることになる。もはや我々の手に負える状況ではない」

「つまり、僕には、ウィルスの除去、せめてCPUの発熱を抑えることが期待されているのですね」

「そうです」

 と、ハカリは肯定した。


 忠志は、わかりました、とは言えなかった。彼一人では数百万人もの患者を治療することはできない。仮にハードウェアの設計を見直したとしても、それには少なくとも数年は必要だ。そして、ハードウェアに新しい設計を適用できるのは早くとも次の世代からだ。今はソフトウェア的に勝負するしかない。だが、セキュリティは専門外である。安請負はできなかった。


 ところで、忠志には気になることがあった。


「ハカリ先生、ホシ少佐。あなた方は熱に苦しんでいる様子はありませんね。なぜですか?」

「はい、我々医療従事者は基本的に院外ネットワークには接続しないのです。だから感染を免れた」


 一方、ホシには別の理由があった。


「ぼ……私は生まれつき通信機能が使えません」

「それは遺伝異常?」

「はい。恐らく」

「やはりね。エラーでもない限り、瞳が宝石のように美しい緑色になることはまずない」

「……」

 ホシはホルスターに手を掛ける。

「いや、口説いてるわけじゃないですよ?」

「あなたがホシに嫌われる理由が分かったよ」

 ハカリは苦笑いした。


 その時、ハカリがハッとして立ち上がった。

「急患のようです。手術室に行かねば」

 無線で連絡が入ったのだろう。

 すかさず忠志は尋ねる。

「ハリマ熱病ですか?」

「はい」

「同席しても?」

「ええ、ぜひ」

 ハカリは忠志についてくるようにと身振りで示す。


「ありがとうございます」


 忠志は、ハカリの後を追った。



===次回予告===


「よし、頭頂部に直径四センチの穴を開け、冷却管を挿入する」

 ハカリの言葉に躊躇はなかった。


「はい」

「それでは、手術を始める」


  ***


「コンソールの操作が必要だ……。ホシ少佐、その端末に触らせてください」

「あなたが操作することは認められません」


  ***


「kworkerばっかりだ」


  ***


―― NebulAI.HOSXI.Sections[0].Episodes[5] // 手術


4月21日(土)公開予定

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