Episodes[5] // 一週間



 忠志はハカリに尋ねた。


「ハカリ先生、あなたが知っていることをすべて教えてください。まず、これまでホシさんの症状はなぜ治まっていたのですか?」

「助かったのは偶然といわざるを得ない。治療の途中で不揮発性メモリチップに物理的に傷を付けてしまった」

「傷つけた場所にカーネルモジュールが記録されていたんだ……。それで、発症を免れた」


 ホシのストレージが壊れていて、不安定にファイルが壊れるのはそれが原因だということだ。


「だが、そんな方法は再現できない。実際に何度か試してみたが、成功はしなかった」

「なるほど」


 しかし、ハリマ熱病の完治には役立たない情報である。


「さっき話した通り、ウィルスについての詳細は解明されていない。二十二世紀にヒトが開発したウィルスの開発キットだ。ソースコードがあるわけでもなく、私が作ったのはアドオン部分だけにすぎない」

「それでは、あなたが作った部分に関して教えてください」

「簡単だ。東ハリマ自治区に一週間以上滞在すると、CPUの使用率が百パーセントになる。東ハリマ自治区を出れば発症しなくなる。それだけだ」

「でも、実際は全世界で発症している」

「なぜかは分からない。ハリマ熱病ウィルスが東ハリマ自治区の外で発症するはずがないんだ」


 すると、アカネが会話に割り込んだ。


「もしかして、あなたが作ったウィルスとは異なるバージョンなのでは?」


 ハカリは首を横に振る。


「それも考え辛い。もちろん、流行中のウィルスの本体を確認できたわけではないが、発信源となったそのスティック型記憶装置に記録されたものは、私が開発したものとハッシュ値が一致している。なぜこんなことが起きたのかは分からない」


 もしハカリの言葉が正しければ、ハリマ熱病ウィルスに不具合があったことには間違いないということになる。


「ハリマ熱病ウィルスは何をもって東ハリマ自治区内外を判定しているのですか?」

「GPSの位置情報履歴を参照している」

「GPS――」


 忠志はホシとの会話を思い出した。GPSの話題だ。

 あれは、東ハリマ自治区に向かっていたときのことだった。


『あっ、それも、遺伝異常?』

『いいえ、二二九四年一月にGPSのCNAVメッセージに含まれる週番号がロールオーバーしたことが原因です』

『ロールオーバー?』

『……ご存じないのですか?』


「そなたは美しい……」


 忠志のつぶやきに、アカネは怪訝そうな表情を浮かべる。


「はい?」


 構わず、忠志は続けた。


「……GPSだ……GPSですよ!」

 

 アカネは首を傾げる。


「どういうことですか?」

「GPSの週番号のロールオーバーです」

「ああ……何か聞いたことがあります」


「アカネさん知らないですか。常識、デス!」


 忠志は記憶をたぐり寄せホシの言葉を復唱する。


――GPSは日付を一九八〇年一月六日からの週数で表します。

「GPSは日付を一九八〇年一月六日からの週数で表します」


――これが十三ビットの整数なのです。

「十三ビットの整数で」


「CNAVメッセージに含まれる週数は、です!」


 ツバメが補足する。


「ああ、知りませんでした。それ」


 アカネは平然を装っているが、少し悔しそうだ。

 忠志はハカリに尋ねた。


「それが関係してるのでは? ソースコードはありませんか?」

「残念ながら……」

「でも処理内容は覚えておられますよね。発症するかしないか、具体的にどう判定していたのか教えてください」

「ローカルタイムの十三時三十分に、過去一週間以内の位置情報履歴を取得する。そして、取得した記録を日単位で東ハリマ自治区内外で分類して集計する。もし、東ハリマ自治区内の位置情報件数が、東ハリマ自治区外の位置情報よりも少ない日が一日でも存在すれば発症を中止する。だが、すべての日において、東ハリマ自治区内の位置情報が多ければ、発症する」


 アカネは納得したように頷いた。


「ツバメさんが発症したのは、過去一週間の間、東ハリマ自治区内でほぼ一日を過ごしていたからということですか」


 だが、話の本筋はそこではない。

 忠志はさらに尋ねた。


「もし過去一週間に、東ハリマ自治区外の位置情報も、東ハリマ自治区内の位置情報も、両方とも記録されていない時は、どうなりますか?」


「そんなケースは想定していなかった……。判定期間を一週間設けているのも、そんなケースが発生しないようにするためだ。しかし、もしそうなると……発症することになるだろう」


「NebulAIは、GPSの週番号のロールオーバー対応にバグがあるんです。生存中にロールオーバーすることが考慮されていなかった」

「それは知っているが、それがどう関係しているのだろうか」

「二二九四年一月以前に生まれたNebulAIは、二二九四年一月を境に、位置情報に記録される日付が、ええと……」


 ツバメが助け船を出す。


「二一三七年、です」

「そう、二一三七年。二一三七年に戻ってしまう」


 忠志の説明を聞いて、アカネははっとした表情を浮かべた。


「そうすると、『過去一週間』以内の位置情報履歴を取得しても、返されるレコード数は必ずゼロ件となりますね。二一三七年の位置情報は『過去一週間』には該当しないから」

「そう、必然的にハリマ熱病ウィルスの発症条件を満たしてしまう」


「そうか……。そういうことだったか……」


 ハカリは力なく椅子に座り、頭を抱えた。

 しばらくして、ハカリは口を開いた。


「医務省の統計データは粗すぎたんだ。生データを分析すれば分かった。生年月日が二二九四年一月以前、つまり三十六歳以上の患者は全国的に発症しているが、三十六歳未満の患者は東ハリマ中央病院に集中している。東ハリマ中央病院は、他の病院とのパイプがない。だから、転院することもなく、症状が治まった事例も存在しなかったわけだ」

「そうだ、昨日の少年は?」

「この説が正しいなら、今日の十三時半には症状が治まるだろう」

「それまでは待っていられない。早速確かめてみましょう」


 忠志はコンソールを操作した。


 まず、ハリマ熱病の症状を抑えるために停止していたnebulai-visiondを起動する。CPU使用率は百パーセントとなった。これが発症状態である。


 そして、ホシの位置情報履歴データベースに、現在の日付時刻で偽の位置情報履歴を追加した。東ハリマ自治区の外、例えば首都オカヤマの位置情報だ。そして、体内時計の時刻を変更し、今日の十三時半とする。


 数秒後、CPU使用率はたちまち下がり、数パーセント前後で落ち着いた。

 視覚を無効化しなくとも、発症は抑えられたのだ。


「私でも実験するですよ!」


 ツバメに対しても同様の措置を施す。やはりCPU使用率は平常通りとなった。


「ぎゃぼしー! 目が見えるです! 嵯峨先生、思ったよりはフツメンでべそ」


 ツバメに理不尽に罵られているかのように思えたが、忠志は無視することにした。


 この事実が示すところはこうだ。

 NebulAIが、GPSの週番号ロールオーバーに正しく対応できていれば、あるいは、ハリマ熱病ウィルスが発症する判定条件が『もし過去一週間の全ての位置情報が東ハリマ自治区内であれば発症する』であれば、全世界的なパンデミックには至らなかった。だが、この二つの不具合が絡み合って、この悲劇が発生した。


 皮肉だった。NebulAIに位置情報履歴機能を搭載したのは、方向音痴の憂き目に遭わないよう良かれと思って搭載したものだった。そして、倫理的に許されざる手法とはいえ、ハリマ熱病ウィルスさえも『正義』によって生み出されたものだった。


 ヒトもNebulAIもミスを犯すと言う点では同じだ。

 もしミスを挽回できないとしても、最善を尽くさなければならない。


「よし、アップデートイメージを作りましょう。GPSのロールオーバー対応は、位置情報サービスの修正で簡単に修正できるはず」


 アカネが手を挙げる。


「ソースコードはだいたい把握しています。わたしにやらせてください」

「わかりました。よろしくお願いします」


 だが、ツバメが指摘する。


「みなさん、忘れているですよ。GPSのロールオーバーを修正しても、ウィルスを取り出さなければ、東ハリマ自治区に誰も住めなくなってしまうです。そんなことを許してはいけないですよ」


「ですが、少しずつでも前進するしか――」


 ツバメは忠志の言葉を遮った。


「このスティック型記憶装置を分析して分かったですよ。ウィルスの本体が見つからなかった理由が」

「ええ!? 本当ですか?」

「NebulAIには不揮発性の記憶装置が、ストレージ用の不揮発性メモリチップ以外にもう一つあるです。ここでツバメちゃんクイズ! その記憶装置とは何でしょうか」


 忠志はそのノリに困惑しつつも、記憶を辿る。


「え……何だろう」


 だが、クイズと言われると焦って頭が真っ白になってしまう。何も思い浮かばなかった。


「大ヒント! それがなければシステムが起動しない、です」


 答えたのはアカネだった。


「もしかして、BIOSとかですか?」

「正解! さすが、アカネさんです。正確には、UEFI・BIOSのファームウェア用のフラッシュメモリ、です! そのファームウェアに寄生して、OSの起動プロセスに介入するタイプのウィルスだったですよ!」

「ああ……」


 忠志は情けない声を漏らした。


 UEFI・BIOS――それはオペレーティングシステムとハードウェアの間を取り持つ重要な存在だ。これなしにシステムは起動しないし、動作もしない。そして、UEFI・BIOS自体は、独立したフラッシュメモリに記録されている。


「だから、誰にも見つけられなかった」

「そのとーり。でも、ファームウェアのアップデートが上手く行かないと思うです」

「最悪、ハードウェア的なバイパス回路を設ければ、強制的に中身を書き換えることはできます」


 すると、ハカリが遠慮がちにこう言った。


「ホシの場合は、コアモジュールが物理的に破損している。もし可能ならばコアモジュールをすべて取り替えたいところだ。このシミュレーターのコアモジュールがあるなら、移植できるはずだ」

「でも、頭蓋骨を開けての手術が必要ですよね」

「大丈夫。準備はある」


 アカネが疑いの目を向けた。


「待ってください。本当に信じていいんですか? この人がホシさんを『消そう』としているということはありませんか?」

「それなら、嵯峨さん、あなたが執刀すれば良い。私がサポートしよう」

「しかし、僕は医師ではありません」

「何を言っている。準備はあると言った」


 ハカリはトランクを開けると、忠志に小さな箱を渡した。

 その中には金色のピンバッジが入っていた。


「あなたの医師バッジだ」

「え……医師? あの、准医師ではなくて」

「ああ。私の後継者にふさわしいと推薦し、医務大臣の特認を取り付けた。嵯峨さん、あなたの端末に医師免状が届いているはずだ」


 忠志は自らのタブレット端末を確認する。

 未読が三件。そのうちの一件には『Asistanta Doktoro』、新しい一件には『Doktoro』の文字があった。それは、それぞれ共通語で准医師、医師という意味である。


「……ありがたいですが、僕は不器用ですし、ちゃんとした医療知識のトレーニングも受けていない。僕が言うのもなんですが、こんな簡単に医師免許が取れては医療制度が崩壊してしまうのではありませんか?」

「簡単? どれだけの根回しが必要だったか知らないからいえる。それに、ホシが既に准医師申請を行っていたから実現したことなんだ。とにかく、愛する人を救いたいなら、受け取りなさい」

「……はい」


 忠志は、アカネとツバメに向き直った。


「僕とハカリ先生はこれからコアモジュールの移植手術を行います。祝園さん、ツバメさんは位置情報サービスの修正と、アップデートイメージの作成をお願いします。分からないことがあれば聞いてください」


「はい」

「了解承知の助、です!」

「……がってん承知の助です」

「そうそれ!」


 いつも通り二人に安心しつつ、処置台に向かった。


 ホシの美しい髪をバリカンでそり落とさなければならないのは心苦しかった。

 忠志は心の中で土下座しながら、バリカンを入れる。


 ホシのシステムをシャットダウンし、ホシの頭部にメスを入れた。


 ホシの頭蓋骨には治療痕がある。カーボン繊維入りの光硬化樹脂だ。レーザードリルでは歯が立たない。接触式のドリルで樹脂部分を除去する。


 NebulAIの血の色はショッキングピンクである。目がくらんだ。


「落ち着きなさい。血管をすこし掻き分ければ、コアモジュールがある」


 露わになったホシのコアモジュールは、あちこちが傷つき、傷口を塞ぐように腫瘤を形成していた。この状態では、ハカリの言うとおり交換するのが最良の選択肢だった。


 忠志は、二号機目のシミュレーター用に作製したコアモジュールについて、ナノマシンのパラメーターをホシのものに一致させた。


 ホシの頭部から古いコアモジュールを摘出し、新たなコアモジュールを移植する。

 コアモジュールと他のモジュールとの接続にはバス方式を採用しているため配線はそれほど多くない。だが、それでも接続を誤れば後遺症は免れない。忠志は一本一本を新たなコアモジュールに慎重に接続していった。


 データの移行は必要ない。

 すでにメモリチップにデータが書き込まれていたからだ。


 主要な配線と血管の接続を終えると、再生促進装置のビームを当て細かい血管の接続を修復する。

 コアシステムを起動し、動作に問題がないことを確認してから、頭蓋骨と頭皮を再生した。傷跡を残さないように慎重に、慎重に作業を進める。


 忠志は、古いコアモジュールをビーカーに入れ、生理食塩水で血液を洗い落とした。


――長年、お疲れ様でした。


 忠志は心の中でそう声を掛けた。



「アップデートイメージができました。確認をお願いします」


 アカネに呼ばれ、アップデートイメージの内容を確認した。

 シミュレーター1号機で動作を確認し、ロールオーバー対応が正常に完了していることを確認した。


 忠志はアップデートイメージに電子署名を加える。

 そして、ホシのシステムにアップデートを適用した。

 これが、実に三世紀ぶりのアップデートとなると考えると、不思議な気分だった。


 忠志はアップデートを適用する間、せめて少しは頭髪をと考え、頭髪の再生措置を行った。

 短時間で元通りのセミロングというわけにはいかないが、ベリーショートぐらいまでは回復できた。


 全てが終わる頃には、太陽が空高く昇っていた。


 アカネとツバメは既にソファーで倒れるように眠っている。


 静かな部屋のなかで、ハカリはトランクケースに機材を収めながら、忠志に言った。


「ホシが目を覚ましたとき、私がここに居ては難しい立場になるだろう。私はこれで失礼するよ」

「どこへ行くおつもりですか……?」

「私は、私のやり方で責任を取るつもりだ。警察に行っても相手はされないだろうからね」


 ハカリは、ホシの耳元でこう言った。


「ホシ、おめでとう」


 そして、忠志を見る。


「嵯峨さん、ホシを幸せにしてやってくれ」

「……はい」


 忠志は、ホシの目から涙が流れたことを見逃さなかった。


「さようなら」


 そう言って、ハカリは去って行った。

 机には、彼の医師バッジが残されていた。

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