Episodes[3] // 建前上、では?

 悪路を超えた先に、東ハリマ自治区の検問所があった。

 遮断棒に『止まれ』の標識がある。違和感の正体は直ぐに気付いた。その標識には日本語が併記されているということだった。


 検問所の建物は、錆と水垢で薄汚れたプレハブ小屋だった。

 車を降り、ホシは小屋の窓を叩いた。


「こんにちは。本省特別警備局のホシですが」


 だが、反応がない。


「Saluton?」


 ホシは扉を開くが、そこには誰もいなかった。机の上には分解された旧式の拳銃。その脇にはわずかに紅茶が残ったティーカップがあった。だが、かなり前に入れられたものだろう。水分が蒸発し、焦茶色の液体と化していた。まるで、ある日突然、人だけが消滅したかのようだった。


「やはり……」

 と、ホシは呟いた。


 彼女は机に放置された拳銃の部品を十秒で組み立て、マガジンを差し込むと、ホルスターとともに忠志に手渡した。冷たい銃身がずしりと重い。


「お持ち下さい。護身用です」


 だが、忠志は震える手で銃をホシに返した。

 

「いや、遠慮しときます。使ったことがないし、暴発が怖いので……」

「ヒトのほとんどが弾丸発射式の旧式銃を使うと聞きましたが」

「いや、映画の見過ぎでは」

「確かに。我々の情報源の一つではありますが」


 彼女がヒトを野蛮と評価する理由の一つがそれかもしれない、と忠志は思った。


「少なくとも、僕の時代は銃の携帯は許されていなかったんです。日本ではね」

「なるほど」


 ホシはそう言うと、銃を武器庫に格納する。忠志は少し名残惜しそうにそれを見守った。本音を言えば、少しだけ後悔していた。武器を見て少年心が疼くのは自然の理である。


 彼女が端末を操作すると、遮断棒が上がった。

 再び車は走り出す。


「ここは国境みたいな感じですか?」

「人類の滅亡後、世界は統一されました。地球上に国境はありません」

、では?」

「……仰る通り、中央政府とがあるのは事実です。この地域は、言語統一の政府方針に非協力的で、日本語を頑なに使い続ける人々が主流派です」

「なるほどね」


 街中に日本語表記が溢れていた。標識に看板。どれも色あせくたびれている。しかし、この世界に来て以来ローマ字しか見ていなかった忠志には、祖国に帰ってきたかのような安心感があった。


 ホシは説明を続ける。


「対立は深刻で、緊張状態にあるのは事実です。ですから、あなたをここにお連れするのはリスクが大きいと申し上げたのです」

「無理に統一しようとするからそうなるんだと思いますよ」

「……仰る通りかもしれません」


 商店街のアーケードをくぐる。店先には『新鮮! お買い得! 白菜 248円』という値札が、黄色くしなびた白菜の山の上に突き刺さっていた。誰一人そこにはおらず、ただ、枯れ葉が風に転がるだけだった。貨幣制度はもはや存在しないと聞いていたが、ここだけは特別なようだった。


 アーケードを抜けると小さなビルがあった。五階建てで、コンクリートが水垢に黒ずんでいる。首都のモノリスのようなビルに比べると、幾分忠志の知るビルのデザインに近い。これが過疎自治体の町役場と説明されても疑わないだろう。


「これが、技術復興省ハリマ庁舎です」

「ここが、すべての始まりですか」

「はい」


 だが、ここは目的地ではない。車はさらに進み、到着したのは警察署だった。そこには僅かに人の気配があった。


「本省特別警備局のホシと申します」


 受付で眠りこけていた若い制服警官は、ちらりとホシの階級章を見るなり、慌てて立ち上がり敬礼した。制帽がずれている。


「はっ!」


 ホシは答礼する。

「ご苦労様です、少尉」


「はっ!」


 彼の制帽はついに地面に落下した。

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