→自宅へ
息が荒い。
見慣れた自宅の扉を前にしたとたん、サンシャインはどっと疲労を自覚した。
走った、のだろう。大学棟からここまで。息は切れているが実感は薄かった。
(なんで、こんなに弱いんだろう)
自分ときたら。暴力にも
反論できなかった。紫皇が自分のもとにいるべき理由を、一つだって挙げられなかった。
(泣きたい)
否、泣く。
この荒れ狂う嵐のような感情を抱えたままでは、にっちもさっちもいかないことくらいは自分にも分かる。
そのためにはまず自室のベッド以上の場所はないと、サンシャインは唇をかみしめたまま玄関を降りていく。
見慣れない靴が、リビング前にあった。
「よお」
入り口で足を止める。
ソファに深く座り、こちらに手をあげる年齢不詳の男。
サミュエル、確か母親がそう呼んでいた。あとの名は知らない。
「しばらくぶりだなぁ、サニー?」
言葉を失う。少ししてようやく、自分が大きな隙をさらしていると気付く。
「ッあんた……今さら何しに来たのよ!?」
まなじりを吊り上げた。目前の、事実上最後の元家族に向けて。
「冷てえな、義理でも父親だろ?」
へらりと唇を曲げるサミュエル。
言う通り、彼はサンシャインの5人目の父親だった。一年間、ほんの一か月前まで。
「あんな書き置きひとつで消えといて、よく言えたわね。お
蒸発時に
サミュエルはふぅん、とさして意外でもなさそうに上体を揺らした。
「なるほどそうかい。ま、そういうとこに付いて回るのも悪かないんだが……っと、
「何しに来たの!」
いよいよ怒鳴る。もとからこっちは臨界ギリギリだ。今の自分をパラミラがみたら全力で逃げ出すだろうとサンシャインは思った。
「サニー、お前CAGアクター始めたんだって? あんまり危ないマネするなよ?」
そんな内面を知ってか知らずかあえて無視してか、ばか明るい声でサミュエルは話しかけてくる。
「余計なお世話よ、もう帰って!」
「分かった分かった、最後にこれだけ、な?」
もういい叩き出そうと決意し踏み出したサンシャインに、一枚の紙が差し出された。
「これ……」
見覚えのある広告だった。週末の《
「何か今週末にあるらしいぞ。俺は見に行けないが、参加してみたらどうだ?」
こっちはそれどころじゃない、と言いそうになるがパラミラに約束した手前もある。
「……アンタに言われたら急に行きたくなくなったわ」
「はは、ま、そういわずにさ。これでも応援してんだ。それに賞品だって大したもんだぞ? あのマルドレートが会社をあげて何でも願いを叶えてくれるっていうんだ」
「え……?」
慌てて広告へ再度目を落とした。
が、それらしい文言は見出しの「集めて願いを叶えよう」ぐらいのもの。
「それ、本当?」
「オフィシャルサイトにそう載ってたぞ。これ広報が下手クソだよなぁ、もっと景品を前面に押しだしゃあいいのに」
タブレットのARアプリ越しにチラシを見ると、浮かんだ詳細には確かに書かれていた。《社があなたの願いを叶えます》と。
「まあ限度はあるだろうけどな。一億ドルよこせとかアカデミー俳優と付き合いたいとか言ったら無理だろうが」
サミュエルの言葉はもはや聞き流されていた。サンシャインは夢中で宙に浮かんだ文章を目で追っている。
「社名アピールもかねた大盤振る舞いだ。観光客にチャンスがあるなら始めたばかりの初心者でも運次第でいけるんじゃねえの」
……これは、ひょっとしたら一筋の光明ではないだろうか。とても細い、文字通り万に一つという可能性ではあるものの。
「なあ、いい知らせだっただろ? 機嫌直したなら夕飯でも食べないか、三人で」
サミュエルが立ち上がる。無造作に頭へのばされた手のひらを、サンシャインはぱしんと打ち払っていた。
「……そうね、ありがと。でもふざけたこと言わないで、絶対イヤ」
肩をすくめるサミュエル。
「やれやれ、そうかい。んじゃまぁ、ママにはお前から伝えてくれ、まだベッドにいると思うからさ」
「ッ出ていって! 二度と来ないで!」
投げつけようと手近な花瓶をひっつかむ。だが生けてある花に気付き、ほかに何かないかと辺りを見回すうちにサミュエルは玄関を飛び出していった。
どすどすと足音あらく階下へ降り、母親の寝室を叩き開ける。
もぬけの空だった。人の気配も熱もない。そういえば玄関にも母の靴はなかった。
「……っ……冗談まで最低……」
世界が俗悪なものに見え、眠りたいと自室へ足を向ける。
ふと、自身へわずかに付着した匂いに気がついた。
「タバコ臭い……」
サミュエルのものだろう。近寄っただけでこれなら、リビングには。
「掃除しなきゃ……」
母親には気付かれたくなかった。あの男が戻ってきたことなど。
サンシャインは廊下へしゃがみこんで顔を覆う。五秒ほどそうしてから、一気に立ちあがり叫んだ。
「あーもう! ふざけんなどいつもこいつもーっ!」
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