Episodes[4] // なぜあなたがここに?


「なぜあなたがここに? 終電時間はとうに過ぎている」


 忠志はハカリに尋ねた。


「すべてを話す時が来た、と思ってね。だがもう、私以上に詳しいことが分かってきたようだ。必要なかったかもしれないね」


 ハカリは自嘲気味にそう答え、大きなトランクケースを床に置いた。

 

「どういうことですか?」


 忠志の問いに、ハカリは一瞬だけためらいを見せる。しかし、すぐに意を決したように口を開いた。


「……ホシが、いわゆるハリマ熱病ウィルスに感染したのは、三十七年前、生後間もなくの頃だった。急病で首都病院に運び込まれたとき、治療薬ソフトウェアと、実験中だったウィルスの取り違えが発生した。幸いにもホシは先天的に通信機能に障害があって、感染の拡大はしなかった」


「待ってください。どうして、それがハリマ熱病ウィルスと?」


 ハカリはポケットからチャック付きポリ袋に入ったスティック型記憶装置を出し、忠志に渡した。それはUSBメモリのようであったが、端子の形は忠志の知らないものであった。


 アカネは目を丸くし、それを指差した。


「あ、これです! これが私たちが解析した……! ウイルスが入っていたやつです」

「え……?」


 忠志はもう一度それを見る。

 これが全ての元凶だというのか。


 ハカリは説明する。


「元々四十年前に用意した偽の史料だ。技術復興省ハリマ庁舎の職員を騙してウィルスを拡散させるための。不発のまま忘れ去られた頃に、君たちが引っかかってしまった――というわけだね。これがハリマ熱病ウィルスの原本――正式名称は、『東ハリマ地域不法占拠者退去促進ソフトウェア、試作第一号』だ」


 忠志の中で何かがプツリと切れた。

 血が一気に頭に上り、視界の明度がわずかに上がった気がした。


「退去促進だって!? 命を奪うことがですか」


「――これだけは信じて欲しいが、決してこれは命を奪うことが目的ではなかった。CPUの使用率が高い状態が継続すれば死に至るということは、当時の我々には予想できなかったんだ。それに、東ハリマ自治区にいる人物に発症させ、東ハリマ自治区の外に出れば症状は治まるはずだった。全世界でこんなことになるとは想定外だった」


「つまりバグがあったということですか?」


「……そういうことになる」


「そもそも、なぜこんなものを!」


「この地域は技術復興省の産業遺産保護地域に指定されている国有地で、彼らが住む権利のない土地だった。名目上は、不法占拠者から産業遺産を保護することが目的だった」


「名目上は」


「その通り。今から四十年前、東ハリマ地域に言語や文化の異なる――もっといえばヒトの文化を色濃く受け継ぐ――住民が小都市を形成していることに、政府は危機感を覚えた。危機感というよりはもはや脅威として恐れていた」

「脅威ですか?」

「そう。ヒトは国、言語、文化の違い、そして過度な資本主義から自滅した。その教訓から、我々の政府は、一つの国、一つの言語、一つの文化、そして、通貨の廃止を主要政策としている。その方針に真っ向から反抗する彼らは危険分子だった。散り散りにして同化しなければならない。実際、警察省に身を置いていた当時の私もそう思っていた」


「警察省特別警備局……確かにホシさんの元上官と聞いていましたが――」


「警察省特別警備局は、表向きは要人警護の組織だ。しかし、社会全体を危険分子から守るという任務を帯びている」

「じゃあ、ホシさんも?」

「ホシは――そういった任務を嫌っていた。彼女は自分の信念を曲げず、法律を盾に、時に法律を曲解してまでサボタージュをする。君も知っているだろう?」


 ハカリはアカネに目をやった。

 確かにホシは凶悪事件の被疑者であるアカネを、拘留期限を理由に釈放した。もしかすると、拘留期限を延長する方法はいくらでもあったのかもしれない。ホシは意図的に行わなかったということなのだろう。


「――だから、二課に島流しされた。私はもう警察の人間ではないから正確なことは分からないが、今回の任務はきっとホシを一課に戻すための実績作りとして与えられたものだろう。だが、こうして、ハリマ熱病対策チームにうつつを抜かし、サボタージュしているのは皆が知っての通りだ」


「……サボタージュだって? ホシの功績がなければ、死亡者数の増加を食い止めることだってできなかった!」


「そんな目で見るな。特別警備局の連中はそう思っているというだけの話だ。どんなことがあろうと、良心に従い、目の前の命を救おうとするのがホシの正義だ。だが、当時の私の正義は少し違った。ハリマ熱病ウィルスこそが、社会の平和、ひいては多くの命を守ると信じていたんだ。もちろん、良心は咎めた。しかし、私は良心のその小さな声に従わなかった。だが、ホシの感染を知ったとき、それが間違っていたと気付いた。私にはなんとかして彼女の命だけは救ったが、彼女に多くの後遺症を残す結果になった。そして、今、全世界的なパンデミックという結果も招いている。すべて間違いだった……」


「……懺悔する相手を間違えていませんか?」

「ああ……まったく、その通りだ」


 ハカリの顔は十歳ほど老けたように見えた。



「コンピューターウィルスのすべてを知っていたなら、なぜ黙っていたんですか」


「私の弱さだ。信頼を失うのが怖かった。それに、秘密にしておくことが、医務省や警察省を動かすためのカードだったんだ。そもそも、私はコンピューターウィルスのすべてを知っているわけではない。三十七年前、計画が中止されたのは、ホシの感染事例を検証しても治療法が分からなかったからなんだ。二十二世紀にヒトが開発していたウィルスを改造したにすぎない。発症メカニズムは解明されていない」


 しばらくの間、張り詰めた空気の中で、静寂が続いた。

 ハカリは未だ意識を回復しないホシの顔を見て、何かを思い出したかのように沈黙を破った。


「だが、不思議なことがある。ウィルスは、安全措置として日中――十三時半に発症するように設計した。発見が遅れないように。午前三時には発症しない。意図的に体内時計の時刻を変更しない限りは」


 忠志はコンソールに飛びついた。dateコマンドを実行して、ホシの体内時計の時刻を確認する。


「……確かに、体内時計は十五時だ。逆算すれば発症は体内時計で十三時半ごろになる。どうして気付かなかった……」


「これは、本当にホシのサボタージュなのかもしれない。実を言えば、一報を聞く前から、私はここに向かっていた。すべてを嵯峨さん、あなたに伝えるために」


「え……」


「ホシは既に本省から何らかの連絡を受けていたはずだ。ホシに与えられた任務は、恐らく私の口を封じることだったのだろう。最初からそんな気はしていたが……」


 つまり、ホシは『任務』から逃れられないと知り、最大限の『サボタージュ』を行わざるを得なかった。

 そこまで追い込まれていたというのだろうか。


 忠志は背筋に寒気が走った。


「まさか、sudoersファイルが壊れていたのも、もしかして意図的に壊した……」


 ストレージ障害と思っていた。だが、ホシが、意図的にファイルを壊したとすれば――。


 アカネは反論する。


「そんな、ホシさん単独では管理者ルート権限に昇格できないはずでは」

「いや、僕のセキュリティトークンのPINコードを知っている。やろうと思えば、僕が寝ている間に僕のセキュリティトークンを使えるはずだ。ファイルを壊すことも当然できる」

「ええ!? 馬ッ鹿じゃないですか!? PINコードを教えるなんて」


 突然のアカネの罵声に、忠志はたじろいだ。

 

「……違いない。その通りです」


 だが、それは最初、患者を救うためにやむを得ずしたことだった。


――いや、違う。


 今だからわかることだが、ホシは堅物に見えて、実はルールには柔軟である。あのとき、PINコードの入力ぐらい忠志が行っても問題ないと考えたはずだ。あえて法律を盾に取り、忠志からPINコードを聞き出したのは、つまり、こうした事態を最初から予見してのことだった可能性すらある。


――ソーシャルエンジニアリング


 いつかそんな言葉を聞いたことがある。

 技術的手段を用いずに、人間の心理的な隙を突いて、重要な情報を盗む手法のことだ。


『正義心が強いということはね、それを貫くために、時に道を踏み外すということでもある』


 忠志はかつてのハカリの言葉を思い出した。


 その言葉の通り、ホシは自ら命を絶とうとした。


 忠志にとって、そんな目的のためにPINコードを用いられたこともショックだったが、それ以上に最初からそれを選択肢のひとつとして考えていたということが悲しかった。だが、それはホシの文字通り、必死の抵抗だったのだとすれば、ホシを強く責めることもできなかった。


 ホシの望みは何か。

 きっと死ぬ事ではない。本当に死にたければ、忠志に助けを求めるはずがない。

 ホシもヒトの性質を受け継ぐNebulAIの一人だ。意を決した後、死の恐怖に心が揺らいだのかもしれない。だとすれば――。


「ハカリ先生」

「先生などと呼ばれる資格はない」

「あえて言います。ハカリ先生。ハリマ熱病の根絶には、あなたの協力が必要です。医師として、ホシの主治医としての責任を果たしてください」


 だが、ツバメは拒否する。


「えー!? こんなヤツを信じるですか!?」

「ツバメさん、祝園さん……気持ちは分かります。でも、ホシが命を賭けてまで守ろうとしたのは、恐らく事実だ。その人の言葉を信じたい」


 しばらくの間、沈黙が続いた。

 アカネが大きなため息をついた。


「……まったく、あなたはお人好しです。だから、あなたも、NebulAIも、セキュリティがガバガバなのですよ。放ってはおけません。勘違いしないでください。これはホシさんを信じているだけです」


 それにツバメが茶々を入れる。


「ツンデレ、乙!」

「ツンデレちゃうわ。そういうツバメさんはどうするのです?」

「勘違いしないでください。私はアカネさんを信じているだけです」

「ツンデレ乙!」


 この二人は本当に仲が良いのだなと、忠志は羨ましくも思った。


 忠志は四人の顔を見て、宣言した。


「ホシさんの完治を目指します」

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