Episodes[2] // 水を差すようで申し訳ありませんが


 アカネはホワイトボードに『患者』と書き、その下にヒト型を描いた。


「NebulAIにはNFCポートがあります」

 次に少し離れた場所に『サガ』と書いたヒト型を描く。

「嵯峨さんの手にはセキュリティトークンのICチップが埋め込まれています。患者の手首に触れたとき、NFCを使って通信します」

 アカネは、『サガ』と『患者』との間に一本の赤線を引き、『NFC』と書き添えた。

「sudoコマンドのユーザー認証はNFC通信を介した公開鍵認証により行われます。ざっくりこんな感じ」

 そして、矢印を書き加える。


===================================================


 『サガ』         『患者』

  👤────────────👤

        NFC 


  ←─────要求──────

  ──────応答─────→


===================================================


「そうですよね?」

「はい」


 忠志は頷く。

 それを見てからアカネは言葉を継いだ。


「ということは――」


 アカネは、『サガ』と『患者』の間の赤線を消し、その代わりに『医師①』『医師②』のヒト型を二つ描き、間に雲を描いた。そして、線を繋いでゆく。忠志は少しずつ、アカネが言わんとすることを理解し始めた。図が完成する頃には、忠志も机に上半身を乗り出していた。


===================================================


 『サガ』『医師①』『医師②』『患者』

  👤───👤・・☁・・👤───👤

   NFC   IP   NFC 


             ←要求

      ←─転送───

  ←要求

  ─応答→

      ──転送──→

             ─応答→


===================================================


 アカネは満足げにホワイトボードマーカーのキャップを閉めた。


「ざっくりですが、こんなことができるはずです」

「つまり……!」

「NebulAIのNFCポートを嵯峨さんのセキュリティトークンのように振る舞わせれば良いのです」

「そうか……!」


 忠志は、そのアイデアを頭の中で検証する。


 この公開鍵認証には嵯峨研開発の独自コマンドを用いている。しかし、技術的には何の変哲もない。


 NebulAIのシステムから『あんたが本物の嵯峨忠志ならこの暗号を解読できるやろ。言うてみ?』と聞かれ、忠志のICチップが正解すれば、管理者ルートユーザーへと昇格できるのである。そのプロセスで公開鍵暗号を使用している。


 元々はコンピューターの遠隔操作のために用いられていた技術であり、ここでは、たまたま通信手段としてNFCを使用しているというだけである。つまり、途中の通信手段がLPWAだろうが伝書鳩だろうが、最終的にNFCで応答できればそれで良い。原理的には遠隔認証が可能というわけだ。


「でも、NFC通信をIP網を通じて転送なんてことが……」

「NFCのレベルで転送しなくてもできると思いますよ。だからさっき聞いたのです。接続インターフェースを」

「あ、/dev/ttyUSB0……単なるシリアル通信だ。その内容を転送するんですね」

「そうです」

「向こう側ではncコマンドの標準入出力を/dev/ttyUSB0にリダイレクトするだけで……」

「特別な実装も必要ありません!」

「言い換えれば、NFCポートの遠隔制御か!」

「はい!」


 アカネと忠志はお互いに身を乗り出し、二人の顔が接近した。


 しかし、一人だけ浮かない顔を浮かべている者がいた。ホシである。その仏頂面を見たアカネは、ふと自分が被疑者であることを思い出したのか、しゅんとした表情に戻った。まるで、はしゃぎすぎて飼い主に叱られた子犬のようである。なるほど、ちょうど首輪もある。


 ホシは手を挙げた。


「水を差すようで申し訳ありませんが、それには二点問題があります」


 冷淡な口調である。けれども、普段のホシとは違う小さな苛立ちのようなものが感じられた。それが何なのか、忠志には分からなかった。

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