→視点:※※※※

 天河市には多数の海外企業がその支部をかまえる。

 それらは時に国籍を越えて連携れんけいし、競争し、そして市と手を取りあって未来都市の心臓として活動している。少なくとも表向きには。


 そんな企業ビルが林立するビジネス街。

 みがきあげられた鉄筋とアスファルトの反射がまぶしいその一角にある、共働コワーキングスペース。

 明るく落ち着いたエントランスに踏み入ってきた男に、受付嬢はぴんと背筋を張った。


「――机席デスクと、会議室を」


 狐をおもわせる細高い男だった。

 かすれた、しかし確かな体温を感じさせる声に恐ろしさとしたわしさとが同時におこる。


「お一人様でのご利用でよろしいでしょうか」


 緊張で髪をさわりたくなるのを抑え、訊ねた。


「あぁ、今日の六時まで」

「かしこまりました」


 男は明るい髪と肌に不釣り合いな、ひどく酷薄こくはくそうな目で見下ろしてくる。それがなんとも落ち着かず、受付嬢はいつもより長めに提示された市民IDを確認した。


(この会社ウチと同じ系列の……あ、リングあと……)


 Samuelサミュエル=Capoカーポ=Lilaリラと書かれた名前を記憶しつつ、目を合わせない範囲で本人を盗み見る。


「結構です。こちら右手から青いランプのございます通路へ……っ」


 いつもより力の入った笑顔で顔をあげた彼女はそのまま硬直した。

 男が間近でのぞきこんでいたからだ。


「君……」

「は、はいっ!?」


 ウィスキーのような香りに二の腕が粟立つ。

 自然な笑顔を保とうと努力するが、こんな状態で普段通り笑っているほうが不自然だと気付いたのは男がカウンターを離れたあとだった。


「あぁ……まぁいいや。また帰りに」


 何事もなかったように片手をあげて、奥の個室スペースへ向かっていく。

 受付嬢はほうっと椅子の上で脱力すると、やがてはっとしてインカムを操作した。


「もしもし、私。ね、今日の夜勤かわってほしいんだけど。代わって?」



 一人用の会議室、というのは要はネット通話用の防音個室だ。

 労働の多様化にともなって発達した「業務カフェ」とでもいうべき共働コワーキングスペースは、今やさまざまな需要に対応する高成長ビジネスだった。


 男が机に置かれた端末を操作すると、壁全面に通話相手の部屋が投射とうしゃされる。


「――お前か、サミュエル」

「や、お久しぶりです、お嬢様」


 スチールの本棚。ドアほどの大きさのある製図用タブレットにプロジェクター。

正面に映ったのは二十歳前後とみえる女だった。


「お父様からお前を返すと知らせがあってからすでに二週間経つ。どこで何を嗅ぎまわっていた」


 長くまっすぐな金髪に彩られた端正たんせいな顔立ちが威圧するように睥睨へいげいする。


「めっそうも。ただ、俺は裏切り者ってことになってるでしょうから安全策を少々」


 首をすくめ背を丸めてサミュエルは答える。

 女は不快そうに鼻をならすと腕組みした。白いシャツに抑えられた胸が押しあげられる。


「不要な心配だ。お前には借りがある。その忠節ちゅうせつがなければ一年前が私の命日だった」

「もったいないお言葉で」


 恐縮したようにサミュエル。

 とはいえ、と女が腰かけたテーブルを指で叩く。


「もはや表立った仕事は任せられん。これからは私の密偵兼工作員アンダーザデスクとして動いてもらう。シノー=ファベイラの件についてどこまで把握している?」

「シノー、というとあの、一年前までお嬢様のモジュールだった……?」


 はあっと苛立たしげな溜息。女は眉間みけんを一度押さえると、こちらを睨みつける。


「とぼけるな。近ごろお前が調査していたことは分かっている。おおかたお父様の指示だろうが、以後は私の部下だ。言っている意味は分かるな?」

「……了解、ええ、分かりました。今後は研究室長どのだけに従います」

「いいだろう、信頼している」


 白旗しろはたがわりの両手をあげたサミュエルに女は固い口調で頷いた。


「それで――」

「現在位置まで、調べは付いています」

「いいだろう。そちらは私の方でも押さえてある。お前には新たにマスターとなった少女についてもらいたい」


 それまで流れるようだったサミュエルの応答が一瞬途切れる。


「……了解」

「他の勢力も動いている。王幽苺ワンヨウメイのような狂犬がおらんとも限らん。事前に危機を察知し、未然みぜんに防げ。連絡用端末の送付座標ざひょうを送る。まずはそこへ向かえ」


 映像の途切れたプロジェクターを見つめて、サミュエルは椅子に深く腰掛けた。


「……まったく、大人ぶっちゃってまあ。可哀想なマリーピアお嬢様」


 髪をぐしゃりとなでつけると、上着を脱ぐ。

 かわりにバッグから取り出したのは、頭から爪先までを覆うスーツ状の何かだった。微細に、規則的にひび割れたガラスのような白っぽい外面に、オーロラを不透明にしたような虹色の内側。既存のどんなスーツやアーマーとも異なっている。


 すっぽりとそれに覆われたサミュエルが宙をなぞると、かすかな起動音とともにスーツの一切が消失する。

 それだけではない。現れた姿はサミュエルではなかった。黒髪で日に焼けた肌をした、東洋人風の男性。 


「――さて、しかし子守り、ねぇ。どうすりゃいいんだか」


 変わらない声でひとりごちて、男は何食わぬ顔で会議室をあとにする。

 ほんの十数分前に受け付けをした男が彼だとは誰も思わないだろう。もし彼をはっきりと覚えている者がいるならば思うはずだ。彼はまだ個室にいる、と。


「消臭剤でも買っていくかね、ああ、やだやだ」


 青空の下で薄ら笑うと、男は雑踏ざっとうへまぎれこんだ。

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