Episodes[13] // 起きました?
ホシは窓辺で、ぼんやりと遠くを見つめていた。すっかりと桜は散り、枝には芽吹いたばかりの小さな葉が点在している。
こんな風にのんびりと時間を使えるのは何年ぶりだろうか、とホシは思った。
もちろん今も任務中ではあるが、忠志はといえば隣でキータイプ音を響かせているだけで、部屋を出る様子も見せない。自分で休日といっておきながら、結局のところ自分の作業時間を確保したかっただけにように思える。とにもかくにも、何もすることがない。
けれども、この穏やかな時間の流れを楽しむ余裕はホシにはなかった。身体のあちこちが不具合に悲鳴を上げていた。実際、この苦痛に三十七年以上も耐えたのだ。もう疲れ果てていた。
ホシはつい疑問に思ってしまう。忠志はどうしてNebulAIの寿命をヒトのそれよりも長く設計したのだろうか、と。それが愚問であることはホシにも分かっていた。だが、考えられずにはいられなかった。
暖かい日差し、繰り返されるレトロなキータイプ音――ほどなくホシは徐々に眠りへと誘われた。このまま眠りに落ちてしまえば翌日朝まで起きられない。自力で起床できず、毎日の強制起床コマンドに頼っているからだ。そして待っているのは、最悪な目覚めだ。それも自ら命を絶ちたくなるほどの。
ホシは抗った。けれども、繰り返し打ち寄せる心地よい睡魔の波に、とうとう勝利することはできなかった。
そして――。
……。
「……!」
ホシは目を覚ました。
既に外は暗くなっている。
深呼吸し、大きな伸びをした。
「んんー……! ……?」
そのとき、ホシは、自分のこめかみにディスポ電極が貼り付けられていることに気がついた。
辺りを見回すと、ラップトップ端末を抱えて眠っている忠志の姿があった。
「あの……」
「ん……あ、起きました?」
忠志は慌てて涎を拭った。
ホシはディスポ電極を指さした。
「……これは?」
「体を揺すっても起きないものだから、心配で。勝手にコアシステムにアクセスしてすみません」
「……構いません。あなたならば」
「……気分はどうですか?」
いつもの不愉快な目覚めとは明らかに違う、とホシは感じていた。身体がとても軽く感じる。今にも踊り出したいほどだった。
「……気分はとても良いです。こんなに気持ちの良い目覚めは人生で初めてです」
「それはそうでしょう。毎朝強制起床コマンドを使っていたとは……。でも、もう大丈夫。壊れていたシステムファイルをいくつか復元して、通常起床プロセスが正常に完了するようにしたんです」
「では、もう強制起床コマンドを実行しなくても起きられるのですか?」
「今、ちゃんと起きたでしょう?」
「あ……本当です」
忠志はホシのこめかみからディスポ電極を剥がしながら尋ねた。
「これまで、死にたくなるほど不愉快じゃありませんでしたか」
「……はい。金槌で殴られたような頭痛と吐き気、慢性的な疲労感と倦怠感、表情筋の緊張――自覚症状はそんなところです」
「それは、想像以上です。辛かったでしょう。あれは、身体への負担がとても大きいんです。例えば災害避難のために即時起床させるみたいな用途なので――何が起きるか知っていますか?」
「いいえ」
「バックグラウンドのバッチプロセスを強制終了します。データベースはトランザクションのロールバック処理に最大数分間占有されます。ものによってはトランザクションすら使っていないので、整合性が壊れてしまうリスクがある。ですが、最も影響が大きいのはハードウェアです。最短時間での起床のため、臓器は一旦リセットされ、突入電流防止回路もバイパスします。NNGPAにもダメージがある。毎日実行したとすれば、正直……ハードウェアの寿命も縮まっていると思います」
「……どの程度ですか?」
「部品の特性検査をしないと消耗度合いは分かりませんが、あと五、六十年ほどしか生きられないことは覚悟しておいたほうが良いと思います」
「ちなみに、嵯峨さんは、あと何年生きられるのですか?」
「僕ですか? さあ……長く生きて六十年ぐらいかな」
「ならば、私とちょうど同じぐらいですね」
ホシはそう言った後、なぜ自分はそんなことを考えたのだろうかと考えた。
忠志はきょとんとした表情を浮かべる。
「ホシさん……今何て?」
「え、私と――」
「そこ。『私』」
そう指摘されて、ホシは気付いた。
「あ……私……ぼく……ぼく……私……ちゃんと区別して発話できます」
子どもの頃から抱えてきた不具合からようやく解放されたのだ。
だが、ホシ以上に喜んでいるのは忠志だった。
「そうか……! そうだ。きっと、言語データベースのメンテナンス処理が正常に終了していなかったんですよ。今初めて正常に終了したんです。良かった!」
忠志は満面の笑みを浮かべ、ホシの両肩を揺さぶった。そして、嬉しそうに部屋の中を歩き回ったり、ホシに何を食べたいかを尋ねたり、とにかく湧き水のように喜びを溢れさせている。それはホシ自身が困惑するほどであった。
ホシは、直感した。
きっとこの人と一生を共に過ごすことになるのだと。
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