Episodes[6] // アップデートは三世紀後に


 三世紀ぶりのアップデートは、世間に驚きと困惑をもたらした。

 忠志の学会発表は物議を醸し、そのアップデートは信頼できるものなのか、副作用はないのか、大論争を巻き起こした。 


 その後、アップデートイメージには何度か改良が加えられ、アップデートプロセスの途中でUEFI・BIOSのファームウェアを更新する方法も確立された。ハカリが最後に行った根回しも功を奏し、なんとか治験を完了するまでに至った。


 だが、治療を希望する者は多くなく、希望者のみ個別にアップデートを適用するという玉虫色の結論となった。


 そんな中、最初に手を挙げたのはアーガという男性だった。忠志がこの世界にやってきて、最初に治療した患者である。アップデートは無事成功し、それによりハリマ熱病も完治した。


「ありがとう、お礼、言いたいかった、ずっと」


 忠志とアーガーは固い握手を交わす。


 彼は有名なテニス選手だったということもあり、そのニュースは各地に駆け巡った。それがきっかけとなり、少しずつアップデートの適用を受ける患者が増加した。


 確かに、NebulAIはヒトと似ている。良いところも、悪いところも。


 首都総合病院の廊下を歩いていると、忠志には、未だに冷たい視線を向けられる。教育で植え付けられたヒトへの偏見を考えると、解消には時間がかかりそうだった。


 あの少年の姿を見つけ、声を掛ける。


「Kiel vi fartas?」


――調子はいかがですか?


 だが、少年はそっぽを向いて走り去ってしまった。まあ、事情からすればやむを得ない。元気そうで何よりだ。


 それでも、少し前進したこともある。同僚の医療スタッフからは友好的に会釈されるようになった。何よりも彼らは忠志の実績を知っているし、数ヶ月も共に働けば気心も知れてくるというものだ。


 結局のところ、未知の者や理解しがたい者への恐怖こそ、我々は乗り越えていかなければならないのだろう。でなければ、東ハリマ自治区の悲劇は繰り返される。


 事実上、東ハリマ自治区が壊滅した今、きっと、忠志自身が、この世界の中で異質な存在として生きていくことが、世界の多様性を担保していくことになるのだろう。社会から排除されないよう、摩擦に気を遣いながら生きていく――ただ、それはとても孤独で窮屈なことだった。



 ふと、気配を感じて振り返ると、そこにアカネとツバメの姿があった。


「あ、え、祝園さん!?」


 忠志は驚きのあまり腰が抜けそうになる。

 アカネの首にはチョーカーすらなかった。そして、脱獄してきたにしては落ち着きすぎている。


「幽霊を見るような目で見ないでください。生きています」

「あれ……死刑だったのでは。どうしてここに?」

「まだ執行されていませんし、厳密には、控訴手続き中でした」

「でした?」

「はい。でも、ツバメさんのおかげで――」

「本日、下院、上院議会ともに全会一致で特赦が可決されたですよ! 奴ら腰を抜かしたでべそ」


 ツバメの素っ頓狂な声に、数人の患者が何事かと振り返る。


「声のボリュームを下げて。で、何があったんですか?」


 ツバメは腰に手を当て、得意げに説明する。


「あのハカリとの会話をすべて録音していたですよ。それを議会の参考人招致の場を利用してばらまいたです。アカネさんは悪くない、悪いのは警察省特別警備局であると暴露してやりましたです」

「でも、誰も信じないでしょう? 証拠のない話だし、実際警察にも、裁判所にも相手にされなかった……」

「ふふーん。実は、あれから裏付ける証拠も見つけたです。隠滅を指示された捜査資料の複製を、あの少尉さんが隠し持っていたですよ。確かに原本は跡形もなく廃棄されていましたが、資料に付された電子署名とタイムスタンプでそれが本物と証明されたです」


 忠志は、少尉の最期の言葉を思い出した。


『ありがとう……データをお願い、します』


 そうか、そのことを言っていたのだ。


「しかし、よくそんな危険な真似を……議会がグルならもみ消されていたはず」

「保険をかけたです。アップデートイメージにこっそり捜査資料を仕込んでおいたですよ。/opt/cubameディレクトリに。アップデートを適用したすべてのNebulAIが事実を知るです。国が分裂しかねないスキャンダルですにゃん」

「え……」


 それも驚きだったが、それで、控訴審判決を待たずに特赦が可決されるとは、まだこの国家は法治よりも人治的な傾向が強いのだろう。見てくれだけは立派だが、実態としては過疎自治体の田舎政治ということかもしれない。これだけは、社会の成熟を待つしかない。


「正直、うまく行きすぎなのが気になるところですが、ま、消せば増える、歴史に裏付けれてですよ。これ播州弁です!」

「なんか違う気がしますが……しかし、怖い物知らずは恐ろしい……」


 こんなことをできるのは、ツバメしかない。


「恐れるべきは、そんなデータを仕込まれていたのに気付かない嵯峨さんですよ」


 アカネの指摘は手厳しい。


「……はは、違いない」


「これがコンピューターウィルスだったらどうするんですか。これだからお人好しは困ります」


「自己紹介乙、です!」


 と、ツバメが茶々を入れる。


「実は、今後アップデートの開発をどうしていくかというのは頭痛の種なのです。お二人にも時々手伝っていただければ」


 忠志がそう言うと、アカネは頷いた。


「立場上どこまでコミットできるか分かりませんが、時間は作ります」


 そして、ツバメの声が廊下にこだまする。


「成果にコミット、です!」

「ありがとうございます」


 しばらく談笑した後、忠志は病院の玄関先で二人を見送った。


「また連絡するですよ。本省に呼び出されているので、では!」



 


 ただひとり、空を仰ぐ。


 日差しが眩い。焦がれるような蝉の鳴き声。

 ヒトが滅びても、日本列島の夏は暑い。




「ご無沙汰しています」


 澄んだ声が忠志を呼び止める。その声はちょうど清涼剤のように心地よかった。声の方に視線を向けると、そこに黒スーツを身に纏った、麗しきNebulAIの姿があった。


「……ホシさん!」


 胸に飛び込んできたホシを、忠志は両手で受け止めた。


「会いたかったです」

「はい、とても」


 強く抱きしめると、ホシも同様に応じた。


 数分後、ここが病院の玄関先であることを思い出した忠志は、渋々ホシを放したが、ホシは少し名残惜しそうに、そのガーネットグリーンの瞳を忠志に向けた。



「調子はどうですか?」


 忠志が問うと、ホシは小さな笑みを浮かべた。


「上々です。ただ、以前より少し力が出にくくなったように感じます」

「リミッターが正常に機能するようになった証拠です。筋肉痛は減ったのでは」

「はい。おかげさまで」


 これだけ会いたかったのに、どうしてだろう、緊張して会話がぎこちなくなってしまう。


「今日はどうして突然?」

「正式に、ここ、首都総合病院への出向が決まりました。来月からあなたの上官……いえ……上司になります。そのご挨拶に」


「本当に!? やった、また一緒に働けますね。ああ、そういえば階級章が」


 ホシの襟元に輝く階級章の星が三つに増えていた。


「はい、大佐に昇進しました」

「おめでとうございます」

「ありがとうございます。といっても、警察医務大佐ですので、実質的に捜査権と指揮権を剥奪され島流しされたみたいなものですが」

「……それで良かったのですか?」

「はい。警察の中枢にいても命は救えない。むしろ奪わなければならなくなってしまう。もともと医師として働きたかったのです。自らこの場所を志願しました」

「それなら、良かった」



 忠志はホシを自らの執務室に案内した。

 十畳ほどの部屋にデスクと応接用のソファが詰め込まれている。


「どうぞ、座って」


 ホシに座るよう促し、お茶を差し出した。


「ありがとうございます」

「ハカリ先生のに比べれば手狭な部屋ですが」

「いえ」

「そういえば、あの人は今どうしているんでしょうか」

「分かりません。ただ、少なくとも、そんな簡単にアカシ海峡に沈められる人ではないと思います」

「ははは、そうですね」


 会話が途切れ、沈黙が訪れる。

 忠志は落ち着かないまま、部屋の中を右往左往していた。


 忠志は例の話をいつ切り出そうか、迷っていた。

 ホシに会ったら一番に伝えようと思っていたことなのに、どうしても言葉が口から出てこなかった。



 ホシはしばらく部屋の中を見渡した後、透明ケースに入れて飾られているスマートフォンを見つけたようだった。


「……スマートフォン、ですね。もうお使いになっていないのですか?」

「もうアップデートが配信されないので」

「なるほど」

「システムアップデートの大切さは身を以て知りました。NebulAIはこうなってはいけない。次のアップデートが三世紀後になんて、なってはいけない。ソースコードを開示するだけでは不十分です。どうやって技術を承継していくか、どうやって悪用を防いでいくか、今考えているところです」

「私にも協力させてください」

「もちろん。ぜひ」


 再び沈黙が訪れた。

 ああ、もう。自分がじれったい。


 意を決してホシの隣に座り、ホシの瞳を見据えた。


「ところで、ホシさん。大切なお話があります」

「はい」

「ホシさん、僕はあなたのことが大好きです。この数ヶ月会えない日が続き、片割れが欠けたように感じていました。価値観も文化的背景も違うけれど、あなたと一緒に一生を過ごしたいと思っています。僕と結婚していただけませんか?」


 ホシはきっぱりと答えた。


「それは不可能です」

「えっ」

「お伝えするのが遅くなりましたが、私はすでに結婚しています」


 まるで、世界が崩れ落ちたかのようだった。

 目の前が真っ白になる。体中の血液が、ブラックホールに吸い取られていくように感じた。


「えええ! え、じゃあ、え? 誰とですか?」

「知りたいですか?」

「ええまあ」


 ホシの口元に悪戯っぽい笑みが浮かぶ。 


「……忠志、あなたとです」


「え、ええ!? ……え?」

「婚姻等登記事項全部証明書が端末に届いていたはずですが」


 忠志は端末の受信履歴を確認し、未読を一件確認した。それは医師免許を交付される前に受信したもので、確かにそれには、共通語で忠志とホシの婚姻関係を証する内容が記載されていた。当時の忠志はタイトルの意味を理解できなかったので開封することもなかったのだ。


 ホシは説明する。


「我々の法律では、一方が相手方に対して婚姻の申込みを行い、相手方がその申込を受諾することによって婚姻関係が成立します。あなたと初めて会った日に婚姻の申込みを受けました。その申込を私が受諾した時点で婚姻関係は成立したことになります」


 忠志はかつてホシが言ったことを思い出した。


『婚姻の申込みは法的に重要な意味を持ちます。基本的に取り消すことはできません。軽い気持ちでそのようなことを仰らないことを強く推奨します』


「しかし、いつの間に……」

「銃弾を腹部から摘出していただき、その後、祝園さんから呼び出された後ぐらいです」


 そういえば、確かにタブレット端末を操作していたことを思い出す。


「ってことは、あなたが初めてキスをしてきたときにはもう」

「そうなります」

「じゃあ、ハリマ熱病を発症して、僕のベッドに転がり込んで来たときも――」

「ふと最期の場所として、配偶者の腕の中を選びたくなったのです。何か変でしょうか?」


 忠志は愕然とした。


「じゃあ、この数ヶ月、結婚したことに気づかずに過ごしていた」

「そういうことになります」


――何てことだ。


 忠志は応接用のソファーに背中を預け、天井を仰いだ。

 緊張と解放により、体中がじんじんと痛む。


「そういう大事なことは事前に言ってください……」

「次から気を付けます」


 ホシにはちゃっかりとした一面があることを知っていたが、ここまでとは思っていなかった。

 まだまだ知らないところが多い。


 抜け殻のようになっている忠志に対して、ホシが申し訳なさそうに切り出した。


「本当のことを言うと、あのときは、命を捨てなければならない事態も覚悟して、焦っていたのです。精神的に平静を保つためにも、あなたの助けが必要だった。人生のパートナーを守るためという強い動機が必要だったのです。けれど、あなたに拒絶されるのが怖かった。ちゃんとお伝えするべきでした」

「いえ、とても驚いただけです。とても」


 この国には結婚式という習慣はない。結婚の誓いもない。

 もちろん、名前も変わらなければ、両親への挨拶などの習慣もない。


 実際、いつの間にか夫婦になっていて、後から過去に遡って婚姻登記するということも少なくない。だから、ホシの行動は非常識とまではいえない。むしろ初対面で、しかも寝ぼけてプロポーズした忠志のほうが非常識といえよう。


 けれども、このまま成り行きのままに身を委ねるのは、嫌だった。


 忠志はソファーに座り直して、ホシの手を両手でしっかりと握った。


「では、改めて――」


 ホシの緑色の瞳をまっすぐ見つめる。


「――ホシさん、僕はあなたを配偶者とし、あなたの配偶者として、命ある限りあなたと共に生き、あなたを愛し、あなたの命を守ります」


 ホシも真剣な眼差しで、忠志に言う。


「忠志さん、私はあなたを配偶者とし、あなたの配偶者として、命ある限りあなたと共に生き、あなたを愛し、あなたの命を守ります」


「Hosxi, mi amas vin」

「忠志、あなたを愛しています」


 忠志とホシは口づけする。


 ホシはこれまで誰にも見せたことがない、幸せそうな微笑みを浮かべていた。

 この笑顔を、この瞬間を二人占めできる幸せを忠志は噛みしめた。




 ……。


 ドアの向こう側から、何やら声が聞こえてくる。


『ぎゃぼしー!』

『しー! 静かに』


 忠志がドアを開けると、ツバメとアカネがなだれ込んできた。


「あ!」

「バレてしもうたです」


 気まずそうに、目を逸らす二人。


――小学生か。


 忠志は、思わず二人の頭にハリセンを振り下ろしたくなった。


「一体何を?」


 呆れ気味にホシが尋ねると、ツバメが頭を掻きながら答えた。


「いやー、ホシさんを見かけたので追いかけてみれば、こんな激アツ展開が待っているとは思わなかった、です! ヒューヒュー!」


 それに、アカネが続く。


「ご結婚おめでとうございます」



 結局の所、何ごともドラマチックとはいかないが、何にせよ、こうして祝福してくれる仲間がいる。

 忠志は心から感謝した。







 完璧な世界など存在しない。

 完璧なシステムなど存在しない。


 しかし、一歩一歩、改善してゆける。


 これは、決してゴールなどではない。

 果てしなく続く道のりの、その記念すべき第一歩である。


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