→トレーニング

 週末の予定を決めた翌日の放課後。

 サンシャインはいつものごとく陸上部の練習に混ざっていた。


「ほっ、と」


 半そでハーフパンツの体操着。ほぼ体と垂直までもち上げられた片ももが、ハードルの角をまたぐ。十台並べたその片側を走り切って、ふうっと一息。

 その前をちょうど、ふらふらとした長身が通り過ぎた。


「サニーぃぃ……あっつい、休憩しよ?」

「だめ」


 外側のトラックを周回中のパラミラにぴしゃりと言い放つ。


「もうすぐ折り返しよ。単純な練習ほど最初は効きがいいんだから頑張って」

「ううぅ、私もそっちがいぃ……」


 週末のイベントを見すえた基礎トレーニングだった。パラミラも運動神経は悪くないが、特にクラブに属しているわけでもないので持久力に不安がある。


「足もあがらないクセに何言ってんの。あっ、こら!」


 べしゃりと座り込んだ彼女を、他の走者が避けていく。

 サニーは駆け寄るとその両わきに腕をつっこんだ。


「邪魔んなるでしょーが! スミマセン、先に柔軟じゅうなんやってまーす!」


 陸上部の部員へ声をかけ、そのままズルズルとパラミラを引きずって芝生のスミへ。


「へへ、ごめんねぇ」

「うっさい、大体なによその髪。運動ナメてるの? せめて縛れ」


 両足を投げだしたパラミラのにやけ顔半分は、いつもと変わらず前髪で見えない。


「もしさ、半分だけ日焼けしたら面白いかなーって」

「友達お休みしていい? そんなコメディチックな見た目になったら」


 まるで子供のころのビデオヒーローだ。“ミスター・ハーフ”、当時は本気で見ていたが今となってはそんな自分がほほえましく少し恥ずかしい。

 今の悩みも、いつかそんなふうに思い返せるようになるだろうかとふと思った。


「……サニー? うぐ!」

「ん、じゃあストレッチね。ちょうどいい格好かっこうだし前屈から、よっ」


 座ったパラミラの背中をぐっと押し込む。一息でかなり深くまでその上体は沈んだ。


「ぐぁぁ、潰れるー」

「なんだ、柔らかいじゃない。細いし、バレエの選手みたいねパラって」

「重い重い、ちょっ、どうなってんの上、座ってない? 座ってない?」


 反対を向いて半ば体重を預けたまま、サンシャインは空を仰いだ。


「パラ、あたしね」

「……うん」

「アクターの仕事うけるの、やめようかなあって思ってるの」


 少しの沈黙。パラミラのうすい肩甲骨けんこうこつが呼吸でわずかに上下している。


「……なんで」


 言葉すくなに彼女は聞いた。

 先の事件のことは生徒ならば知っている。普段は平気でこちらの地雷を踏みにくるくせに、こういうときの彼女はひどく慎重だった。


「んー、ほら、やっぱり危ない目にもあったし。自分だけならまだしも心配してくれる人や、助けようとしてくれる人まで巻き込んじゃうのは嫌だなって。このまま続けていったらそういうことがまたありそうな気がしてさ」


 自分で飛ぼうとした結果、できなかった。風にあおられ、いろいろな人に助けられた結果、決定的な墜落ついらくだけはまぬがれたけど。


「いろんなコトの、いい所しか見てなかったのかなーって反省して。結局は人並みに普通の努力をしていくのが一番なのかもって」

「……ふーん」


 べったりと二つ折りになり、つま先まで掴んだパラミラは最後に長く息を吐くとサニーの腰を押し戻した。


「じゃ、私が最後の依頼人かもしれないわけね」


 立ち上がってお尻をはらうと何故か得意げに言う。


「……ばか。商売抜きよ、友達なんだし。……集めたポイント山分けでいいわ」

「ワーウレシイ。さすがサニーは友達がいがあるネー」


 二人して空々そらぞらしい笑顔を浮かべたところへ、楕円形のボールが転がってきた。


「――ゼロを山分けしてどうするつもりだって?」


 振り向けば他の運動場へつづく道に、ボールかごを抱えたヤンスが立っていた。


「今度はどんなイカサマをやるんだ? デイビス。共犯までつれて順調そうじゃないか」


 皮肉に歪んだ口元に探るような目。

 サンシャインはうんざりとして渋面をつくってみせた。


「あんたがよそで何を言おうが勝手だけど、あたしの悪口をあたしの耳にいれないで。殴られたいのかなって勘違いしちゃうから」


 先の学園での事件について、どうも他の生徒たちよりらしいヤンスは、ことあるごとに意味深な態度で絡んでくる。


「ふん、ボロが出ないことを祈ってるぜ。同じアクターとしてな。それとも、バレたらまたあの殺人ロボットを呼んでうやむやか?」

「ッ」


 サンシャインの拳が握られ、肘が上がりそうになる。

 その正面に転がったボールを、パラミラが思いきり蹴り飛ばしていた。


「ほら、取ってきなワンちゃん。もう戻ってこなくていいからさ」

「パラ……」


 ウィンクするその顔に――彼女の場合それが片目なのか両目なのか分からないが――、沸き立った頭が冷えていく。

 ヤンスが不快そうに歯をむいた。


「てめぇには言ってねえよ、パラ」

「そういうあんたはワンちゃんの自覚があるわけだ。えらいね」


 にやつきながらサンシャインの前へ割り込むように立つ。

 ヤンスは怒りで顔を真っ赤にしたがはたと、思い至ったように薄ら笑った。


「……なんだ、最近妙にお前から話しかけてくると思ったらそういうわけかよ。デイビスの騎士ナイトきどりか? お似合いだな。お前ら、付き合ってんの?」


 サンシャインはふたたびかっと顔に血を上らせた。自分へのからかいはガマンできても、友人へのそれはやり過ごせない。する必要もない。

 すかさずパラミラはそれを後ろ手で追い払うジェスチャーをした。


「だったら何?  ベッドで刺される心配でもした?」


 平気な声で言う。サンシャインからはうかがえないがたぶん、笑っているのだろう。

 ヤンスは喉に手を当てて吐くマネをした。


「冗談はよせ、誰がお前なんかと」


 捨てゼリフのように残して止めていた足を進め始める。

 その背中を見送ることもなく振り返ると、パラミラは不味いものを飲みこんだように舌を出して頭を振った。


「パラ、その」


 言いかけたサンシャインをのぞき込むことでさえぎって、企むように笑う。


「サニー、私、今日モジュール持ってきてるんだ。見てくれない?」



 それは学園の外に預けてあるということで、運動着のまま校門を出るという珍しいことになった。

 いろいろな疑問をかみ砕くようにサンシャインがうわの空で歩いていると。


 ぼふっ、とやわらかい二つの塊に顔が埋まる。


「ひぁ」


 頭上から当惑したような声。

 サニーは我にかえって一歩下がるとぶつかった相手に頭をさげた。


「あ、わっ、ご、ごめんなさいっ!」


 顔をあげて相手を見る。

 若い先生の一人かとサンシャインはまず思った。シャツネクタイにスラックスの女性。


(あれ……)


 ぱちぱちとサンシャインはまばたき。

 同じく驚いたらしい女性は、真面目な顔でたずねてくる。


「失礼、どこかぶつけはしなかったか?」

「あ、いえ、大丈夫です、けど」


 そのまばゆいほどの金髪と眼鏡の奥の顔だちに、どこか覚えがある。だが具体的には分からなかった。


「良かった。……」


 女性はサンシャインをまじまじと見る。


「な、なんですか?」

「いや。失礼ついでに尋ねるが、大学棟はどちらかな」


 建物を指さして教え、歩いていく後ろ姿をしばらく見つめる。

 パラミラが訊ねた。


「……知り合い?」

「いや、違うと思う、んだけど」


自分とは決して無縁ではないような。そんな感覚がどうしてもぬぐえないのだった。

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