Episodes[5] // あなたはどうしたいですか?


 警官に見送られ、車は元来た道へと戻った。

 忠志は後部座席でうなだれているアカネに時々目配せしながら、ホシに話しかける。


「話を聞く限り、この人は悪くないのでは? 対処も適切だった」

「十五人を救ったのは事実です」

「でしょう。なのに、片言の通報を犯行声明だなんて解釈するのは頭おかしいと思いません? ここだけの話」


 忠志は少し声を潜める。

 ホシは表情を変えなかったが、ハンドルを握る手が強ばったように見えた。


があるのです」


 ホシはそうとだけ言って、前方を見据えた。


「ワルモノが必要という、あれですか? どう考えてもコンピューターウィルスを作った人が悪いのに」

「ぼく……私から言えることは何も。ただ、確かなのは正義を貫くべきということだけです」


 事務的な口調。しかし、その声には静かな怒りと葛藤が垣間見えた。少なくともホシの正義は現状を容認していない。もしかすると、彼女が忠志の警護任務などという閑職に追われているのも、その正義感が原因なのかもしれない。忠志はホシの力になりたいと心から願った。ふと想像してしまったのだ。職場で孤立するホシの姿を。その肩は凜々しくも、寂しげだった。


「ホシさん、どうしたいですか?」

「犯人捜しはぼくの任務ではありません。命を救いたい……この警護任務が、それに貢献するものだと期待しています」


 ホシは横目でちらりと忠志を見た。

 ならば……期待には応えなければなるまい。


「技術復興省ハリマ庁舎に行きたいんですけど、いいですか?」


 忠志の問いに、ホシは小さく頷いた。



 やがて、車は技術復興省ハリマ庁舎に止まった。ホシに促されアカネも下車する。


「祝園アカネさん、拘留期限を超えたため、あなたを釈放します。ただし首輪型の発信器を装着していただきます」


 ホシは黒い輪をアカネの首に取り付け、結束バンドの要領で固定した。それは、一センチメートルほどの幅のバンドで、シリコーンゴムのようにしなやかな素材だった。手錠と首輪、どちらが屈辱的だろうか。まあ、チョーカーと思えばファッションと言い張れなくもない。チカチカと光る数個のLEDを無視すればの話であるが。もし忠志なら抵抗しただろう。ところが、アカネは力なく為されるがままだった。この人は中二病が完治していないとでもいうのだろうか。


 ホシはアカネから手錠を外し、それと引き換えにスマートフォンと財布を手渡した。警察官から預かっていたアカネの私物である。


「この首輪は嫌疑が晴れるまでは外すことはできません。規則ですので」


 やがてアカネは風に消えそうな声で言う。


「嫌疑? いいえ、事実です……すべて、わたしのせいです。わたしがもっと注意を払っていれば、二十五万人以上も命を奪わずに済んだのに」

「でも十五人を救ったじゃないですか」


 忠志の言葉は、むなしく響くだけだった。


「見捨てたんです……わたしは、見捨てたんです……ここで倒れていた人を。わたしが殺した……」


 アカネはその場にうずくまった。


「記録によると、この供述を繰り返しています」

「この供述を故意犯の証拠として採用したんですか?」


 ホシは何も答えなかった。ただ、どこか遠くを見据えて、僅かに口元を歪めた。


 忠志はアカネの前に屈み、名刺を差し出した。


「二〇三〇年から来た、嵯峨忠志といいます。姫路工科大学の知能システム研究センターでNebulAIプロジェクトのリーダーをしていました」


 すると、アカネは財布から自らの名刺を差し出し、直後に、しまったという表情を浮かべて固まった。この骨髄反射を見るに、どうやら、彼女が過去から複製されたヒトだというのは本当のようだ。


 忠志は受け取った名刺を見る。


「……京姫鉄道株式会社広報部システム課 主任。ほお、情報処理安全確保支援士! 難関資格じゃないですか」

「……」

「あなたが咄嗟に対処できた理由が分かった気がします」

「……見捨てることも含めて」


 アカネはそう自嘲的に呟くと、再び顔を伏せた。


 それ以上、忠志は何も言えなかった。NebulAIはコンピューターであるが、生命でもある。コンピューターウィルスへの対処の定石が、必ずしもNebulAIに対して正しいわけではない。


 忠志は、少し前――およそ三百年前であるが――いけ好かないセキュリティ担当がこう言っていたのを思い出した。


『インシデント対応では、まず優先度を決めなければならない。ビジネスへの影響が大きい順から対処する。影響が小さければ、後回しだ。でも、その判断は急にはできない。だから、平時の準備が大切なんだ。君は無関心すぎる』


 アカネにとって最も『ビジネスへの影響度』が大きかったのはツバメ、次いで同僚だったのだろう。感情的には当然の判断だ。けれども、それ以外を見捨てることが、果たして正しかったのか。重症度ではなく、親密度でトリアージすることに問題はなかったか。諦めずに助けようとしていれば、あと数名は助けられたのではないか。


 後からは何とでも言えよう。だが、恐らく正解はない。その答えは、きっと自分で出すしかないのだ。


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