NebulAI.HOSXI // アップデートは三世紀後に

Sections[0] = nebula.IsShine; //その星雲の輝きを

Episodes[0] // プロローグ


 医師は汗を拭った。ここは戦場だ。しかも、負け戦の。その日、集中治療室の患者は百人を超えていた。そのうち手術室に運び込まれたのは三十二名。その中で実際に命を救えたのはわずか八名であった。それも時間稼ぎの対症療法でしかない。手術室は最後の希望であり、同時に絶望の場でもあった。


 これは氷山の一角に過ぎない。この熱病の爆発的流行は、今この瞬間も多くの命を奪い続けている。彼が医師になってから四十年、初めて経験する規模のパンデミックであった。一人の看護師もなしに進行する手術がそれを物語っている。


「血液冷却! どうなってる!」

 医師の問いに助手の准医師が答える。

「設定十五度」

「脳内温度六十度から下がってないぞ」

 医師は焦りを隠しきれなかった。

 ここまで熱がこもってからでは、大動脈の血流を冷却しても時間がかかる。CPUそのものは冷却できても、周囲のNNGPA(Neural Network Gel Pack Array)の温度は下がらない。セ氏五十度を超えた状態が五分続くと、ゲルパック内部のナノマシンが機能を停止し、ニューラルネットワークが崩壊する。それは、彼らにとって死を意味していた。だが、幸いにも今は三分もの猶予が残されていた。


「設定もっと下げろ! 開頭が間に合わない」

「限界だ! これ以上冷却すると血液中のナノマシンが機能を停止してしまう」

「だが、NNGPAは冷却できる」

「わかった。冷却装置、設定十度まで下げよう。どうだ?」

「下がらない……メインCPUの熱が高すぎる」


 これから行う処置は、脳内に冷却管を挿入し、ゲルパックを直接冷却することである。言葉にすれば簡単ではあるが、後遺症のリスクが高い治療法だ。本来、数時間かけて慎重に行わなければならない手術を、この短時間で行わなければならない。躊躇している暇はなかった。


 だが、ビームドリルを手に、医師は首を傾げた。一向に頭蓋骨が削れる様子がないからだ。そして悟った。


「古い治療痕だ。光硬化樹脂……しかも、カーボン繊維入りだろうな」


 恐らくこの患者は過去に頭蓋骨を骨折したのだろう。その際に光硬化樹脂を用いたに違いない。再生医療が進歩していなかった時代の遺物だ。


「ということは、時間がかかる。接触式のドリルが必要」

「そんなもの、今時どこにあるんだ」


 器具庫にはあるだろう。だが、取りに行く時間はない。

 手詰まりだった。もう、この患者は助からない。命の灯火が消えゆく様を、指を咥えて見ているだけしかできないのか――医師は、悔しさに歯噛みした。もし自分に力さえあれば、こんな事態は避けられたのだ。


 ふと、視界の隅に男の姿があった。何かを言いたげにこちらを見ている。そうだ、この男なら状況を打開できる何かを持っているかも知れない。医師は一縷の望みに賭けて、男に問う。


「提案はあるかね?」

「はい。一つだけ試してみたい方法が」

 と、ヒトの男は答えた。




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