Episodes[3] // 悪意のある医師
「続けて」
忠志が促すと、ホシは頷いた。
「はい。一つ目は通信インフラですが、我々は通信インフラの大部分をLPWANに頼っています。地域によってはLPWANしか通信手段がありません」
「つまり、その地域ではNebulAI同士のメッシュネットワークを通じてしか通信できないと」
「はい。しかし、現在は伝染病の拡大を抑えるため、無線封鎖状態です。ですから、この方法では僻地の人々を救うことはできないのです」
「でも、そのタブレット端末で、さっきハカリ先生と話したような」
すると、ホシはタブレット端末を少し持ち上げる。
「これは政府系の衛星通信網を用いています」
「なるほど……。とすると、そのタブレットが通信を中継すれば」
「それが二点目の問題です。現役の医療関係者は病院外ネットワークに接続することを許されていません」
ホシの指摘に、忠志はハカリに聞いた話を思い出した。医療関係者が無事だったのは、院内ネットワークのみに接続していたからだと。
「ああ、聞きました」
「それは医療関係者がコンピューターウィルスに感染することを防止し、仮に感染してもその病院内に影響を留めることが目的です」
「もし、全国の医師をネットワークに接続することになれば……」
「最悪の事態になり得ます」
「なるほど……。ホシ少佐、ありがとう」
忠志は顎に手を当てる。
忠志はセキュリティに関しては素人である。良い解決策は思い浮かびそうになかった。セキュリティ以外の問題については、解決策はすぐに思いつく。例えば、NFCポートの排他制御のような問題である。けれども、今挙がっているような問題を技術的に解決可能であるかは判断できなかった。
アカネはしばらくホワイトボードを見つめていたが、しばらくして、赤いマーカーで『医師②』を囲んだ。
「セキュリティの観点では、実はもう一つ大きな問題があります」
「ええ……」
忠志は内心勘弁してくれと思った。
しかし、リスクを見逃すわけにはいかない。アカネに続きを促した。
「それは?」
「性善説に頼っているということです。悪意のある医師の存在を想定していません」
アカネは『医師②』の上に『悪』と描き足した。
「悪意のある医師?」
「はい。この方法は
「なるほど……」
ただ、忠志は医療の現場で必死に駆け回る医師の姿を見てきた。ハカリ医師を筆頭とした自己犠牲の塊のような人々の姿を。
「悪意のある医師なんて本当にいるんだろうか」
忠志はぽつりと呟いた。
しかし、ホシは表情を変えず、冷静な口調で応じた。
「残念ながら今は深刻な医師不足です。准医師免許であれば講習受講だけでも取得できます」
「え、そうなんですか?」
「たとえば、嵯峨博士なら、博士号をお持ちですので、申請だけで取得できると思いますが」
「三百年前のだけど?」
「法律に従えば、問題ありません」
「じゃあ、申請のやり方を教えてください!」
「もう既に申請しています。そのうち受理されると思います」
「素晴らしい。でも、そんな気軽に取得できてしまって良いんですか?」
すると、ホシは忠志を冷ややかに見据える。
「そこが問題です」
「ああ……」
分かっている。皆まで言うな。忠志は苦笑して両手を挙げた。
「でも准医師じゃない医師に限定すれば……。例えばハカリ先生みたいな」
「准医師しかいない地域もありますし、医師としての資格も十年の臨床経験と医師の推薦状があれば取得できます。ハカリ先生もその方法で医師免許を取得しています」
「つまり、ハカリ先生も信頼するべきではないと?」
「個人的には、元上官でもあるので信頼していますが」
「え、そうだったんですか? ……ああ、確かにさっき元警察と」
「ハカリ先生は、元々は警察省特別警備局と医務局を兼任する大佐でした。民間から乞われて病院に転職されましたが」
「……なるほど」
「けれども、悪意がないことは証明できません」
「そうか……」
しばらくの間、沈黙が続いた。
通信手段の問題、悪意のある医師の問題。色々ある。けれども、命が失われようとしているときに、悪意ある医師の存在を理由に、有効な手段を捨てることがあって良いのだろうか。しかし、結局の所リスクの結果を被るのは患者なのである。命に直結するリスクを無視することはできない。何かアイデアを捻り出そうとするが、考えがまとまらず、ため息だけが漏れた。
忠志はホシがタブレット端末を操作する麗しい姿をぼんやりと眺めていた。突然ホシと目が合い、慌てて視線を逸らす。
ホシは首を傾げた。
「何かありましたか?」
忠志は視線を迷わせながら、後ろ髪を触った。
「あ、いえ。そのタブレットは、量産品なのかな……? と」
「はい。医療従事者や、ぼく……私のような通信障がい者に支給するため、各地方政府に在庫があります」
「NFCポートは?」
「医療タイプの端末であれば搭載されていますが」
「それですよ!」
忠志はホワイトボードの医師を消し、その代わりに『端末』を書き加えた。
===================================================
『サガ』『端末①』『端末②』『患者』
👤───📱・・☁・・📱───👤
NFC IP NFC
←要求
←─転送───
←要求
─応答→
──転送──→
─応答→
===================================================
「つまり、医師は端末のNFCポートを患者の手首に押し当てるだけで良い。コマンドはタブレット端末を遠隔操作して、こちらで打ち込むんです」
すると、ホシは目を丸くした。
「……その発想はありませんでした」
そして、力なく呟く。
「すごいと思います。やはり、技術的な発想力では、ヒトには勝てないのですね……」
その声には悔しさが滲み出ていた。
「え、そうかな?」
顔を綻ばせて後ろ髪を掻く忠志をよそに、アカネは自らのラップトップ端末を操作しはじめた。
「カードエミュレーションモードを使えたら、ですが。調べてみます。ただ共通語は苦手なので時間はかかりそうです」
「そうか……英語か日本語で書かれた技術資料はほとんどない、と」
「はい。そういうのは、ツバメさん任せだったので……」
アカネは、反重力ストレッチャーに横たわるツバメに目をやった。
「NebulAIの自然言語エンジンを流用すれば簡単な翻訳ソフトは数日もあれば作れますが」
「それでも現在の技術を理解するのには、時間がかかると思います。CPUはRISC-V互換アーキテクチャというのは知っていますが」
すると、ホシが口を開いた。
「ぼく……私に任せてください」
「え、プログラミング得意なんですか?」
「……いえ、得意というほどではありませんが、医師ですから」
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