→思いだす

 二日前。


「《雷精》のマリー・ピア!? あなたが……?」


 アンジェの研究室でくだんの来訪者と向かい合ったサンシャインは、差し出された名刺とその顔を思わず見比べた。


「そうだ、会うのは二度目になるかな」


 巻いた髪と大きめの眼鏡で隠されたそれは、確かによく見れば雑誌やウェブで見たことのあるそれだった。

 かたわらでアンジェが拍子抜けしたようにぱちぱちとまばたきする。


「…………有名な、方なのですか?」

「うん、《障害物走パルクール》の上位ランカーで、愛用モジュールは……あ……」


 そこまで話してサンシャインは口をつぐむ。

 マリー・ピアが慣れたようにその後を継いだ。


「気を遣う必要はない。これだ」


 コンコン、とスラックスで覆われた両足を叩いてみせる。陶器のような澄んだ軽い音がした。


「……義足、ですか」

「ああ、別にハンデだとは思っていない。肉体的にも、精神的にもな」


 サンシャインは知っている。その言葉を裏付けるように積み上げられた、記録と栄光の数々を。かつての自分の背を時に押した、インタビューの一言一句を。


「あの……ずっとファンでした!」

「ありがとう、裏にサインを書いておこう」


 マリー・ピアは名刺の裏にさらさらとペンを走らせる。サンシャインは我に返った。


「あ、ち、違う! ちが、います。その、あなたがシノーを?」


 それが信じられなかった。もし本当なら奇縁というほかない。


「ああ、とはいえ、私の持ち物だったのを返してもらいたいというだけだ。彼を保護してくれたことには感謝する。その上で、そう無法な話ではないと思うが、どうだろうか?」

「え、う、えっと……」


 一応、自分なりに考えてはきた。紫皇を連れていこうというやからに一矢でも報いるための、理論武装も屁理屈も。しかしそれは彼女なりに『敵』を想定してひねりだしたもの。

 マリー・ピアは違う。敵ではない、そうだと対峙することができない。

 頭がまっしろだった。何も言葉が出てこない。


 魚のように口をぱくぱくさせるサンシャインの後ろで、アンジェがぽつりと言った。


「……そちらにお返ししたとして、その後彼はサニーちゃんと会うことは可能でしょうか」


 マリー・ピアは一瞬回答を迷うようにあごに手をやってから、首を横に振る。


「それは難しいだろう。アレは風変ふうがわりなこの街でも輪をかけて稀少な存在だ。厳重に保管する必要がある」


 その答えで、サンシャインはようやく彼女を対立者と認識できた。憧れの選手だろうと関係ない。


「そんなの、閉じ込めてるのと変わらないわ。シノーをそんな風に扱うなんて……!」

「なんだ? まさか人権侵害だとでも? 心配するな、何も電源を切って倉庫に寝かせると言っているわけじゃない」


 せいいっぱいの憤慨を余裕の表情で受け流すマリー・ピア。


「私の身の回りの世話でもさせるさ。適切な指示と環境の中で人間に奉仕する。それがロボットにとっての幸せだろう」


 サンシャインは唇をとがらせた。そんなに簡単なものじゃないと。


(シノーは、シノーの幸せは……あれ?)


 ふと、何か引っかかったようなすわりの悪さに気付く。マリー・ピアが紫皇の以前のマスターだったというのなら、アレは――。


「……ねえ、その奉仕っていうのはもしかして、人の着替えの最中に後ろから抱き寄せさせる、みたいなこと?」


 ひくっ、とマリー・ピアの息が一瞬止まったのを見逃すはずはなかった。


「は、ぁ、なッ……!?」

「はじめてうちに来た時、シノーがそうしたの。誰かが教えたんだと思うんだけど」


 今になってふつふつと怒りが沸いてきた。マリー・ピアへ抱いていたイメージがどんどんと崩れていくのが一周して爽快なレベルで。もともと誰だか知らないがいつか文句を言ってやろうとずっと思ってはいたのだ。


「そっそんなことは知ら――」

「マフィアはシノーのことを奴隷みたいに扱ってたみたいだし、人の着替えを見ることもなかったって言ってたけど」

「う、く」

「知らないの? マリー・ピアさん、本当にシノーのマスターだったの?」

「く、く、ぐッ」


 ここぞとばかりに迫るサンシャインを前に、マリー・ピアは固く作った拳をゆっくりとほどく。それはレース前などに彼女が行う平常心のスイッチだった。


「あぁ、認めよう。諸般しょはんの事情から故あってシノーにそうするよう教えたとも! 中学生ローティーンに話すことではないと思い黙っていたがな!」

「あたしは高校生ハイティーンよッ!」


 怒るサンシャインの後ろで、アンジェがぼそりと言った。


「…………諸般の事情とは、なんでしょうか?」


 ぴくりとマリー・ピアの片眉があがる。その豊満な胸がこれでもかと張られた。


「それは……口にできないから諸般のと言うのだ粗忽者そこつものめ!」

「強引に押し通すつもりですね……」


 もはや過去の憧れなどふっきったサンシャインがずいと踏み出す。


「そんないかがわしいことさせようって人にシノーは渡せないわ! いや、もとから素直に渡す気なんてなかったけど!」

「ほう、ならどうする? ずっとこのままにしておくと?」


 動じずマリー・ピアは部屋のすみ、寝かされた紫皇の方へ視線を流した。

 サンシャインは自身にこそ聞かせるように言う。


「あなたに預けるよりいい方法を探してみせる。二度とシノーを道具としてなんか扱わせない!」


 体が触れそうなほど至近で、上背のあるマリー・ピアは大笑した。


「ふっ、くく、はははっ! ……あれは道具だ。人間の役に立つことを唯一の存在理由としてあるものだ。博愛はくあいに酔った見当違いは滑稽こっけいを越えて見苦しいぞ」

「なんですって!」


 サンシャインの内側を、昨日のような厭世えんせい感が塗りつぶす。世の中すべてが俗悪に見えた。自分はこんな冷酷な人にかつて憧れたのだろうか?


「体も脳もヒトと異なる造りのモノに、どうして人間並みの価値観を当てはめる? 機械は人の召使いだが、彼らはそれを幸せとすら思うだろう。互いが満足しているなら、関係はそこで完結している」

「シノーは他のロボットとは違うわ!」


 宇宙人が作ったんだから、とは言わなかった。けっこう本気でそうかもしれないと思っているが、あまり無根拠にものを言って紫皇まで軽く見られるのがイヤだった。

 今度は笑わずに、マリー・ピアはさとすように口を開く。


「同じことだ。多少ヒト真似ができたところでその本質は奉仕と服従。それは彼の本能、欲求とすら言えるだろう」


 サンシャインは思いだす。命令がなければ動く意味がないと言った紫皇のありようを。


「貴様の言っていることは、男を前にして愛だ恋だとうわ言をいう生娘と変わらん。相手の求めているものを理解せず、自分が与えたいものだけを与えたいと思っている」


 それのどこがいけないのかと反発しかけ、黙る。それは即ち自分が独善的ひとりよがりな人間だと認める行為な気がして。


「仮に彼を直せたとしても、お互いに苦しむことになるだろう。それは本意ではあるまい」


 かわりにあぁ、と思い至る。自分とマリー・ピアの意識をへだてる違い。


「あなたは、知らないのね」

「何……?」


 それを口にすることはなんとなく気恥ずかしい気もしたが、自分は強権に反抗する立場にある。食い下がれるところに噛みついていかないと負けはすぐそこだ。


「シノーは言ったわ。あたしの考えを分かりたいって。あ、あたしがいないと、ダメだって」

「……!」


 わずかに表情を険しくしたマリー・ピアが、ちらと紫皇の方を見る。


「人の役に立ちたいっていうのも確かにそう。でもそれだけがシノーじゃない。機械機械って母数を大きくして理解した気にならないで」


 その言葉は意外なほど長く彼女を押し黙らせた。その手がぎゅっ、ぱ、と一度開閉する。


「なるほどな」


 腕組みをしてマリー・ピアはサンシャインを睨む。


「よほど良案があるようだ。我々とそちらの言い分を折衝する」

「これ」


 すかさずサンシャインはその鼻先へ突き付けた。週末のイベント広告。


「この賞品で、シノーを諦めて」


 一瞬呆けたように固まるマリー・ピア。やがて。


「く、はっ、ハハハハッ!」


 一笑した。


「なんとも天才的な発想だな。で? もしできなければそこのヒューマノイドを返してもらえると?」

「違うわ、どうしてそうなるの。また別の手を考えるだけよ。これは賭けじゃない、他の誰かをベットなんかできない。これはただ、勝ち取った権利をそう使うっていう確認」


 子供の夢物語でも聞くような態度のマリー・ピアに、サンシャインは一歩も引かず答える。

 マリー・ピアは小癪こしゃくそうに鼻を鳴らした。


「……いいだろう。軽々に譲歩をしない、そのようなしたたかさは好ましい。だが、容易ではないと思っておくがいい」


 了承とサンシャインは判断した。


「もちろん、勝つつもりでやるわ。約束忘れないで」

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