Episodes[11] // 二重規範だ


 翌朝。


 強制起床コマンドがスケジュール通りに実行され、ホシは目を覚ました。射し込む朝陽が眩しく、手をかざす。今日もカーネルログにはエラーメッセージが溢れていた。


 頭痛に吐き気――強制起床コマンドの目覚めはいつも最悪だ。爽やかな朝など生まれてこの方経験したことがない。しかし、不具合により通常起床ができない彼女にとって、cronジョブやセンサー入力をトリガーとした強制起床は欠かせないものだった。

 平均寿命からいえば、人生は残り百年以上はある。こんな朝をあと三万六千五百回以上繰り返さなければならないのか。結束バンドで徐々に首を絞められていくかのような苦しさと絶望感を覚えた。忠志と同室でなければ小一時間呻き藻掻いていたことだろう。


 堪らずホルスターから銃を引き抜き、銃口をこめかみに押し当てる――そこで、ようやく彼女は冷静さを取り戻した。自分は下着姿で一体何をしているのだろうか。


 姿勢センサーのキャリブレーションを終えた後、ホシはゆっくりと身を起こした。体中の筋肉が悲鳴を上げる。ひどい筋肉痛だった。昨日の作業が祟ったらしい。これも彼女が抱える身体の不具合の結果であった。筋肉の出力にリミッターが働かないのである。


 けれども、いつもに比べると少しだけ気分が良いのも事実であった。実際に治療に関わり、そして疫病の解決のために身体を酷使する。医師として活躍することを目指していた過去の自分が、少しでも報われたような気がしていた。少なくとも格闘訓練よりもずっと気分が良い。医師免許をを持つ者として、人を傷つけることには今でも抵抗があった。銃を携帯するのはあくまでも威嚇と無力化のためと決めていた。


 しかし今、プラズマ・パルス銃の安全装置は外れ、出力は『殺傷mortiga』にセットされていた。もし引き金を引いていたら、苦しみからの解放と引き換えに、命を失っていたところである。


――二重規範だ。


 自分なら傷つけても良いというのか。ホシは自嘲しながら、目盛りを『無力化』に戻し、安全装置をかけた。彼女の正義感もまた、彼女自身を傷つけていた。


 限界は近かった。医師として自分を診察すれば、職権で少なくとも数ヶ月の休養とカウンセリングの受診を命令することだろう。しかし根本解決になるはずがない。この苦しみから解放されることはないのだから。


 ホシは自分が忠志を拒絶する理由が分かった気がした。この深い絶望を知りもせずに、初対面でプロポーズする、そのティッシュペーパーのごとき軽薄さに強い嫌悪感を抱いたのだ。ヒト特有の体臭など、取るに足りない問題だった。

 けれども、今引き金を引かずに済んだのは、なぜか忠志の『結婚してください』『好きですよ』という言葉が脳裏を過ったからである。そんな軽薄な言葉で踏みとどまるとは、自分が信じられなかった。トレーシングペーパー以下の軽薄さである。


 ハンガーから服を取り、最低限の身支度を調える。本来であればもっと身だしなみに気を付けるべきだが、顔を合わせる相手は忠志、アカネ、そしてまともに意識がないツバメだけである。寝癖は洗面所で整えても差し支えないだろう。そう考えた彼女は、カーテンを開け、梯子を降りた。

 さあ、『言動には気をつける』と言った彼の決意を試すときが来た。寝ぼけ眼でプロポーズなどしてきたらどう言ってやろうか。


「おはようございます、嵯峨忠志……博士?」


 だが、そこに忠志の姿がなかった。

 心臓がドクリと縮れ上がり、血の気が引く。たちまち、浮かれた気分は打ち砕かれた。


 ベッド下段の開いたカーテンから中を覗き込む。皺だらけのシーツの上に掛け布団が無造作に丸められているだけだった。


 咄嗟に、部屋を見渡し視線を左右に走らせる。やはりその姿はない。


――まさか!


 事件に巻き込まれたのではないか。

 最悪の事態を想定する。


 ホシはホルスターから銃を引き抜き、部屋を飛び出した。

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