→目を覚ます

 記憶は薄くぐにゃぐにゃとして、出鱈目でたらめに曲げたレンズを通して見ているかのよう。

 ずきずきと頭が痛く、胸が締めつけられたように苦しい。

 ほこりっぽいお湯に浸かったような顔が不快で、サンシャインはあえぐように上を向いた。


「っは、ぁ」


 はりついた上下のまぶたがピリッと離れる。

 すぐ目の前に地面があった。自分は転がされていて、身体は動かない。

 まぶしさにすがめた視界にぼんやりと小柄な人影が映り込んだ。


「あらー? 起きたの?」


 二本の足の間からのぞく逆さまの少女。

 立って前屈しているらしいそれは、サンシャインを見るとにっこり笑った。


「……あなた、は……?」


 漫画トゥーンアニメから出てきたような女の子だった。

 装飾いっぱいのドレス、一方でむきだしの太もも。明るいピンクの髪は横にツーテール、後ろに三つ編みの計4ふさ


「幽苺は、そうねー、紫皇の飼い主って言えば伝わるかしら?」

「っ」


 その答えに息をのむ。さっと視線をめぐらせれば、すぐ近くに停まったトラックの中から複数人の気配と視線を感じた。

 場所には見覚えがある、学校の裏の通用門だ。

 その狼狽あせりを舐めあげるように、幽苺と名乗った少女はサンシャインの顔をのぞき込む。


「いいみたいね。じゃあこっちから質問。人のペットをとったら泥棒!って、小さいころに習わなかったのかしらー?」


 必死で頭を切り替えた。寝起きから、非常時のそれへ。

 自分は捕まっていて、相手はたぶん昨日の連中の仲間。おそらくは紫皇を取り返しにきた。


「……あなたこそ、因果応報いんがおうほうって言葉を知ってる?」

「あっはハ! 知ってるわ、死んだヤツに唱えるお祈りでしょ?」


 直後、花模様はなもようの木靴がサンシャインの頭を踏みつけた。


「っあう!」

「あッハ、お姉ちゃんってばかーわいい。いつまでそんな世間知らずなクチがきけるのか楽しみねー?」


 じりじりと体重をのせながら幽苺は楽しそうに体を揺らす。そこへ。


「帰りです、姉弟子あねでしさま」

「あら、祓巳おかえ……あーっ!」


 校舎の方から現れた武田祓巳ふつきが引きずるそれを見て、幽苺が悲鳴をあげた。


「シノー!?」


 ほぼ同時にサンシャインもその名を呼んだ。

 紫皇はぐったりとして、その背中にはスタンブレードが鍔元つばもとまで突き刺さっている。


「フーツーキーっ! アナタねー、手を出しちゃダメって言ったでしょー!? これじゃあ遊べないじゃない!」

「あー、スミマセンなぁ。ちょっとコイツが暴れよったもんで」


 さして悪びれた様子もなく祓巳は頭をかいた。


「シノー、シノーっ、シの――ぅッ!?」

「うるさいッ!」


 サンシャインの喉へ木靴がめりこんだ。縛られた体が丸まり、激しい咳が出る。

 それに目もくれずに幽苺は険しい顔を祓巳へ向けた。


「昨日も今日も言い付けをやぶって! 馬鹿なの、もー!?」

「まあもうちぃっと利口なら姉弟子さまの下にはつかんでしょうなぁ」


 やなぎに風と受け流す祓巳。それに、と。


「コイツがなんや今日は一段と人間ヅラをしよりましたもんで、腹立ってつい」

「なにそれ見たかった! じゃない、覚悟できてるんでしょうねー!?」

「どうとでも」


 祓巳はだらりと両手を下げた。

 それを見てまばたきひとつ、幽苺はふふんと笑う。


「その手には乗らないわ。アナタはそうやってまたお仕置きをねだるつもりね」


 木靴がサンシャインのあごを無理やり上向かせる。


「可愛いわ、祓巳。憎むだけじゃ生きられない、なのに服従することもできなくて。噛みつくほかに愛され方を知らないなんて、籠の鳥みたい。でもね」


 心臓を掴まれたような恐れにサンシャインは喉をひきつらせた。


「そろそろ別のび方も覚えないと、ね。今日は代わりにこの子で遊ぶことにするわ」


 祓巳が小鼻を鳴らす。その眉間に深い溝が刻まれた。


「逆さ吊りにして髪を焼いて、プールに置いて流水にさらして。鞭で打って電気で責めて、最後は喉を塞いで殺してあげる。紫皇との繋がりを切るために、紫皇の目の前で。ああ、とても――」

「姉弟子さま!」


 祓巳が叫び、足を振り上げる。

 頭を砕こうとする踏みつけを額で受けて、紫皇は立ち上がった。

 勢いそのままに祓巳をはね飛ばし、幽苺とサンシャインへ突進する。意外にもあっさりと、幽苺はその場を飛び退いた。


「あら紫皇、起きたんだー、よかったぁー。お仕置きだって紫皇がいなきゃ始まらないと思ってたのよねー」


 トラックから4人、バトルスーツの男たちが展開する。

 彼らは暴徒鎮圧用ティザーガンで紫皇たち二人を狙いつけると、一斉に発射した。

 チヂヂチッ、とかがんだ紫皇の耳元を電撃針が通り過ぎる。

 サンシャインを抱えたその躰は巣へ逃げ込むアナグマのように低く真っ直ぐ校舎へと転がり込んだ。


「アナタたちー、撃つのはいいけどもし、どっちかでも壊したらそいつを逆さ吊りにするからねー」


 第二射の引き金を引こうとしていた男たちの指がピタリと止まる。

 目を閉じ耳へ手をかざした幽苺は童女のように小首を傾げた。


「あら、静かになったわ? んふ、じゃーぁ、幽苺の《星呑の蜘蛛ウーゴリアント》をもう一度出してちょうだい」


 バトルスーツ二人が荷台へと駆け込み、間もなく発動機の駆動音がする。


「逃がさないし許さないわ、紫皇。誰も幽苺からは奪わせない。アナタが幽苺からアナタを奪うなら、幽苺は必ずそれを取り戻す。絶対に、絶対に絶対に、アナタが壊れたってかまわない」


 立ったまま爪先を掴んだ幽苺の瞳が、昏いあなを開けた。

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