Episodes[5] // kworkerと緊急手術


 手術台には汗だくの男が横たえられていた。外見はヒトでいうところの三十代、老化が遅いNebulAIネビュライであることを考えると実年齢はもう少し上だろう。額には複数のディスポーザブル電極が貼り付けられている。保守用シリアル通信ポートに接続しているのだろう。


「発症時期は不明、一分前に脳内温度が五十度に達し、現在は六十度。血液冷却、最大ですが効果ありません」

 助手は患者の頭髪をバリカンで剃りながら、そうハカリに報告した。


「よし、頭頂部に直径四センチの穴を開け、冷却管を挿入する」

 ハカリの言葉に躊躇はなかった。


「はい」

「それでは、手術を始める」


 忠志は手術室の隅で、固唾を飲んで手術の行く末を見守る。ホシはその横でハカリと助手の会話を日本語に翻訳した。

 だが、彼女は忠志から距離を置いていた。横目で見なくとも彼女の全身が視界に収まるほどである。腕を組んだ彼女の姿は凜々しく、美しい。パンツスーツがよく似合っていた。


 さて、忠志は手術室を見渡して違和感を覚えた。照明装置や器具類のデザインを除けば、忠志が知っている手術室と大差がない。しかし重要なものが欠けていた。モニター装置類である。心電図のモニターすらそこにはないのである。


「すみません、少佐、モニターとかないんですか?」

「ありません」

「メンテナンスコンソールとかあると良いなぁ」

「ありません」

「じゃあ、どうやって治療するんですか」


 ホシはため息をついて、タブレットを操作した。

「これを見てください」


 タブレット上に、ホログラムで幾つかのウィンドウが表示される。忠志が覗き込むと、ホシは上半身を僅かに引いた。ある意味律儀なものである。


「これが彼らの視界に直接表示されているので、そういったモニター類は必要ないのです」

「なるほど。ARか。少佐も?」

「いえ。さきほど申し上げたように、ぼく……私は通信機能が使えませんので」

「あっ、そうか。……すみません」

「いえ」


 ホシはそうとだけ言うと、ハカリと助手の会話を翻訳しつづけた。


 忠志は表示をひとつひとつ確認する。


「診断用ポートからの出力をプロットしてるわけだな。脳内温度、心拍数……。CPUの温度が九十度! 華氏じゃないんですよね、これ」

「はい」

「どうりで冷却が追いつかないわけだ」


 ナノマシンで複製するCPUは個体差が大きい。発熱も然り。だが、CPUそのものは百度でも問題なく動作する。したがって、この程度の温度でCPU本体の安全装置は働かない。しかし、ナノマシンの動作上限温度は、CPUのそれより遙かに低い。確かにこれは設計ミスだった。


 忠志はウィンドウの一つに「login:」と表示された黒い画面を見つけた。


「これ、シリアルコンソールの出力ですか?」

「はい」

「top コマンドの実行結果を見せてくれませんか」

「……はい」


 ホシは共通語でハカリに許可を求めると、タブレット端末を操作した。


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login: maint

password:


Welcome to Omotenashi 48.04.3 LTS (TNL/Tulax 10.1.2-102-generic riscv)


NebulAI Individual ID is e0c97797e0d7c5f15e9fba527764f0024218bb4956db252c782fcf102b49a7bb


Last login: Fri Mar 28 08:42:50 2330 from ttyS0

maint@nebulai-e0c97797e0:~$ top

===================================================


 しかし、コンソールの反応は重く、エコーバックにすら数秒かかる有様だった。やがて、永久とも思える時間を待たされた後、topコマンドの出力が現れた。CPU使用率上位を占めているプロセス名を見て、忠志は腰を抜かした。


===================================================

[kworker/0:0H]

[kworker/1:0H]

[kworker/2:0H]

[kworker/3:0H]

[kworker/4:0H]

[kworker/5:0H]

[kworker/6:0H]

[kworker/7:0H]

[kworker/8:0H]

[kworker/9:0H]

[kworker/10:0H]

[kworker/11:0H]

[kworker/12:0H]

[kworker/13:0H]

[kworker/14:0H]

[kworker/15:0H]

===================================================



「kworkerばっかりだ」

 忠志は気の抜けた声でそう言った。


「はい、ウィルスはカーネルモードで動作しているようです」

「ようです?」

「まだ正体が掴めていないのです。ルートキットかもしれません」

「ルートキット? 聞いたことあるな。何でしたっけ」

「自らのファイルやプロセスの存在をを隠して活動するマルウェアのことです」

「ああ、そうそれ」


 確かにそんなウィルスを聞いたことがある。だが、この様子では頭も尻も隠さずという感じはするが。


「ご存じないのですか?」

「僕の専門はナノマシン工学なんです。セキュリティじゃなくてね。すべてのことに精通しているわけじゃないんです。NebulAIネビュライプロジェクトはチームなんだ。全員を連れてきてくれないと、フルパワーは発揮できない」

 そんなことを思ったのはそれが初めてだった。ただ一人、応援もなく、この状況を――。


「それは不可能です。少なくとも今は」


 それは、氷のように冷たい声だった。


「でしょうね。方法を見つけないと」


 ホシもハカリもまだチームメイトではない。

 一人の力で、今できるとすれば力業だ。それしかない。


 ハカリが声を荒げる。

「設定もっと下げろ! 開頭が間に合わない」

「限界だ! これ以上冷却すると血液中のナノマシンが機能を停止してしまう」

 助手の反論は悲鳴に近かった。

「だが、NNGPAは冷却できる」

「……わかった。冷却装置、設定十度まで下げよう。どうだ?」

「下がらない……メインCPUが熱すぎる」


 忠志は深く深呼吸し、ホシの声だけに耳を傾けた。彼女の通訳は事務的な口調で、平静かつ淡々としている。その声は澄んでいて、耳に心地よい。ちょうど鎮静剤の役割を果たしていた。もし通訳者が彼女でなければ、忠志はパニックに陥っていたに違いない。


 忠志は今取り得る手を考えた。タイムリミットは残り二分。熱源を取り除けば脳全体の冷却も進むはずだ。しかし、システムをシャットダウンする時間はない。緊急停止なら即時停止できる。だが、いずれにせよシステムの停止は、血流そのものを止めてしまう。ただでさえ冷却が難しい脳内を、心臓マッサージによる微弱な血流だけで行うのは不可能だろう。暴走しているカーネルモジュールを除去する……これも特定には時間がかかる。手っ取り早くCPUを冷ます方法。CPUコアを一部無効化するしかない。しかし、これだけでは高熱源は残ったままだ。もう一押し――。


「そうだ! ガバナーだ」


 忠志は、思わずホシの両肩を掴んで揺すった。


「少佐、ガバナーだよ!」


 彼女の肩は思ったよりも華奢だった。


「……手を離してください」

 ホシは不快感を顕わにし、忠志をにらみつける。


「あ、はい」

 我に返った忠志は、彼女の肩を放した。


「何ですか? ガバナーとは」

「CPUの発熱を下げるのは使用率だけじゃない。クロック周波数を落とせば良いんだよ。cpufreqのgovernorをondemandからpowersaveに切り替えれば良い」

 忠志は興奮気味に説明するが、ホシは冷ややかだった。


「それには管理者ルート権限が必要ではないですか?」

「もちろん」

「我々には管理者ルート権限がないのです。クラックする技術力もありません」


 セキュリティ上の理由から、NebulAI自身のユーザーにも、メンテナンス用ユーザーにも管理者ルート権限が与えられていない。ホシの言うとおり、クラックして『脱獄』するのも一つの方法だ。だが、彼女は一つ忘れている。正攻法である。


「だから、僕がここにいる。セキュリティトークンはここです」

 忠志は自分の右手の中央を指差す。

 ホシは目を丸くした。

「……! だから、これまでの調査でセキュリティトークンが見つからなかったのですね」

「お役に立てそう、かな。まだ、トークンが生きていたら、だけどね」


 忠志がハカリに向かって声を掛けようとしたその時、ふとハカリと視線が合う。ハカリの青い目は、断崖絶壁で縋る藁を見つけたかのような、希望と絶望が入り交じったものだった。


 ハカリは忠志に問う。


「提案はあるかね?」


 忠志は答えた。


「はい。一つだけ試してみたい方法が」


   ***


 ハカリは忠志の目を見据えた。


「よし、あなたに任せる」


 彼は手術台の前を忠志に譲った。


「コンソールの操作が必要だ……。ホシ少佐、その端末に触らせてください」

「あなたが操作することは認められません」

「なぜ?」

「法的に医師または準医師の資格が必要です」

「えぇ? 悠長なことを!」

「大丈夫、ぼくが操作します。シェルの基本的な操作方法は心得ています」


 ホシの目を見る。その緑色の美しい瞳は、まっすぐこちらを見つめ返した。信頼を得るためには、まずは信頼することだ。


「わかった。まず、『sudo -s』を」


===================================================

maint@nebulai-e0c97797e0:~$ sudo -s

Please touch the reader with your hardware token...

===================================================


 忠志は、患者の手首を握った。するとコンソールに続きの文字が出力される。



===================================================

Public-key authentication start.

PIN required.

Enter PIN for 'Tadashi Saga (HUT Security Token)':

===================================================


 とりあえず、ほっとする。忠志の体内に埋め込まれたハードウェアトークンは生きているようだ。


「PINも入力したらだめなの?」

「はい」


 忠志はホシの耳元に八桁のPINコードを囁いた。セキュリティ担当がこの場にいたら、さぞかし発狂したことだろう。だが、そんなことは構っていられない。


===================================================

Authentication succeeded.

root@nebulai-e0c97797e0:~#

===================================================


「よし。少佐、『cpufreq-set -g powersave』」

「はい」


===================================================

root@nebulai-e0c97797e0:~# cpufreq-set -g powersave

root@nebulai-e0c97797e0:~#

===================================================


「次は、echo 0を /sys/devices/system/cpu/cpu1/onlineにリダイレクト。cpu2から15まで同様に」


===================================================

root@nebulai-e0c97797e0:~# for i in {1..15}; do echo 0 > /sys/devices/system/cpu/cpu${i}/online; done

root@nebulai-e0c97797e0:~#

===================================================


「お、やるね」


 時計に目をやる。タイムリミットまであと三十秒だ。

 CPUパッケージ温度のグラフが急落した。七十度、六十五度……六十度。やや遅れて、NNGPAの温度も徐々に下がり始める。三十二個あるゲルパックのうち、五十度を下回るものが一つ、また一つと増えてゆく。


 残り十秒。

 三十二個中三十個が警告温度を脱する。残り二個。


 忠志とホシは固唾を呑んでグラフの動きに注視した。ハカリと助手は、血液冷却装置を調整しつづける。


 残り五秒――残り一個。


 残り四秒――残り一個。


 残り三秒――残り一個。


 残り二秒――残り一個。


 残り一秒――残り〇個。


 残り〇秒――残り〇個。


「やった……」


 NNGPAを構成する三十二個のゲルパックすべての温度が五十度を下回った。ホシのタブレット上に表示される数値は、ニューラルネットワークが現在もなお正常に反応していることを示していた。


「うまくいった……よかった」


 忠志は、その場に崩れるように座り込んだ。


   ***



「ああ、アーガ!」

 手術室を出ると、反重力ストレッチャーに、女性が駆け寄った。

 彼女は患者の手を握り、不安げな目でハカリを見上げた。


「大丈夫です。最悪の事態は免れましたよ。意識の回復は当面難しいでしょうが、希望は残りました。あのヒトのおかげです」


 ハカリは忠志を指差した。

 忠志と女性は、恐る恐る会釈を交わす。それはまるで異星人へのファーストコンタクトのようであった。


 やがて女性は患者に付き添い、ストレッチャーとともに曲がり角へと消えていった。



「嵯峨忠志博士、おつかれさまでした。ご協力に感謝します」

 ホシは忠志からちょうど一・五メートル離れた場所からそう言った。律儀なものである。


「こちらこそ。ありがとうございました」

 忠志は握手を求めるが、彼女はそれには応じなかった。


 とにもかくにも、一人の命を救ったのである。だが、忠志の気分は晴れなかった。

 あの患者はたまたま幸運だったのだ。しかし、こうしている間にも世界のどこかで手術を受けられなかったNebulAIネビュライが命を落としている。

 そして、もう一つ大きな問題がある。NebulAIネビュライに対して管理者権限があるのは、恐らく世界で忠志ただ一人だということである。CPUの周波数変更、コアの無効化、この二つの処置は忠志がその場にいなければ行えない。だが、もっと良い方法があるはずだ。


――このハリマ熱病の解決のため全力を尽くそう


 忠志は強く決意した。

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