→これまでの経緯を話す

 《記憶の空白》以降、特に昨夜から今日までの出来事を紫皇が話し終えると、アンジェは座ったまま限界まで落ちていた頭をむくりと持ち上げた。


「じゅるっ、ぁー…………なるほど」

「聞いていたか? 本当に?」


 紫皇へ向けられた目もひどくうつろだ。


「ちょっと、頑張ってしゃきっとしてみたんですが……いろいろ限界で……ぁ? 待ってください、ムービーをせたと言いましたか」


 言ううちに椅子のキャスターはすでに転がっていた。

 PCラックで止まって画面に触れるとすぐにブラウザが立ち上がる。

 CAG公式サイト、そこから分岐する動画サイトへ移動しサンシャインのページに辿り着いた。


「……ぁああダメダメえっちすぎます。何ですかこの天使は」


 今朝の動画を三分かぶりつきで視聴したあと、いくぶん開いた目で振り向く。


「…………どうやらまだ、大丈夫なようですが」

「何がだ? あんたの正気の話なら認識を改めたほうがいい」


 んん、と咳払せきばらいをして画面をスクロールして見せる。


「あなたのリスク管理のフレーム処理がどうなっているのかは分かりませんが……まだ危険がなくなったとは言えません。相手は犯罪者個人ではなく組織ですから」


 ページに埋め込まれた動画の下には視聴者がコメントを書きこむ欄がある。

 現在の投稿はゼロだった。


「あなたの話では、こちらの身元は割れていない。ですがこの動画を関係者が見れば、すぐに現場にいた彼女だと分かってしまう」


 指が色落ちしたディスプレイをなぞるとショートメッセージが立ち上がる。


「しばらくは、身辺に気を付けたほうがいい、でしょう。ワタシも詳しくは分かりませんが、少なくともあなたにはそれだけの価値がある」

 

 送信先リストからサンシャインの名前を選択するとキーを打ちこんだ。


【CAGムービーサイトに投稿した動画を消しなさい :D】


 微妙に内容にそぐわない顔文字をそえて送ったあと、胸に手を当てて息をつく。


「…………授業中、ですから、すぐに返事は来ないでしょう。その間、話を聞かせてください」


 数十分後に返事が届いた。


【嫌、どうしてそんなこと言うの】

「うっくっ」


 アンジェが苦しげに背を丸め胸を押さえる。

 額をPCラックのテーブルに落としたまま、伸ばした手で器用にタイプした。


【あなたが昨夜関わったという組織に――】


 そこまで打ちこんで、バックスペースを長押し。すべて消して新たに書いた。


【理由は後で。ですが、あなたの為を思ってのことです :D】

「お……」


 紫皇が浮かんだ懸念を言葉にする前にメッセージは送信される。同時に始業のベルが鳴った。

 ずるりと床へすべり落ちたアンジェはそのまま寝袋にもぐりこむ。


「…………気力が尽きたので、寝ますね。返事がきたら、起こしてくださ、い」


 それから小一時間して、メッセージ着信音と同時にアンジェは跳ね起きた。


【ママみたいなこと言わないで! あたしのことよく知りもしないくせに!】

【Sunshine=Davisがあなたを一時ブロックしました】


「ぃあああッ」


 奇声をあげ崩れ落ちる。

 紫皇のデバイスにも着信が入った。


【アンジェパパにアクターのことは話さないで! ):-<】

「ぐああっ!」


 怒りの顔文字に感情値が乱れ、膝をついてうなだれる。

 しばらく二人してダメージを受けたあと、アンジェが椅子に這いあがった。


「仕方、ありません。こちらで削除依頼を出しておきましょう。捨てアカで」


 流れるような作業で新規アカウントを作成すると、動画をCAGサイト運営に通報する。違反事項をチェックする画面で数秒迷い、[未成年者のセクシャルな要素]を選択した。

 アンジェは作業机に戻ってくると、冷えたココアへさらに2さじほど粉を加えて飲みほす。


「…………はぁ。元娘に拒絶されると、足元が真っ暗な気分になります」

「わかるような気がする」

「本当ですか? 人工無能式の相づちではなく?」


 紫皇は通学路からの疑問を解消しようと思い立った。


「俺も外見的にはよく似た状態になる。サニーを怒らせたり悲しませたりしたと分かると、いろいろなところに不調が出る」

「…………その話、聞かせてください。それからもう少し、あなたについても」


 アンジェは自身の心の均衡きんこうをも取り戻そうとするように、身を乗り出した。

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