第一章

→桃園鬼斧にて

 ピンクのマニキュアも愛らしいその指先が、引き裂くようにカーテンを開けた。


 防弾ガラスのむこうにのぞむのは、海を背にした産業コンビナート。その周囲をまるで光苔ヒカリゴケのように覆う無数のソーラー・パネル。

 猫のひたいのような土地に世界中の先端技術が詰め込まれた光景は、偏執的に鋭化されたこの国の剣のようだと幽苺ヨウメイは思う。


紫皇シノ~、シ~ノぉ~!」


 ぱんぱん、と幽苺は執務しつむ室の入り口へ手を叩いて呼ばわった。

 何重ものフリルがめぐるスカートがふわりと広がる。

 返事を待つあいだ両かかとは赤じゅうたんの床を叩き、可憐かれんな目元は伏せられたり見開いたりをぱたぱたと繰り返した。


「何か用か?」


 ノックの後、ドアから背の高い強面こわもてがあらわれる。

 男にびっ、と人さし指をつきつけて幽苺は花が咲くように笑った。


「あなたのお腹を切り分けてソーセージにしようと思うんだけど!」

「すまん悪かった。それだけは。バラすのだけは勘弁してくれ」


 全身黒スーツ、サングラスまで整えた中年男の土下座だった。

 幽苺はむうっと唇をとがらせ歩み寄ると、面白くなさそうに足を振り上げる。


「悪かったじゃないでしょー? ねぇ、いー加減に地上げのひとつくらい出来るようにならないわけー? 頭さげるだけじゃなくてさぁー!」


 げっしげしとその頭や腹部に叩き込まれる少女の木靴。

 天河あまかわ市北区の反社会イリーガル的不動産会社≪桃園鬼斧タオユェクイフ≫社長室での一幕だ。

 “幽苺のお部屋”と刻まれた白金プレートがドアと一緒にそっと戻っていく。

 丸い窓の外に広がるのは彼女の保衛地シマだった。


「あなたのおかげでナメられちゃうのよー。虫も殺せない腰抜けマフィアだってー。まぁ、言ったヤツの口はきっちり閉じさせたからいいんだけ、どっ」


 クリスタルの灰皿が紫皇の後頭部へ直撃する。彼は微動だにしない。


「……すまん、次は努力する」

「次~ぃ? そんなものがあるかしらー? まぁどうしても今ツブされるのがイヤっていうなら考えてもいいけど、一緒だと思うなー」


 古い服を捨てるか捨てないか、くらいのノリで少女は唇に指をあて思案する。


「頼む、チャンスをくれ。死ぬのは嫌だ。怖い」

「あっはハ、オッカし、紫皇ってばほんとミジメだから好き」


 ありったけの調度を駆使して幽苺は紫皇を痛めつけたあと、


「いいよーでも本当に次はなし。失敗したらブチッ、ね」


何でもない風に指をつまんで見せた。

 その言葉が比喩でないことを紫皇は知っている。彼女本来の破壊性にくらべればこんな暴力は遊びのようなものだ。


「努力する」

「はーいがんばれー。さってっとー、あーすっきりした、ふんふーん♪」


 背を向けてステップを踏みながら幽苺は天井を見上げてくるくる回る。

 その姿は父親の書斎ではしゃぐ娘そのままに見えた。

 紫皇は立ち上がると、彼女を刺激しないようゆっくりと後ろ向きに退室する。

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