→マリー・ピアとともに行く

 リムジンの車窓を、市街の景色が静かに流れていく。

 広い後部座席で隣に座ったマリー・ピアがひとりごとのように言った。


「本当におぼえていないのね。わたしのこと」


 悲しそうな表情と声。紫皇はうなずいた。


「あぁ。だが教えてほしい。俺がどうしてマリー・ピアと――」

「マリー、とかつてのあなたは呼んでいたわ」

「……そう呼ばれたいということか?」


 ジロリと吊り上がった目が紫皇を見返した。


「そういう融通ゆうづうのきかないところはまったく変わってない」


 何かが不満だったらしい。


「すまない、どうしたらいいか教えてくれ」

「まったく……」


 腕を組んだマリー・ピアは大きなため息。


「マリーと呼んで。親愛をこめてね」

「分かった。マリー」

「ああ……!」


 ぼふっ、と紫皇の腕へ顔を埋める。その手が紫皇のそれに絡められた。


「マリー?」

「以前もこうだったわ。あなたは何だって私が望むようにしてくれた」


 熱い吐息。

 まただ、と紫皇は思う。彼女と肌を合わせるたび、感情が強く《不安》へ振れる。


「……そして私は間違えた。あなたを引き渡すようにという本社に背いたあげく、第三勢力に襲われてあなたと部下を失うことになった。その部下が身代わりになってくれたおかげで未練がましく立場だけは残っているけれど」


 彼女のそろえられた膝の上へ、紫皇の手が導かれた。


「脚はそのときに失くしたのか?」

「いいえ、これはもっと小さなときから。あのとき、王幽苺ワンヨウメイに壊された義足を見て、あなたはショックを受けていたようだったけど」


 一度目に彼女と触れ合った時のフィードバックを思いだす。


「そうか。だから俺は幽苺が恐ろしかった」


 それは同じく機械であるシノーにとって何よりも生々しい死のイメージだった。イメージは幽苺という人格と結びついて記録された。同じようにマリー・ピアとも。

 声紋データや状況パターンのデータにひもづけられた《感情》のタグは、記憶を失ってもなお残り続け、原因不明の不安感として機能していた。


「直ったんだな」

「ええ、前よりも綺麗に高機能に。……確認する?」


 マリー・ピアは上目遣いで紫皇を窺うと、その手をスラックスのホックへ誘導する。


「外して、前みたいに」


 紫皇はその内側から輪郭を指先で確かめた。


「ん……っ、ぁ……」


 寄り添った体がふるりと緊張する。しばらくそうしてから紫皇は首を振った。


「すまない、思いだせない」

「でしょうね、出鱈目でたらめだもの」


 マリー・ピアはこともなげに告げて、引こうとする紫皇の手首を掴みとどめる。

 紫皇は細くした目で彼女を見下ろした。


「怒らないで、ただの試行トライよ。事実無根でも何かのきっかけになるかもしれないでしょう?」

「ならないと思うが」


 弁明に異をとなえる。マリー・ピアはそれを無視した。


「……あなたの記憶を不完全にしたのはわたし。あの時のあなたを、わたしのためのあなたを誰にも渡したくなかったから。あまりにも貴重で、便利だったあなたを」


 いのなかにも懐かしさをにじませてマリー・ピアは額を紫皇の二の腕へ擦りつける。

 その目が不意に紫皇を見上げた。


「……でも、今のシノーはあの時のあなたではないのね」


 青い瞳は深海のようだった。


「あのサンシャインという娘にずいぶんと執心しゅうしんのようだけど」

「あぁ、サニーのことは俺にとって大切だ」


 マリー・ピアとサンシャイン、色合いは似ていてもその印象は対極にある。


「マスターだもの、当然でしょうね」


 紫皇のくるぶしをマリー・ピアのつま先が踏んだ。


「……何か怒っているか?」


 ぎゅっとホックの前で密着する手と手。


「わたしには、いなきゃ駄目なんて言ってくれなかった」

「……あの数値変動へんどうは不具合だと思う。エラーの一種だ」


 事実、自分がそう告げた後のサニーは怒っているか困っているようだったし、と紫皇は思い返した。それでも手を引いてくれた彼女はとても善良で美しいと改めて思う。


「わたしを分かりたいとも言ってくれなかったわ」

「それは……必要がなかったからだろう。サニーの言葉は時おり理解がむずかしい」

「へえ、そう、ね、ふぅん」


 ゴリゴリとくるぶしがにじられた。


「何を怒っている?」

「怒ってなどいない!」


 拒絶するような強い口調で言い捨てると、マリー・ピアは反対の窓側まで体を離した。

 腕組みをしてわずかに赤くした顔で睨みつけ、告げる。


「忘れないことだ、ヒューマノイド。お前は人間とは違う。明確に異なっている。合金とゴムの体に詰め込まれた計算器の集合体がお前だ」


 そこまで吐き出してようやく落ち着いたのか、静かな、しかし冷たい声音であとを続けた。


「私ならそんなお前を重宝ちょうほうしてやれる。人間に近づこうなどと夢にも思わないことだ」

「分かった」


 それは確かに、今の自分に求められることだと紫皇は思った。不可能なことにリソースをき続けるより、出来ることを確実にやるべきだ。それに自分はきっと、彼女とうまくやっていかなくてはならないだろうから。


「ありがとう、マリー」

「……ふんっ」


 マリー・ピアはそれきり窓の外を見た。流れる景色はにぎやかで、目的地だという管制タワーが近いことを示していた。



 そうして。

 タワー内で一般人が立ち入れる最上層たる展望室に、紫皇は安置されている。

 無人になっているということはここはイベントのエリア外ということなのか、それとも特別に何かに使うのか。ともあれ今は入り口にシャッターが降りていて何人だろうと出入りすることは出来ない。

 だというのに。


「――よお、久しぶりだなあ、シノー?」


 その男はそこにいた。

 タワーを取り巻くように円形に造られた展望室の、ちょうど反対側から歩いてくる。


「……誰だ?」


 白く色抜けした金髪の優男だった。細身で気さくな笑みを浮かべている。


「つれねえな、これでもお前の教育係だったんだが」


 サミュエル=カーポ=リラはそう言うと、自らの背中へ手をやった。

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