→視点:Cinooh=Favela

§      §      §


 :損傷過大[※※%]

 :過去データから類似パターンを参照

 :エラー 処理装置に障害...

 

―――。

 漂白された世界の中で、彼女だけが切り取られたように立っている。

 顔も何もない、ただの人型。

 それが[少女]で[大切な相手]であること以外の情報はそこにはない。


「忘れるの、シノー、全部ね。貴方の思い人タ シェリがいいと言うまで」


 穏やかな、聞くと落ち着くその声は頭上から。

 座り込んだ自分はそれを見上げようとして、その機能が既にないことに気付く。


「……分からない。いつまでだ? 思い人の定義は?」

「…………」


 含み笑う気配。それがどうしてか無性に不安をあおった。


「さようなら。貴方を愛していたわ」


...

:記憶ディスクの暗号化を開始

:キーコードの再現不可能性を確認

:再設定を推奨

:再設定を


§      §      §



:再起動


:不正な終了を検知

:起動前エラーチェックを推奨...許可

:破損したデータ 即時の修復を強く推奨...許可

:新しいユーザー《Sunshine=Davis》

:待機キュー(優先度:高) 全タスクを中断 運動系・知覚系を強制起動

:実行

...


 振り上げた拳は、紫皇の背から身を乗り出す祓巳ふつきのアゴを打ちあげていた。


「■■■、■■■ええ加減■■せえやあッ!」


 もんどりうった祓巳が何事か怒鳴っている。言語認識力がいちじるしく低下している。

他にもいたるところでエラーがき出されていた。

 直立をたもてない。片ひざをつき、後ろ手でスタンブレードを引き抜いた。


「――ガザ――ッ――“うるっせえ” “喧嘩は相手を見て――べきだと思うがな、嬢ちゃん”」

「■■■ワケ分からんコト■――ッぐぅ!」


 言語生成に障害。既成文きせいぶんを代用。

 転がった祓巳ののどを掴み、持ち上げる。


「“大丈夫だ 怖かったな” “俺は――を守る”」


 そのまま吊り上げるように立ちあがった。背面に衝撃しょうげき、確認を保留。


「ククッ、成る程、ゲハッ、新しい■■を見つけたゆうワケや、《■■■》が」


 首を徐々にめ上げられながら祓巳が笑う。


「気ィつけやあ゛ッゴホ! おどれの前のマスターみたくぶっ■さんように……ッ」


 紫皇は無表情でそれを見上げ、訊ねた。


「……前のマスター? 誰のことだ」


 ビクンと祓巳が痙攣した。その口が顔の端まで裂け、嘲笑わらう。


「ハッ、ハハハハア゛ッ! 忘れたか、傑作けっさくじゃあははハハッ……ァ……」


 それが最後の力の一滴だったかのようにだらりと手足が垂れ下がる。

 そこでようやく紫皇は、自分の腰を叩くものがあると気付いた。


「シノー! シノーやめて、手を降ろして! 死んじゃうわ!」


 サンシャインだった。紫皇の腰を後ろから抱えるようにしがみつき、必死にそれを抑えようとしている。


「お……」


 言われるままに腕を下げてから、紫皇はようやく自分の行為の危険性を理解した。

 人形のように転がった祓巳はぐったりとしているが息はある。

 何重ものサイレンが近付いていた。


「……すまん、ともかくその、怪我はないか?」

「馬鹿、怪我してるのは紫皇でしょう!? 大丈夫、どこか壊れてない?」


 問われ、紫皇は改めてエラーチェックを走らせた。先ほどから部分的に修復プログラムをあててはいるのだが。


「配線や基盤は無事らしい。クラッシュの影響でデータのエラーがエライことになってるが、まあ動くには支障ない」

「……ひょっとして今の駄洒落ジョーク?」

「何の話だ?」

「そ。あーよかった、そこまでオジサンだったら流石にどうしようかと思った」


 怪訝けげんに眉を寄せた紫皇に向き直り、サンシャインはふっきれたように笑った。


「分かってるかもしれないけど、あたし、あなたのマスターになったわ」

「ああ、ギリギリのタイミングだった」


 クラッシュ寸前にサンシャインへ二度目の申請を送り、許可がおりた場合の挙動キューをもっとも保護が厳重なベースコンピュータへ放り込んでおいた。

 損傷が激しく、正しく動作するまで時間がかかってしまったが。


「なりゆきだったけど、言い訳するつもりはないわ。拾った以上はきちんと世話をする」

「……捨て犬よりは手が掛からないと思うが」


 手のひらが紫皇の頬を撫でる。白い指がサングラスを押しあげた。


「だから、安心して。もう大丈夫だから」

「――――、」


 不思議だった。

 再起動してからずっと高熱をもちつづけていた処理装置が徐々に冷めていく。

 乱れ飛んでいた不明の値が彼女の言葉をさかいに数を減らしたようだった。


「いや、まだ安心はできない。ひとまずマスターは警察への対応をしないとまずい。俺のアクター登録は偽造だ、疑われるとボロが出るかもしれん」

「……あなたって空気がよめないのね。まあ当たり前なんだけど。で何、その呼び方は?」


 サンシャインは不満そうに腕組み。


「……いつまでも嬢ちゃんってワケには」

「それは当然。というか失礼でしょうレディに対して。でも今のは堅苦しすぎ」

「……Sunshine、様」

「サニーよ、仲のいい友達はそう呼ぶわ」

「俺はお前の友達じゃな――」

「案外根に持つのねあなたって! いいでしょ別に、ハイキックから始まる友情だってあるわよ!」


 尻から始まるの言い間違いではないかと紫皇は思ったが口にはしなかった。


「……いま何を考えてるか言ってみて」

「なぜお前の尻に関するログの優先度がこんなに高くなったのかと――」

「やっぱり! あなたの表情ってかなり分かりやすいの、ねっ!」


 表情筋ひょうじょうきんはふだんは単純なロジックで運動しているためそこまで正確に内面を表すわけではない。その真価は外的な刺激に対する即応性そくおうせいだ。驚き、苦痛、困惑。

 むろん、平手で殴られた時なども該当する。


 祓巳が最後に吐いた言葉について、二人とも話そうとしなかった。

 サンシャインは口にするのをためらっているようだったし、紫皇にとってそれは重要な事柄とも思えなかった。

 だが、記憶の欠落は確かにある。その空白は再起動の際さらに拡がった。

 不明の値のことも含めて、自身の予測できない部分が彼女のさまたげにならないか、それだけが心配といえばそうだった。

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