Episodes[6] // 愚かなのは我々の方です


 ホシとアカネの協力により、僅か半日で遠隔治療に必要なソフトウェア群の開発が完了した。シリアルコンソールを介してデータのやり取りを行うというハンデがなければ、ホシはもう少し早く作業を終えていたことだろう。開発規模は小さいとはいえ、忠志としては、彼女達の能力に少し嫉妬するほどであった。


 しかし、自動化できずに残った大量のテストケースを見るや否や、アカネは即座に狸寝入りを発動した。対照的に、ホシは表情一つ変えずにテストケースを虱潰しに消化してゆく。忠志もそれに加勢することにした。


 そして、ハカリ医師の取り計らいにより、即座に重篤患者数人で治験が行われることとなった。準備の間、つかの間の休息時間が訪れた。


「お疲れ様です。どうぞ」


 忠志はホシの前に湯飲みを置く。

 コトンという音とともに、深緑色の水面がゆらゆらと波立った。


「……これは」

「日本茶です。NebulAIの味覚に合せて、淹れてみました」


 ホシは匂いを嗅いだ後、少しだけ口に含んだ。しばらく舌の上で転がした後、意を決したように飲み込む。


「……悪くありませんね」


 すると、どこかからアカネの悲鳴が聞こえた。


「ぐぇえ!」


 忠志はため息をついて首を振った。NebulAI用と書いておいたのに……。


「……これは、ヒトにとっては相当不味いものなのですか?」

「ええ、まあ。かなり苦いです」


 すると、ホシは下唇を噛んだ。


「……もどかしいです」

「え?」

「ぼく……私と、嵯峨博士とは、見た目は似ていても異なる種族です。美味しいものにも共感できない」


 忠志は自分の湯飲みに入ったNebulAI用のお茶を口に含んだ。苦いなんてものではない。もし毒物と言われたなら何の疑いの余地もない。


「確かに」


 それは認めなければならない。


「でも、共通の好みを見つけられるかもしれないし、キャリブレーションデータを……」


 ホシは首を振って、言葉を遮った。


「ヒトとNebulAIは、最後まで理解し合えなかった。それは歴史が証明しています」

「ならば、僕とホシさんが最初の例になればいい」

「……その楽観主義が理解できません」

「……その悲観主義が理解できません」


 忠志がホシの口調を真似たので、ホシはムッとした表情を見せた。


 忠志は慌ててフォローする。


「といっても、理解できない部分を無理に理解しようとしなくたっていいんですよ。無理に理解して受け入れようとするから起きる摩擦だってある」


 しばらくしてホシは、地面に視線を落とした。


「どちらかといえば、正直、ぼく……私は嫉妬しているのかもしれません」

「嫉妬?」

「学校で習った『ヒト』は、残忍、拝金主義、排外主義で自ら滅びるような……救いようのないほど愚かな種族でした」

「……まあ、否定はできません……」

「でも、それがすべてではなかった。あなたは、過去から無理矢理連れてこられても、我々NebulAIを救おうとしている。祝園アカネもそうです。残忍で愚かなのは我々の方です」

「どうしてですか?」

「誰かがこんなコンピューターウィルスを生み出し、証拠隠滅まで図った可能性がある。それに――」


 ホシは目を逸らして、口ごもった。


「それに?」


「それに……時空複製器によるヒトの複製の成功率の話を覚えておられますか?」

「確か、約三割」

「成功例はあなたと、祝園アカネの二名。失敗した四例は……すべてあなたです」

「失敗……って」

「一回目はバッファー内でパターンが消失、二回目は……う……すみません」


 ホシは手で口を押さえた。


 あの何を見ても動じなさそうなホシが、吐き気を催すということは、それだけ凄惨だったということだろう。


 この世界に連れてこられたときに感じた、身体のあちこちが欠損したような感覚は、実際に一時的にであれそのような状態となっていたのかもしれない。バラバラになって実体化したとしても何の不思議もない。しかし、成功率を大幅に悪化させたのが自分だと考えると、戸惑いは隠せなかった。

 

「いいよいいよ。僕もそこまで知りたいわけではないですし」


 しかし一つだけ気になることがあった。


「……ってことは僕の墓があるってことですか?」

「いえ、あなたの死体は分子レベルで分解され、今のあなたに再利用されています」


 そう言われると、それが非合理的な思考だとは理解しつつも、自分の身体が気持ち悪く感じてしまう。


「つまるところ、僕はゾンビってわけですね……」


 幸いにも死臭は漂っていないようだ。


「まぁ生き残った僕がどうこう言える問題ではないですが、僕は気にしませんよ」


 忠志は、そう言って微笑んで見せた。

 なおも、ホシの表情は暗い。


「……しかし、失敗し、命を失ったあなたも、あなたには違いなかったのです。あなたのことを知るにつれ、あなたが感じたであろう苦痛や、絶望を想像せずにはいられなくなりました。我々はいざとなれば、倫理を無視して、手段を選ばない野蛮な種族だということです。命というものを軽視している」

「まるでヒトと同じ?」

「……はい。あくまでも我々のヒト像ですが」

「興味深いですね。光と影は何にでもある。NebulAIは自らの影をヒトに投影してる」

「恥ずべきことです」


 ホシはそう言って、膝の上で拳を握りしめた。


 忠志は穏やかな口調を努めた。


「ホシさん個人は正義を尊重している。卑下する必要はないと思います」


「そうでしょうか。ぼく自身も……行動力、発想力、技術力……すべてにおいて、ヒトより劣っている。医師免許を取ったのも、警護官になったのも、このプロジェクトに参加したのも、すべて命を救うことが夢だったからです。でも、このプロジェクトに思うように貢献できていない。 あまつさえ、ヒトという存在を妬ましく感じてしまうのです。そんな自分が嫌いです。恥ずかしいです」


 そうか、と忠志は思った。ホシは、教育によりすり込まれたヒトに対する嫌悪感と闘っている。あの愚かなはずのヒトに、実力で負けていると感じ、それをうまく消化できていないのだろう。


 実際にはNebulAIのほうがヒトよりも知能や計算能力は高いはずだ。それにも関わらず、彼らの社会全体の技術力がハリボテなのは、二つの理由があると考えられる。一つは、時空複製器に依存してしまっているからだ。自ら考えずとも高度な技術を享受できる。そして、もう一つは、彼らの性質上、技術へのモチベーション自体が生まれにくいことが考えられる。NebulAIは自分自身がコンピューターであることから、『地味な作業が嫌だから自動化したい』といったモチベーションはヒトよりも弱い可能性がある。そういった怠惰マインドが人類を発展させたと考えると、ヒトの遺産がなければ、NebulAIは今でも洞穴生活を送っている可能性すらあるだろう。以前、ホシが指摘した通りである。


 とはいえ、そんな話をすれば、ホシの劣等感を刺激してしまうに違いない。

 忠志は慎重に、それでも率直に言葉を選んだ。


「僕や祝園さんはヒトの中では変人の部類なので比較の対象としては間違っていると思いますが……技術力に関しては僕自身ももっと鍛えないといけないと感じています」


 祝園アカネは、怠惰マインドが天才的なレベルにある――危うく口をすべらせるところだった。


「正直ホシさんにも嫉妬しているところがないと言えば嘘になります。だから、もし技術力を高めたいなら、一緒に頑張りましょう。でも、僕はホシさんのことを凄いなと思うのは、祝園さんを仮釈放する際、法律を逆手に取ったことなんです。そういう法律とかに興味がない僕には中々できない芸当です。法律の知識と、柔軟な発想力、行動力が必要だ」

「……」

「でも、個人的には、何よりも、そうやって正直に話してくれるところが、大好きです――でも、そんなことを言ったところで何の足しにもなりませんね、ははは」


 すると、ホシはか細い声で応えた。


「……いえ、嬉しいです。とても」


 忠志はホシの意外な反応に拍子抜けした。『恋は盲目とはいいますが、重症ですね』といった皮肉のひとつでも言うかと思ったのだが――。


「それに……個人的には、僕はホシさんに感謝しています。ホシさんは、警察官です。警護任務に徹してもよかった。けどホシさんは違った。ホシさんがいなければ、祝園さんを巻き込むどころか、このプロジェクトは生まれてさえいなかった。僕はきっと皆に失望されたまま一生を終えたかも知れない。ホシさん、あなたのおかげでこうしていられるんです。ありがとう」


 すると、ホシは顔を真っ赤にして俯いた。


「ぼく……私も――」


 そのとき、非情にも、タブレット端末から治療要請を知らせる通知音が鳴った。


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