→視点:Cinooh=Favela

 翌日。けっきょく昨日のうちにサンシャインと連絡は付かなかった。

 マリー・ピアは二日後、つまり明日に返事をもらいに来ると言い残して帰っていった。

 紫皇は静かになった寝床に横になり、かたわらの喧噪けんそうを聞いている。


「絶対ことわって!」

「落ちついてください、サニーちゃん」


 昨日、下校後にメッセージを見たらしいサンシャインは、放課後やってきて話を聞くなり反発した。


「シノーを渡すなんて絶対イヤ! そもそも本当の持ち主かなんて分からないじゃない!」

「それを言ったらサニーちゃんも拾ってきたわけですから正当性はありませんが」


 サニーは少し黙る。少しして。


「そういうことは問題じゃないの! 秘密研究所みたいなところにシノーを渡したら、向こうでどんな目にわされるかわからないじゃない!」


 どうやら自分の心配をしているらしいと、紫皇はもどかしい気持ちになった。

 彼女から離れたあとのことなどさして問題ではない。たとえその場で分解されようが、それがサニーの為に動いた結果ならば不安も起きはしないだろう。もともと、そのつもりで一度は幽苺ヨウメイと刺し違えたのだから。

 その思いをどうにか伝えたいと思うも、起きるわけにもいかない。


「…………企業であれば秘密の研究くらいしていて当然です。それに、優秀なチームの研究対象となれば彼の意識を戻す方法も分かるかもしれません」


 アンジェの言葉に紫皇は懸念をふやす。あまり気をもたせるようなことを言わないでほしいのだが。それも説得というものだろうか。


「で、でも、修理ロボが止まるまではわからないって」


 サンシャインはくいさがった。少しの間。


「…………修理ロボは、昨夜まりました」

「ぇ」


 アンジェが立ち上がる気配。

 その足音に続いてサンシャインもまたこちらへ近づいてくる。


「虫たちの出入りがなくなりました。本機のパネルに《処置終了Complete》の表示が」


 ぺたん、と間近に座る気配。


「そんな……シノー、シノーってば」


 小さな手に体が揺すぶられる。


「なんで返事してくれないの。返事して、目を開けてよ」


 はっきりと命令されてもそうせずにいられるのは、三つの意思決定機構のうち《倫理》が正常に働いていないからだろう。胸の奥で壊れたままになっているのがおそらくそれだった。


「マルドレートは、AIの研究開発にも積極的な企業。今は無理でも将来的には、彼の内部にアクセスする方法を見つけられるかも、しれません」


 サンシャインをいたわるアンジェの言葉。


「……でも、きっとお別れだよ?」


 それに、揺する手のひらがぎゅっと握られた。


「何年もかけて直ったとしても、きっとあたしは会わせてもらえない。その時シノーは本当の秘密になる。そうじゃない?」

「…………それは、」


 もし、何重ものプロテクトと暗号化をかいくぐって《蜃気楼の夢幻郷ゴーストファンタズマ》のシステムを解析できたなら、そこは開発者にとって宝の山だ。超次世代のソフトウェア、それを可能にする情報圧縮あっしゅく技術。あるいはそこへ至る道のりですら、多くの技術革新を生むかもしれない。


「……嫌だよ、もう会えないなんて。シノー」


 ぐずるような涙声に、わずかに紫皇は動揺した。

 自分のしていることは本当に正しいのか、という疑問が提起され、再検証される。


 :現状において最も妥当


 答えは変わらない。自分は彼女の人生のかせになる。

 であればこのまま消えることが一番の献身だ。

 幸せを目指せと言ってくれた彼女への。大ルールという、かつては自分の存在理由にも等しかった部分を喪失しても、安定していられるだけの意味を自分にくれたサニーへの。


「……すぐに答えを出す必要は、ありません。ですが、もう一度考えるべきだと思います。彼のためにも。ここでずっと動かないままに過ごすか、それとも」

「っ!」


 サンシャインは立ち上がった。


「とにかく会わないから! 来ても追い返して!」

「ああっそんな、苦労する管理職のような立場にワタシを置かないでください……!」


 制止もむなしく、足音は部屋の外へ出て走り去る。

 それが充分に遠ざかったころ、つぶやくようにアンジェが訊ねた。


「…………平気ですか」

「何がだ?」


 たんっと作業机が叩かれる。


「質問しているんですよ。サニーちゃんにあんな顔をさせて、それでも……っ」


 どうも怒っているらしい。彼女と自分の目的は近しいと思ったからこそ、協力を求めたのだが。


「……すみません。あなたにあたることではなかった、です。駄目ですね、ワタシは」


 かと思えばひどく消沈した声。


「分かってはいるんです。目に入るところにあなたがいることは、何より長く彼女を縛ることになる」


 そうだ、だからこそ可能な限り早く、できるだけ彼女が悲しまない方法で。


「いなくなってしまえばきっと、一夜の夢のようにいずれ忘れてしまうでしょう。それだけあなた達、《蜃気楼の夢幻郷ゴーストファンタズマ》は現実離れした存在。ですが……」


 アンジェが椅子に座る大きな音と、それと同じくらいの溜め息。


「…………分からなく、なってきました。ワタシは人間として欠陥があるのかもしれません」

「そんなことはない。感謝している」


 フォローするも、ずるずると椅子を滑り落ちる音が聞こえはじめる。

 ぴたりとそれが止まった。


「…………少し、電話をしてきます」


 そう言ってアンジェは部屋を出て行く。はて。

 自分に聞かせたくない類の話だろうか。これまで仕事の電話などは紫皇の前で受けていたように思うが。

 紫皇は不思議に思うも早々に結論を諦めた。

 不完全と言うならば自分こそそうだ。人のような見た目をしていながら、人と同じコミュニケーションができない。その気持ちを十全に理解できない。

 これ以上サニーを泣かせてしまう前に早くどこかへ行きたいと、それだけを願った。

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