→仕事に向かう

 天河あまかわ市。

 二十年あまり前に発生した群発地震から、もっとも早く復興したといわれる街。

 環境・システム面で国内外から注目を集める実験都市であり、海外資本が乱れ飛ぶ終わらない開発ラッシュの最中にある。


「痛ってて、ちくしょう」


 殴られたことを思い出すたび体の節々ふしぶしをさすりつつ、紫皇は目的地に到着した。


「あのサイコロリ、怖えんだよ」


 オフィスから離れたことで普段は間違っても言えない悪態も口をついて出る。

 彼が所属する《桃園鬼斧》のビルから徒歩とモノレールで20分ほどの小路。


天河あまかわ商店街」


 赤びたアーチがかかげるその名を紫皇は口にした。


「面積約1.2ヘクタール。戸数124、人口181。一般住宅がほぼ地下へと空間を移したこのごろにあって、化石のように残り続ける『震災の生き残り』と」


 声に出すことは重要だ。耳を通じて再入力フィードバックされた情報は、ただ無音のままに思考回路を巡っていたときよりもずっと多くの付随情報サブ インフォをひっぱり出してくる。

 廃墟はいきょ化した家屋も目立つこの通り一帯が、最近の仕事の対象だった。


 『立ち退かせ』というのは本来そう無法なものではない。

 地権が移った建物から移住を拒否する住民に圧力をかけ、それをうながす。

 ただ出て行かない方にもそれなりの事情があるわけで普通は時間をかけてり合いをつけるのだが、それらの手順をすっとばすがゆえの不動産会社である。


「仕方ない、やるか」


 とにかく何かしらの成果をあげなければ幽苺のおどしは今夜にも現実になるだろう。命が惜しい紫皇としては何とか無難に命令をこなして、幽苺の興味が自分を外れるのを待つほかない。


「こういうのは始めが肝心だからな」


 標的はもう決めてある。この時間帯、周辺の住民が多く集まる場所。盛り場。


「うらあッ!」


 シャッターだらけの通りで、ただひとつ赤い提灯ちょうちんが光る飲み屋の戸を蹴りこんだ。自動ドアのため物損ぶっそんはない。


「いらっしゃあい」


 店を仕切る老婆ののんびりとした声が出迎えた。


「いい加減出て行く気になったかドブネズミども!」


 ドスのきいた声で紫皇は怒鳴る。

 カウンターに鈴なりになっていた老人たちの視線がぎろりと集中した。


「あぁ!? またてめえかヤクザ野ろ……」


 だだだだだっとその人垣を回り込むように小さなおさげ髪が走り出てくる。

 カラコロと鳴るぽっくり靴は、紫皇の正面でカンッとブレーキングした。


「なーってない! から帰ってぇ!」


 明るい着物風の給仕服に前掛けをした女の子。その丸顔がつんのめる。


「ぎゃ」

「おっと」


 バランスを崩した体を紫皇はとっさに受け止めた。

 女の子の大きな目が、突っ込んだ紫皇の胸板むないたから髭面ひげづらまでを見上げる。


「ひゃ……っ」


 看板娘、というらしい。その顔が真っ赤に染まるとにわかに客の男たちが殺気立った。


「このヤクザもんがぁ! オレの娘になにしやがる!」

「なにが手前ぇの娘だ八十路ジジイ!」

「あぁ!? 誰だ今いった奴ぁ!」


 外野で始まった喧嘩を無視して紫皇は看板娘をのぞきこむ。


「大丈夫か?」

「ぁっ、~~~っ」


 真っ赤になった看板娘は、むにゃむにゃと口を動かしたあと店の奥へ逃げる。


「ばか! もーこないでぇ!」


 その言葉にやや傷付きながらも紫皇はいっそう凶悪な顔を作った。

 結果オーライ、女子供は楽だ。この強面こわもてでの威圧が通じる。

 紫皇はぐいとカウンターに身を乗り出した。


「おいバーさん、いい加減そろそろ店をたたんでもらおうか」

「はいはい、お待ちどうさまね」


 その眼前にすっと湯気の上がる野菜炒めが差し出される。


 にっこりする老婆に紫皇は眉間みけんを寄せた。

 これだけ店内をパニックに陥れたというのに動揺ひとつしてない。

 こちらのスタンスが伝わっていないのだろうか。とはいえあまり過激なこともできない。


「俺は客じゃない」


 ならばと紫皇は野菜炒めの皿を掴んだ。

 それをゆっくりと高く掲げ、しだいにかたむいていくそれを無感動な瞳で観測する。

 躊躇ためらいはない。好意を無下むげにすることは非礼だが、暴力や物損をともなうものではない。つまり効率が良い、ちょうどいい意思表明の手段だった。


「――待ちなさいよ、あんた」


 しかし、皿の中身はこぼれずに終わる。

 その直前。カウンター最奥に人影が立ち上がっていた。

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