Episodes[15] // お楽しみの所すみませんが



「ん……ぐ……」


 処置台の上で、ホシが小さく悲鳴を上げた。


「痛いかもしれませんが、じっとしててください。跡が残ります」


 忠志はホシの腹部の傷口にピンセットを突っ込み、弾を摘出しようと試みていた。


 ホシは引き締まった体つきだった。鍛え上げられたシックスパックの腹筋が美しい。そのスポーツタイプの下着にゼッケンを付ければ、陸上競技の選手である。オリンピアの祭典に出場するといっても誰も疑問に思わないことだろう。


 だが、ホシが身体をよじる度、その腹筋が摘出の邪魔をする。NebulAIの筋肉繊維は一定の防弾性能を持つようだったが、めり込んだ銃弾を摘出するのは至難の技だった。論文では読んでいたが、実践は難しい。


 しばらくの奮闘の末、ようやく忠志は銃弾の摘出を完了した。

 すぐさま止血をし、再生促進装置のビームを傷口に照射する。


 ここからが傷跡を残さないための腕の見せ所だ。ナノマシンの制御は忠志の得意分野である。


「跡が残っても構いません。今回の件は私がツバメさんの話を真に受けていれば起こらなかったことです。傷跡は目に見える教訓です。あなたが無事であれば、それで十分です」

「何を言ってるんですか。僕はTofuoの在庫が減っていたときに、ちゃんと伝えなかった。その結果がこれです」

「だから、証拠隠滅するのですね」

「聞き捨てなりませんね。傷跡を見る度に後悔するぐらいなら、今ベストを尽くしたいんですよ」


 すると、ホシの口元に悪戯めいた笑みが浮かんだ。


「ふーん、ところで、なぜ、腹部を何度も見る前提なのでしょうか?」

「いや、あ……」


 普通に考えてみればそうだ。ホシはいつも黒スーツであり、こんな姿を見ることなど二度とないだろう。


「お忘れですか? まだプロポーズを受諾したわけではないのです」

「まだ」

「他意はありません。あ……ん……くすぐったい……下手くそ」

「藪医者なんだからしかたないでしょう。それに、変なことを言うからです」

「ひゃっ」

「ああもう、じっとして」


 いつの間にか、アカネが呆れ顔で傍に立っていた。


「……あの、お楽しみの所すみませんが、目を覚ましたみたいですよ、あの子」


 それを聞いて、ホシの表情は険しくなった。


「では、少し尋問してから、警察署に連行します」


 ホシの声のトーンがいきなり変わったので、忠志は少し気まずくなった。

 忠志はそそくさと治療を終了させ、ホシに告げた。


「もう動いて大丈夫ですよ」


 もはや傷跡は顕微鏡で見なければ分からないだろう。我ながら上々の出来映えだが、それを自慢できるような雰囲気ではなくなってしまったことが、少し残念だった。


「ありがとうございます」


 ホシは処置台から降りると、新しいシャツを着て、上衣を羽織った。

 襟に階級章が輝いている。


 こうして見ると、ホシはとても遠い存在だ。本来は要人の警護が任務で、忠志と関わりをもつはずもない人物なのだ。この一連の騒ぎが終われば、きっと離ればなれだろう。それが堪らなく惜しく感じた。


「行きますか?」

「ちょっと待ってください。今やらなければならないことがあるのです」


 ホシは立ち止まって、少し間、タブレット端末を操作した。

 そして、口元に小さな笑みを浮かべる。




 その時だった。


 ふと、ホシの顔が接近する。


 次の瞬間、ホシの唇が忠志の唇と重なった。

 その感触は、柔らかく、温かかった。心臓は飛び上がり、鼓動を早める。その一瞬は永遠のようであり、その永遠は1マイクロ秒のようでもあった。


「えっ」

「さあ行きましょう」


 ホシはいつも通りの仏頂面だが、顔全体がゆでだこのように真っ赤になっていた。

 それは忠志も同じだった。


 結局、何が起きたのか分からないまま、忠志はホシに従った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る