Episodes[6] // エピローグ


 病院の最上階。

 その病室は、まるで高級ホテルの一室のようであった。調度品の至る所に細やかな彫刻が施されている。艶やかな木製のパネル、暖色系の照明、来訪者用のテーブルにさえ本物の一枚板が使われているようだ。忠志がこれまでの人生で目にしたなかで、最も高価な部類に入るだろう。


「ここは要人向けの病室ですが、しばらくここに滞在していただきます」


 照明の下に浮かぶホシの容姿は、まさに要人のSPだ。ノーネクタイのパンツスーツ、背中をピンと伸ばして、無表情で立ち尽くす。左右の襟に煌めく階級章が軍人のような雰囲気を醸し出していた。SPというよりは、もはや親衛隊である。


 忠志には不相応な待遇だった。理事長ならどう言うだろうか。


――んーまあまあかなぁ。SP付きはちょっと嬉しいけど。


 だが、理事長は二百数十年前にこの世を去ったのだ。ここにはいない。

 孤独感を紛らわすように、忠志は窓から外を眺めた。


 すっかり夜の空となっていた。遠くのビルには疎らに明かりが灯っている。だが、首都というほどの煌びやかさはそこにはなかった。あまりにも伝染病が深刻で、社会の機能が停止しているからだろうか。いや、もしあのビルが住居だとすれば、あの明かりの灯らない部屋は、病魔に命を奪われたNebulAIネビュライが居住していたのではないか。忠志は気が気でなかった。


「あの……僕をここに入れるぐらいなら、ロビーの人を一人でもここに連れてきた方がいいのでは」

「保安上の理由です」

「なんだか気が引けるな……」

「今回の伝染病も含めて、ヒトに恨みを持つ者もいます。単独での行動は念のためお控えください。ぼく……私は隣の部屋におります。それではごゆっくり」


 事務的な口調でそう言い残すと、ホシはそそくさと部屋から退出しようとした。その後ろ姿を呼び止める。


「あ、少佐!」

「はい」

「少佐は今夜の夕食は、どうされます……か……? あれ」


 ホシは心底ガッカリとしたような目つきで、忠志を見据えた。もちろんホルスターに手を掛けて。


「……って何か変なこと言いましたっけ。あ! 待って待って、そういう意味じゃない。あなたを食事に誘っているんじゃないんですよ」

「では、何です」

「知ってのとおり、今日は朝から何も食べてないんで、何か食べるものがあればいいなぁ……と」


 誰かの腹がぐうと鳴る。ホシはハッとした表情を浮かべ、わずかに赤面した。忠志と行動を共にした彼女もまた何も食べていないのである。


「……分かりました。職員向けの食堂に行きましょう。この時間でも開いているはずです」


 薄暗い夜間照明の中、職員用通路にふたりの足音だけが響く。けれども、この静寂はまやかしに過ぎない。壁をいくつか隔てた先で、まだ戦は続いている。命を救うための戦が。


「ホシ少佐」

「はい」

「今日はありがとう。あなたがいなければ、あの患者を助けることはできなかった」

「……いえ、ぼくは何も」


 ホシの声がわずかに揺らいでいた。野蛮なヒトに感謝されるなど予想もしていなかったのだろう。


「こちらこそ、ご協力……ありがとうございます」

「ははは、無理に言わなくてもいいですよ」


 ホシとの距離が五センチメートル縮まった気がした。NebulAIネビュライにとっては小さな一歩だが、(愚かな)人類にとっては大きな一歩である。



 忠志は足を止め、ホシに振り返った。僅かな明かりに、ホシの白い肌が浮かび上がっていた。


「ところで、NebulAIネビュライという名前の由来は知ってます?」

「星雲を意味するnebulaの複数形nabulaeです」

「その通り。ポールが、あぁ共同研究者のイギリス人なんだけど、ナノマシンで構築されたニューラルネットワークの顕微鏡写真を見て『Neubla!』と言って涙を流したんだ。星雲のように美しいってね。だからNebulAIネビュライなんです」


 だからこそ、人生を賭けると決めたのだ。

 その美しい命の灯火を守らなければならない。


 忠志は窓から夜空を見上げた。

 そこには間違いなく無数の星が輝いていた。



// End of NebulAI.Sections[0]

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