→校舎の中を逃げる
感情値が《怖れ》一色に染まっていた。
怖い、恐い、こわい。駄目だ、アレは駄目だ。彼女から逃げることは不可能だ。覚えている、憶えがある、データが蓄積されている。
あのときも自分は――!
「シノーってばあっ!」
呼びかけを認識し、腕の中を見る。
真っ赤に目を
校舎の一階、まっすぐな廊下を反対の出口目指して紫皇は走っている。
「大丈夫? 今のシノー、すごく恐い顔してる」
ログを確認すればすでに四回ほど呼びかけられていた。
無言で首を振る。言葉を生成できなかった。
「……しゃべれ、ない、の?」
うなずく。ほかに処理装置の半分ほどがダウンしていた。
アンジェの分析はおおむね正しく、彼女の言うところの《倫理》と《合理》が働かない現状でも《感情》による行動評価によって運動系へ指示が出せている。
だがそれは人間で例えるなら左脳が破壊されても右脳が生きているから動ける、というような話で非常に不安定かつ
――逃げなければ、逃げなければ、サニーと共に。あらゆる犠牲を払ってでも。
紫皇をつき動かす理屈はもはやこれだけだ。なぜ幽苺が恐ろしいのか、どうしてサニーが必要なのかは《倫理》《合理》が潰れているせいで分からない。
「お、あ、あぁ、お、お、お!」
「っシノー!?」
走りながら絶叫する。
比較的マシな壊れ方をした《合理》部分へ走らせていたエラーチェックを中断。
限界まで拡大した知覚にとらえた
数メートル後ろの床が爆発する。
ロケット
「なぁっあ、アレ何!?」
混乱した様子でサンシャインが叫ぶ。射線を切る直前、紫皇の目もそれを
大型バイクほどの体高をもつ
「……“幽苺” “《星呑の蜘蛛》”――う、ぐ、ッ!?」
失った言語生成機能のかわりにかつて生成した言葉を台詞のように読み上げる。
それすら不十分にしか行えず、単語のみで答えたところで猛烈な《怖れ》が紫皇の膝を折った。
すさまじい量の
「シノー!? シの……う……ぁ?」
サンシャインの様子がおかしいことに気付く。トロンとまぶたが落ち、眠ったように脱力していく。
――ここの空気はマズい。何か良くないものが含まれている。
それが何なのか、もはやどうしても分からなかった。
だが絶対的な脅威は背後に迫っている。上った先に活路を見出すほかないと、震える足をこぐ。
二階の踊り場へたどり着いたとき、下階から激しい振動音が響いた。
床に無数の穴が開きはじめる。貫通した銃弾は天井もを
「ぐ、あ ッ」
真下からかかとを撃ち抜かれ転がる。まるでこちらが見えているかのような射撃だった。
損傷がきっかけとなり、
【《
Size:2.3m×2.5m×1.2m Weight:556kg
Weapon:12.7mm重機関銃 オートマチックグレネードランチャー
Monitor:可視光センサー エコー探査 熱源探知... 】
引き出された
「――ッ、あ、だ、めだ」
それ以上の引き出しを《感情》が拒絶した。
このうえ《怖れ》に囚われれば自分はどうしようもなくなる。
それにもっと直近に対処すべき問題が――!
「あっはハハハハハ! 紫ぃいいいいい皇ォォオオオオっ!」
ボロボロになった床が爆散し、開いた穴から続々と脚が
大蜘蛛の背部から立ち上がった幽苺がガスマスク越しに凶笑した。その身体には機体から伸びた
「あッハ、どうしたの? 必死さが足りないわねー? またあの時みたいにご主人様もろとも壊して欲しいのかしらー?」
全力で踊り場から距離を取った。彼女の言葉はほぼ理解できない。否、してはならないと感じる。
グレネードの射出音。
だが続いたのは爆炎ではなくさらなる噴出音だった。マズい、これは――!
「うーん、とりあえず、新しいお姫様を見捨てるところから始めましょうかー」
廊下が白色の煙で埋め尽くされる。
ガスグレネード、そう判断した紫皇は手近な部屋へと飛び込んでいた。
固くドアを閉じてからサンシャインの安否を確認した。目に見えた変化はない。さっと入った部屋を見渡す。
運動部か何かの部室のようだった。無人で外に面した窓が開けられている。
大気組成をチェックし、ひとまず正常と判断。
――窓から跳んで逃げるか?
廊下が危うい今、それは有効な手段に思えた。少なくとも幽苺は校内にいる。外に出るのは活路と言えるだろう。
「…………」
ふと。紫皇の視界が動くものをとらえた。ゆっくりと開くスチールの扉。
「ひぃっ!」
甲高い悲鳴。
壁際に並んだロッカーのひとつに、男子生徒が入っていた。
「た、たっ、助、たすけ……っ」
彼が大事そうに抱え込んだ赤と銀のカラーリングには覚えがある。
今朝、登校途中にサンシャインに絡んでいた少年。名前は確か。
「……“ヤンス”」
口にすると同時、彼に関する
――飛行モジュールがあれば、安全に着地できる
ガシャアッと壁かドアが破壊された音がした。隣の部屋からだ。
怯えたように身を丸めたヤンスが言った。
「た、頼む、助けてくれよおッ! 何が起こってるか知らねえけど、俺は何もしてねえ、何も……!」
――ちょうどいい、これで自分とサニーは助かる
紫皇は無言で手を伸ばすとヤンスからスーツとジェットパックをもぎ取った。
「なっ、や、やめろッ、返せ――ひっ!」
抵抗する相手に顔を近付け、
「“……Don’t think…Feeeeeeeeel”」
「わ、分かった! 分かったよッ、持っていぐえっ!」
同じくして、部屋のドアが弾け飛んだ。
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