→視点:Cinooh=Favela

 視界が欠ける。眼窩がんかが異様な電流をもつ。

 二つの目のそれぞれの役割は人間とそう変わらない。位置の異なる左右から一つの対象をとらえることで立体的に、その正確な座標を特定する。


「まあ聞けよ、シノー」


 その機能を大幅に損傷させた張本人は、けた目を押さえる紫皇を前に腕を広げた。


「本来お前は出てくるべきじゃなかったのさ。チャイナマフィアなんかに使われた時点でな。一度泥沼にはまったヤツがおかへあがったところで、ついた泥が落ちるわけじゃねえ」


 損傷の深度しんどと向きを確認。

 それはぼんやりとした、広く浅いものだった。


「ついた泥は足跡あしあとになる。人に関われば相手も汚す。ハエもたかりゃあウジもわく」


 サミュエルが銃を向ける。奇妙な、まるでカメラアイのような。


日陰者ひかげものは日陰者らしく、ひっそり死んどけばよかったのさ」


 引き金にかけた指が動いた瞬間、紫皇は真横へと飛んだ。

 ザガガッ――と右の聴覚が異常をきたす。強烈なノイズと電流の撹乱かくらん、直後に沈黙。


「ああ、だから俺はまだ破壊されるわけにはいかない。ここではサニーが悲しむ」


 紫皇は半身にかまえてサミュエルの手元を注視した。効果範囲は限定されている。


「指向性電磁パルスEMP発生器か」

「ご明察だ」


 みたびその指が引き金を引く。

 紫皇はひざを抜いて頭を下げると、そのまま低姿勢で突進した。

 一気に距離を詰め、銃を奪おうと手を伸ばす。

 その直前、サミュエルが片手で抜いた携帯灰皿からナイフの刃が飛び出していた。


「お前らみたいな化け物に、火器以外で対応するためのそなえだよ」


 まるで闘牛士とうぎゅうしの剣のごとくその切っさきは紫皇の腰を切り裂いた。

 当然のように付与された電撃が周辺機能をおそうが、浅い。


「ぐっ、あ!」


 左大腿だいたいの制御が乱れ、紫皇はすれ違いざまに床を転がった。

 顔を上げたところで、残った右目を狙いつける発生器を視認する。

 膝をついたまま、ボクシングのガードのように両腕で顔をおおった。


「あぁ、撃ったところでツブせるのが外に開いたセンサー系だけってのは難点だな。今どきEMP対策なんて一般兵器でもされてるもんなぁ」


 立ちあがり態勢低く側面へ回り込むように走る。

 頭の上下をわざと大きくし狙いにくくした状態で、腕の間から敵をうかがう。

 そこには誰もいなかった。


「――――、」


 一瞬の思考。

 煙のように消え失せた相手を探そうと、ほんのわずかに視界を広げた刹那せつな

 右のこめかみへ、真横からそれは突き付けられていた。


「――けどよ、そのぎ目から至近距離でブチ込めばどうだ?」


 チチッヂヂヂヂヂッッ!


「オ ああア アア ッ!」


 干渉の波は頭部をおおかたき尽くした。毛細血管のごとくめぐらされた回路がぜ、シュウシュウという音とともに穴という穴から白煙があがる。

 頭部には人間の五感にして触覚以外のすべてのセンサー系が搭載されていた。それらことごとくがブラックアウトする。

 いなかったはずだ、そこには。確認するように右側へ腕を振るうもやはり拳は何もとらえない。

 かろうじて無事だった左耳が、その声を拾っていた。


「【愚獣の皮衣バブン イシィクムバ】、コイツは教えてなかったな」


 棒立ちは危険だと走ろうとした矢先、その足がすくわれた。

 前に転倒し、いつくばる。


「お前の同類だよ、《蜃気楼の夢幻郷ゴーストファンタズマ》。もっともコイツには気色悪きしょくわるい人がましさなんぞ欠片かけらもねえが」


 透明化だ、と紫皇はおそらくの正解に至る。

 その正体は多機能光学こうがくスーツ。確認しただけでも光を迂回うかいさせ、またそこに別の像を映し出すことが出来る。

 閉鎖された展望室に突然現れたのも、あらかじめ隠れていたというのが真相だろう。

 背中が強く踏みつけられた。


「誰だかのために死ねない、なんてのは人様ひとさまの、それも真っ当な人間サマのこねる理屈だぜ。お前は違うだろ? シノー?」


 頭上から降るサミュエルの声。


「お前みたいなのは基本、生きてるだけで厄介やっかいごとの種になるんだ。死に時を考える余裕があるならサクッと死んだ方がサニーだって気が楽だろうよ」


 ――ああ。


「……そう、俺も思ったんだが」

「あん?」


 駄目だ、出来ない、それだけは。


「壊れた俺を見て、サニーは泣いた。とても泣いて、怒って、落ち込んだ。もうあんな思いはさせたくない。それが俺にできる最後のことだ」


 両手両足で地面をつかむ。背を踏む足を押し上げ、全身の力で立とうとする。


【 Enable:《星呑の蜘蛛》Bonus

  Downloading drivers “Spiderweb”… 】


 ざくりと手の甲にスタンブレードが突き立った。

 力が入らなくなり、ふたたび顔が床へつく。


「で? だから死にたくねえってか。結局そこだろ、自己保存に大層なかたり入れやがって」


 ゴリ、と後頭部へ発生器が押し当てられた。


「お前は人のことなんざどうでもいいんだよ。気持ちよく生きて死んで、それがちょうど人間に都合つごうよくなるように出来てるのさ。だからそこのところが狂ったらもうしょうがねえ」


 その言葉は、まるで欠落した倫理をおぎなうように紫皇の胸へすべり込んだ。

 ああ、きっとそれは当たっている。自分は、機械はどこまでいってもそういうもの。


廃棄処分はいきしょぶんだ、シノー。不本意だろうがそれが世のため人の為なのさ。そう言われて受けれるくらいの分別ふんべつは残ってんだろ?」


 見も知らぬ誰かのために、とはもはや思えなかった。だが、ああ。

 彼女を不幸にしたくはないと考えた。考えてしまった。

 そのためならここで壊れることも仕方がないと。

 狂っているというのなら、いっそ振り切ってしまえばマシだったものを。さらに重ねたジレンマに、感情値は今にも叫び出しそうなほど乱れている。


日向ひなたを望んだてめえをうらみな、機械野郎」


 直後。放たれた電磁波は今度こそ完全に紫皇の頭部回路を弾けさせた。

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