→視点:Cinooh=Favela

 市街に面した窓沿いに歩いてきたサミュエルは、ガラスを背にして紫皇へ向くと取り出したタバコに火を点けた。


「教育係?」

「おう、まあ社会のルールだの暗黙あんもくの了解だのをな。あとは男のマナーか」


 ひと咥えして紫煙しえんをはきだし、つまんだそれで紫皇を指す。


「そのよしみってわけじゃないが、ひとつだけ質問に答えてやる。俺はこれから必要なことを話すから、疑問があれば聞けばいいし無けりゃあ黙ってていい」

「……」


 誰だ、とはもう言えなかった。

 情報の優先度が刻一刻と変化している。目の前の男は明らかな不審であり不明だった。


「マリーピアお嬢様は不憫ふびんな人でなあ」


 サミュエルは話しだす。出た名に紫皇が反応すると同時、タバコの煙の向こうの像が変化する。

 それまで手すりに腰をあずけていた姿は消え、かわりに現れたのは幼い少女だった。人形のようでありながら、その服装は華やかとはいいがたい。


「神童と言われながらも生まれのせいで身内のねたみを買って、あるとき不幸な事故であんな身体にされちまった」


 像が切り替わる。やや成長した少女は、腰掛けた手すりから投げ出した両足が機械に変わっていた。煙が流れて消えたことで、紫皇はそれをホログラムだと判断する。


「もともと研究者を目指していたお嬢様は、それでも大学に会社に実績を重ねて、アマカワに飛ばされてからも新技術の研究をいくつも手掛けた」


 三度みたびの変化。成長した姿のマリー・ピアが立ち上がる。それは最近紫皇が見た彼女とそう変わらなかった。


「そこへつまずいて下さいと言わんばかりに転がってきた石ころがお前だ、シノー」


 ああ、それは知っている。自分はそのとき初めて起動した。

フローリングの床とスチールの本棚を覚えている。そして、見上げた先に誰かがいた。まるで塗りつぶされたように以降は思いだせないが、それがマリー・ピアだったのだろう。


「実際お前はいいオモチャだった。信用できる人間の少なかったお嬢様にとって、社の思惑の外からやってきたお前は一番気を遣わない相手だった。いつもしかめっ面してたお嬢様をいくらかゆるめてくれたことに関しちゃ、俺だってお前に感謝してる」


 ホログラムが消え、サミュエルが再び現れる。紫皇はあらためてその現象の異質さを感じた。一般の光学技術によるものではない。


「けど限度ってもんがあってな。まさかたかが機械のために全てを放り出して心中しんじゅうまがいをやらかすとは誰も思わなかったのさ。本社じゃ相手がたの元締めの槐幇ファイハン派とやり合うかどうかで真っ二つの大騒ぎだったらしいし、俺は俺でお嬢様のフォローのために1年ほど身を隠さなきゃならなかった」


 心中、という言葉に紫皇は四肢の動きがにぶるのを感じた。まるで忘れていた罪を暴かれたような。実際は忘れていたどころか思いだせすらしないが。


「だが今の状況に関しちゃ、そう難しい話じゃねえ。要するにだ、ウチの娘をたぶらかした与太野郎よたやろうを始末しろ、って怒ってる爺さんがおいでなのさ」


 サミュエルが携帯灰皿にタバコをねじこむ。後ろ腰にしまったそれと入れ替わりに抜かれたのは小さな銃だった。ただし間隔のあいた二連の並列砲身へいれつほうしんには銃口がなく、小さな穴が開いている。


「で、だシノー。物は相談だがお前、大人しく人様のために壊れちゃくれねえか」


――シュウッ


 一瞬で膨れあがる警告アラートの奔流。のけぞった紫皇が左目に手をかざす。

 視覚の半分が焼き切れていた。

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