第8話 ハグした!

 その日の仕事終わり。

 佐々木に誘われたお食事会は、結局五対五の合コンとなって現在二次会のバー・レストランに場所を移している。

 夏希はトイレの鏡に向かって大きなため息をついた。


「あー面倒くさい」


 すると隣で口紅を直している麗は言った「それにしてはよく飲んでるじゃない」と。

 髪を下ろしてコンタクトにした彼女は無敵の美貌を誇っている。オフショルのトップスとロングスカートを合わせているが、ベルトの位置が高いこと。


 一方、夏希は間に合わせのデニムにキャンディー袖のブラウス。

 着る人が着ればそれなりにカワイイはずだが、正面の鏡にはただ袖が大きくて不便だからすぼめてみましたって感じのひとが立っていた。


 神様って不公平――。


「三次会にカラオケ行くって話になってるけどアンタどうすんの?」

「えぇ~月曜だよ? みんな元気だなぁ」

「まあ生き急いでる感はあるわね」


 麗はリップをポーチにしまいながら笑った。


「飲みすぎて気持ち悪いとか言っといてあげようか?」

「……そうしてくれる?」

「ん。じゃあお先」


 麗はトイレをあとにした。

 ひとりになった夏希は、もう一度深々と長いため息をつく。鏡にうつった自分の顔は、ハの字眉毛に戻っていた。


 エネルギー切れですかね? 渚さん――。


 スマホに残った彼からの履歴を眺めてそう思う。

 ボロが出る前に帰りますかと、頭を上げたときだった。


「なっちゃん大丈夫ですか?」


 ひとりの女性が麗と入れ替わるようにしてトイレへと入ってきた。

 夏希よりはやや背が高く、全体的にふくよかな体型をしている。

 心配そうな顔をして、そのまま夏希のそばまで駆け寄ってきてくれた。


「ありがとう。大丈夫だよ、シブちゃん」

「無理しないでくださいね」


 彼女の名前は渋谷しぶたに ハル。

 愛称は『シブちゃん』である。

 そのおおらかな性格は、ぽっちゃりとした体型も相まって仲間内から絶大なる人気を誇っている。夏希も彼女のファンのひとりで、一日に何回かハグをしてもらっているほどだ。

 無論、夏希のハグには友好の証のほか何割かの下心が含まれている。


「シブちゃん優しいから好きー」

「はいはい」


 マジで好き。大好き。ああ柔らかい。いい匂い。おっぱいサイコー。

 シブちゃんの胸に顔を埋める夏希は至福の時間が続いている。さっきまでの倦怠感が少しずつ癒やされていくようだった。

 背中に周りきらない手が、シブちゃんのお肉を揉みしだく。「あんっ」と声をあげる彼女に対して、夏希のイタズラ心に火がついた。


 ハグをしていた手が洋服越しにシブちゃんの丸みをなぞって下へと降りた。

 肉厚の彼女のお尻は予想以上の弾力をもって、夏希の手のひらを押し返してくる。

 負けてなるものかとケツをまさぐる夏希の耳に、シブちゃんのいけない吐息が漏れてきた。


「ご、ごめん! ちょっと悪ふざけが過ぎたっ」


 ご無沙汰だったからつい――とも言えず、夏希はシブちゃんから身体を離した。

 彼女は頬を真っ赤に染めて、やや伏し目がちに夏希から視線を逸らしている。

 洗面台に倒れ掛かるようにして出来たシブちゃんの『しな』に、夏希は興奮を隠せなかった。


 あれ?

 もしかしてこれは――いやまさかな――。


「し、シブちゃん……?」


 乱れた前髪を直しながらシブちゃんは、薄紅色のほっぺを膨らませた。

 怒るでもなく、小さく握った拳を振り上げて。


「もうっ。なっちゃん酔っ払いすぎです! 私にそのケがあったらどうするんですか!」

「あ、アハハハハ。ごめんごめん」


 すんません。こっちにはそのケ、バリバリです。

 もはや乾いた笑いしか出てこなかったが、シブちゃんの新たな魅力に気づいてしまった夏希である。手のひらに残る彼女の感触に、久方ぶりにオンナの疼きを感じた。

 どこかの軍人さんのセリフではないが、性欲を持て余す――。


「本当に大丈夫?」

「う……」


 世話好きの顔に戻ったシブちゃんが、夏希の表情を覗き込む。彼女のぽよぽよの手が、栗色の前髪をかきあげて額に乗せられた。

 温かく柔らかい。母のような安心感に夏希は包まれる。互いに息のかかる距離だ。臭い子と思われないかと心配になる。


 やばい――これは好きになる――。


「シブちゃん、あたしね――」

「ちょっと~。夏希もシブも何やってんの~。置いてくよ~」


 麗がトイレの入り口から顔を出した。

 シブちゃんにおでこをタッチされたままの夏希は固まる。さっきまで下心全開だったことも相まって、麗の顔をまともに見られない。

 そんなふたりを目の当たりにして麗は怪訝な表情だ。


「ほんとに何やってんの?」

「あ、あの、そのこれは――」


 うまい返しが見つからない。

 しかしシブちゃんからしてみれば、ただの酔っ払いの介抱なわけで。


「ちょっとお熱があるみたい。なっちゃんはやっぱり帰ったほうが……」

「シブちゃんは行くの? カラオケ」

「え? ええ、せっかくなのでお付き合いしようかと」


 その一言に夏希の迷いは吹き飛んだ。


「じゃあ行きます!」


 どこに行くかではない。

 好きなひとがいる場所が、自分の行きたい場所なのだ。

 ましてや好きになったばかりのときは、ずっとそばにいたいと思う。


 ドサクサに紛れた夏希は、もう一度シブちゃんのふくよかなお胸にダイブした。

 どこの馬の骨とも分からん男に渡してなるものか――。

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