Episodes[11] // いつも正義の名の下に



『視覚を奪うことと引き換え……まったく、なんて発想だ』


 画面の向こう側で、ハカリは驚嘆し、ため息を漏らした。


「これを使えば、少なくとも、患者とまともにコミュニケーションをとれるようになります」

『……分かっていますよ。だが、医務省の連中は腰を抜かすに違いない……』

「もちろん、過激な治療法であることは否めませんが……」


 忠志は、つい『素人質問で恐縮ですが――』に備えて身構えてしまった。しかし、あれは日本の学術学会のローカル文化なのである。

 ハカリは目を閉じてしばらく考え込んだ後、こう言った。


『後遺症も含めて、緊急治験はこの病院でクリアできるだろう。しかし、問題はもう一つある』

「それは?」

『資料を読むと、ハリマ熱病患者の技術復興省の職員が、脆弱性を用いて管理者ルート権限を取得し、効果を自ら実証したとある。逆に言えば誰でも悪用可能な状態にあるということになる……私は怖いね。この情報は隠しておいた方が良い』

「そんな悪意を持った人がいるんでしょうか?」


 ホシやアカネならそれは愚問だというだろう。けれども、忠志にはNebulAIにそこまでの悪意があるとは思えなかったのだ。


『あなたもヒトなら知っているでしょう。戦争や虐殺は、いつも正義の名の下に行われる』

「……つまり善意で」

『その通り。我々の多くはヒトを見下しているが、実際はヒトと同じなんですよ。実際、技術復興省は、ハリマ熱病から国民を救うことを目的に、あなたを複製しようとして四回殺した。本来であれば業務上過失致死罪に問われるが、警察は知っていながらそれを黙認した』

「ホシ少佐から聞きました」

『やはり聞いていましたか。バラバラになったあなたの遺体を見て、ホシは顔を真っ赤にして激怒していた。これ以上続けるべきではないと、実験担当者を現行犯逮捕までした』

「……そこまでは知りませんでした」


 その割には、銃で脅されたような気がしなくもないが。


 しかし、いつもは無表情で冷静なホシが、そこまで激怒していたというのなら、その場面を見てみたかった気もする。もしかすると、今は亡き忠志の分身達は、そんな彼女の姿を見ていたのかもしれない。


『ますます惚れたという顔をしているな』


 ハカリの鋭い指摘に、忠志は気の抜けた声しか出すことができなかった。


「へ……!?」

『しかし、留意して欲しい。正義感というものは、裏表一体だ。正義心が強いということはね、それを貫くために、時に道を踏み外すということでもある。ホシには、私のような失敗だけは、して欲しくない』

「……失敗ですか?」


 ハカリは小さく呻いた後、首を横に振った。


『……そのうち話しますよ』

「はい」

『それよりも、その脆弱性を塞ぐ方法は?』

「その脆弱性を防ぐためには、カーネルのバージョンを少なくとも10.2以降にアップデートしなければなりません。システムアップデートを三百年ぶりに配信することになります」

『それにはどれぐらいの時間がかかるだろうか』

「分かりません。今の僕には経験がないので……自動テストなら一日以内で可能ですが、カーネルモジュールの類はテストの自動化が難しいので何日かかるか想像もつきません……」

『なるほど』

「ホシさんの意見では、今後の方が大変だと。つまり継続的にアップデートを開発し、配信していかねばならない。それを政府が主導するのか、民間団体が主導するのか……そういったことも考えなければならないだろうと」


『政府に任せ切りにするのは良くないだろうな……』


「とはいえ、僕はいつか死にますし、皆さんの心情的にもヒトに任せきりというわけにはいかない」

『社会的合意が必要だな』


「そうなると、僕の守備範囲を超えてしまいます。でも今の課題は、ハリマ熱病の発症をどうやって封じ込めるかです。今回提案した治療法は、コアシステムの再起動で復旧できる一時的なものです。医療機関のパンク状態は解消できるはずです」


『医療従事者は疲弊状態だ。もし自宅療養が可能な状態になるならば、より重傷者のケアに集中できるだろう。とにかく、緊急治験を行ってみよう。ただ、脆弱性の利用はなしだ』


「分かりました」



 緊急治験はその日のうちに完了し、順次適用されることとなった。


 五十から七十リクエスト毎分の治療要請が殺到し、もはや一件一件の確認は行えない状況となった。ホシが自動承認機能を実装し、もはや忠志はタブレット端末に手を添えるだけだった。


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