Episodes[2] // 週番号ロールオーバーと美しい人
ホシの運転する車で、忠志は吐き気を堪えながら流れる風景を見つめていた。車輪モードで走行するよう必死に懇願したのだ。しかし、ホシはといえば『必要性を感じません』とのたもう。反重力モードの結果がこれである。重力子は忠志の内臓をゆるやかにかき乱す。重力子エミッターは嫌いだ、と忠志は嘆いた。
とはいえ、この悪路ではどちらも変わるまい。耐えかねた忠志は、ホシと会話して乗り切ろうと考えた。
ホシは地図を表示したタブレットを片手に、車を運転している。
ふと気になった忠志は、自らのスマートフォンの電源を入れてGPS衛星情報アプリを起動する。確かに幾つかのGPSの信号を捕捉しているようだった。
「へえ、今もGPSが使えるんですね」
電池残量が心許ない。忠志は直ちに電源をオフにする。
「はい、人工衛星を作る技術はありませんが、時空複製器があります。技術復興省が、複製した衛星を過去に何度か打ち上げています」
「なるほどね」
三百年前のスマートフォンがGPSを受信できるわけである。
「受信機はNebulAIにも搭載されてるはず。それも問題なく動いてますか?」
「はい。ただ、使えないのです」
「あっ、それも、遺伝異常?」
「いいえ、二二九四年一月にGPSのCNAVメッセージに含まれる週番号がロールオーバーしたことが原因です」
「ロールオーバー?」
「……ご存じないのですか?」
「ご存じないのです」
忠志がおどけた口調でそう言うと、ホシは不機嫌そうな眼差しを忠志にチラリと向けた。忠志は両手を挙げて降参する。
ホシは気だるそうに説明を続けた。
「……GPSは日付を一九八〇年一月六日からの週数で表します。これが十三ビットの整数なのです」
「あっ、なるほど。ええと……二の十乗が一〇二四だから……十三乗は八一九二。つまり、八一九二週でゼロ……つまり、一九八〇年一月六日の週に戻ってしまうってことですか」
「はい。約一五七年周期です」
三百年と少し前、忠志の周囲では、来たるべき二〇三六年問題や二〇三八年問題がちょっとした騒ぎになっていた。大学の学内システムには意外と古いものが残っている。NTPサーバーや、ext3ファイルシステムを使ったサーバー群である。NTPは二〇三六年二月七日以降の日付に対応しておらず、またext3ファイルシステムは二〇三八年一月十八日以降の日付に対応していない。二〇〇〇年問題ほど分かりやすくないことが、見落とす原因となっていた。
「じゃあ、二回目のロールオーバーというのが問題か……」
「というよりも、生存中にロールオーバーすることが考慮されていなかったのです」
「あっ」
忠志には思い当たる節があった。
「固定的に誕生日以前の直近のロールオーバーの日を基準に計算されるため、位置情報に記録される日付が一回目のロールオーバーの日、つまり二一三七年に戻ってしまいました」
「すると、標準APIで位置情報履歴を使っているアプリケーションは正常に動作しなくなる」
「はい。二二九四年一月以前に生まれたNebulAIはみんなそうです」
「待って、今年は確か、二三三〇年でしたよね」
「はい」
「ということは、失礼ですが、あなたは三十歳以上?」
「三十七です」
「三十七!」
確かにそうか、と忠志は思った。NebulAIの設計寿命はヒトの一・五倍ほどである。したがって、三十七歳は、ヒトで言うところの二十五歳ほどに相当する。二十八歳の忠志からすれば年下に見えるが、実際には年上で当然なのだ。
忠志は言葉に窮した。何も言わないのは不自然だ。しかし、『全然見えませんよ』などと言えば嫌味に受け取られ、『年上が好みです!』などと言えばセクハラである。そもそも年齢観やジェンダー観を知らないのに余計なことは言うまい。無難なことを言っておこう。
「……そなたは美しい」
「はい?」
その後、長い沈黙の時が流れた。
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